大月さんより「俳句甲子園ってどんなの、一度皆に紹介してよ」とのことなので、喜んで説明させて頂きます。
甲子園という名前が付いている以上、俳句で試合をするのですが、ルールは柔道の団体戦を思って貰うと分かり易い。一チーム五人が柔道のように先鋒・次鋒……と対戦します。まず先鋒どうしが、それまでは伏せていた句を互いに披講します。この時初めて相手チームの句を知ります。披講の後ただちに、一方のチームが相手チームの句に対して三分または五分の質疑を行ない、時間が来れば攻守を交代します。
質疑は相手の句について、「この句はこういうことを詠もうとしているはずである、ならばここは不適である」「付きすぎている」「離れすぎている」「景がぶれる、定まらない」「季語が主役になっていない」「季語が合っていない」「このアイデアについては口語の方が良い、文語の方が良い」「リズムが悪い」「発想が古い」「発想が類型である」等々と批評するのが普通です。これに対して守備側は、「そうではない、こうこうだから、これで良い」とか「こうこうこうだから、その読みは浅い」とか、上手く理由を付けて、簡潔に返さねばなりません。答えるのは当の俳句の作者だけでなく、チームの誰が答えても構いません。したがって提出する句については、「ああ言われたら、こう言う」というのを、前もってチーム全体で研究しているのですが、それでも予想も付かない方向から、突っ込まれます。
この質疑がディベートになって、選手を緊張させますし、突き方・返し方や、その際のパフォーマンスを見るのが観戦者の楽しみになります。
全く相手の句の良さを認めず、あら探しばかりするような攻め方や、逆にここぞとばかり長々と自句解説をするような受け方は、審判にも聴衆にも嫌われ、そういうチームは良い成績を残すことはできません。
例外はありますが、始めて出場した選手は前もって練習していても、喋る機会を捉えられず、先輩達が戦っているのを、呆然と見ているだけになります。
さて勝敗の付け方ですが、柔道のように主審というのはありません。もちろん審判はいます。三名以上で奇数人数です。質疑終了後に審判は両チームにポイントします。このとき、作品ポイントといって作品の良さについて各チームに一〇点以下を与え、鑑賞ポイントといって批評や答の適切さについて、優れていたチームに三点以下を与え、合計点で勝敗を決めます。合計点が同じなら作品ポイントを優先するなどして、必ずどちらかが勝つようにします。質疑終了後に審判の採点表が集められ、行事(議事進行係りをそう呼んでいます)の合図で審判団が一斉に旗を上げ、勝敗を決っします。緊張の一瞬です。勝敗が決った後、緊張の緩むなか審判団の講評が続きます。この講評を聞くのも、聴衆の楽しみです。とりわけ松山で行われる全国大会の準決勝以上では、一五名ないしは一七名の著名な俳句作家達が審判となって講評するのですから、中々聞きごたえがあり、松山大会の楽しみの一つになっています。一昨年は金子兜太さんの評が聞けましたし、私個人は正木ゆうこさんの評を聞くのが楽しみです。
得点の付け方で最も重要なのは、作品ポイントを付けるのが質疑の前ではなく、質疑の後でも良いという所です。解説を聞いていて、「なんや、そんな事を詠んでいたんか、それは聞かん方が良かったな」とか、逆に「良く分からんかったけど、そういう事を詠んだ句か、なるほどな」とか、質疑を聞いていて「最初読んだときは、そこまで考えて作った作品とは思わんかった」などが起ります。これは質疑の内容が作品の評価に影響を与えるということで、質疑は鑑賞ポイント三点以上の働きをしているのです。
さて、こんな俳句甲子園について、「作品のケチの付け合いをしているだけやないか」と言う人がいます。確かに見た目には、「悪い」「いや良い」と言ってるだけです。しかし試合の前には、「良い作品とはどんなものか」「良い作品をどうしたら作れるのか」という、長時間にわたる高校生なりの研究活動があります。その背骨から出て来る「良い」「悪い」の言い合いだからこそ、「ケチの付け合いの質疑」が選手達、審判達、聴衆達の感動を生むのです。その真剣さが、次々に俳句甲子園に加わる若者を増やすのです。
単なる揚げ足取りなど、見ていても一つも面白くない。国会中継で揚げ足取りをしているのを見ていて、どちらにも冷やかになるのと同じです。
私は俳句よりも五行歌を専門にしている者ですが、俳句甲子園に提出する作品を作る一ヶ月前の句会ほど、「良い作品とはどんなか」という点に徹して議論しあう、そんな歌会はやったことが無い。一度、そんな歌会をやってみたい、うらやましい限りです。
試合には公式戦もあれば楽しみの草試合もあります。京大俳句会でも、俳句甲子園タイプの試合をやってみて、俳句の試合が楽しいことを実感してみてはいかがですか。
最後にこの俳句甲子園を産み出すにあたって、夏井いつき氏、松山青年会議所、松山市役所が甚大な働きをしたこと、大会を維持するにあたって上記三者とともに、俳句甲子園出場OBとOGが決定的な働きをしていること、そのOBとOG達が実際に日本の俳句会を担う存在になりつつあることを、お伝えしておきます。
「京大俳句会会報」 4号(2011.5)所収