京大俳句会 KYODAI HAIKU KAI

京都大学を拠点に活動している京大俳句会のオフィシャル・ブログです。

七月七日に西部講堂で思ったこと

2014-07-19 22:00:00 | Weblog



七月七日に西部講堂で思ったこと

          
                               清水光雄



 この日の会は、月曜の夕刻から始まったにもかかわらず、大勢の人が西部講堂に集まった。句会での顔見知りを含めた外国の方も数人参加しておられた。ここで私は、「大月さんのこと・中島さんのこと」と題して話をした。
 まず、誰からも慕われた大月健さんの俳句作品は、稚拙ではあったが、基本である写実をきっちりと守っていたこと、間際になって、にわかに光芒を放ち、幾つか秀句を残して逝ったことなどを述べた。そして、新たに句集を出版した中島夜汽車さんには、その特異で独創的な句界が、これからも発展する事を期待しエールを送った。
 この日、行われたイベントは、法螺貝、舞踊、尺八、ハーモニカ、神道ソングそれに場外ハプニングなど何でもあり。いやはや、これは何でもありの、いつもの月例句会のパラレルワールドではないか。
 大月さんが、まだ元気な頃、どうしてこの句会に「京大俳句会」などと言う詰まらない名前を付けたのかと、議論をふっかけた事がある。たとえば「ゆくのき会」(ゆくの木は京大理学部植物園の象徴的高木)とかにしておけば、どんなにエレガントで良かったことかと。大月さんは、例の調子でボソボソと抗弁していたが、こちらもいささか酩酊していたので、議論は噛みあわず、尻切れとんぼで話は終わってしまった。
 しかし、私はこの夕べの集会に参加し、わかった事がある。この京大俳句会は、歴史的なそれとも、そこらの句会とも、まったく異次元世界のものであるという事を、である。さすれば、句会の名称など、無線の呼び出しコードネームのようなものだ。とやかく言うのも野暮ったい。いずれにせよ、この京大俳句会が、摩訶不思議なエネルギーとバイタリティをバネに、これから何処に飛んでゆくのか、ちょっと怖い気もするが、見定めてみるのも面白いと思った。最後、猫好きだった大月さんのために蕪村の一句。

      夕皃(ゆふがほ)の花噛ム猫や余所(よそ)ごゝろ  蕪村