一般的にクリオ製剤と言えば、ミドリ十字のAHFに代表される「クリオプレシピテート製剤」のことを指します。
血友病Aの治療は、1960年代までは新鮮な血液(全血血液)または新鮮凍結血漿、1967年承認後は「コーンの低温エタノール分画法による画分I製剤(ミドリ十字のAHG)」が用いられ始めました(地方都市への普及は2~3年かかったのではないかと思います)。
その後新鮮な人血漿を一度凍結した後、低温でゆるやかに融解したときに生ずる沈殿(これをクリオプレシピテートと呼びます)に第Ⅷ因子が多く含まれていることが発見され、これが用いられるようになりました。
クリオ製剤は、全血液や血漿の輸血に比べると第Ⅷ因子が数十倍含まれています。このため軽度の出血だけではなく、手術を要する大出血にも対応可能でした(血友病患者の多い医療機関に限られていましたが)。
その前段階としての「コーン分画I製剤」 AHG
血漿にエチルアルコールを加えることで特定の蛋白質成分を分離するコーン分画法が1940年代、ハーバード大学の化学者コーンらによって発見されていました。当時は、少数の成分が利用されるにとどまっていたのですが、1965年ごろから、コーン分画I成分をもちいたコーン製剤(「コーン分画I製剤」)が血友病Aの治療に使われるようになりました。日本でも1967年ミドリ十字は、コーン分画I製剤(商品名「AHG」)の製造承認を受け、販売を開始していました。
私の記憶では、1970年頃乳歯の生え変わり時の出血に対して熊本大学病院第二内科で使用したのが初めでした。100単位の第8因子を含むAHGを添付の注射用蒸留水で溶解し、点滴投与していました。抜けかけた乳歯の抜歯治療には抜群に効いて、殆ど出血がありませんでした。
その後もAHGは(少なくとも熊本では)しばらく使われていたと思います。AHF承認が1972年だそうですから、その後順次切り替わって行ったのでしょう。しかし小児患者にとって、AHGからAHFへの転換は、少なくとも医療現場においては「溶解液が100mlから50mlに変わった」くらいのもで、「製造工程の違い」などの認識もなく、「AHGの改良型がAHF」くらいの認識しかありませんでした。
しかも当時の熊本の医療は「関節内出血がひどくなって打つ」という治療スタイルだったので、回顧的に考察すれば関節の拘縮予防効果は少なかったと思います。以下記すような血友病専門医の認識は大都市周辺の一部医療機関の「第8因子製剤の使用方法の高い意識」に留まっていました。
コーン分画I製剤ですが、新鮮血輸血しか方策のなかった患者(特に小児患者)にとっては相当なインパクトを有していました。
京友会の中心メンバーとなる石田さんは、1970年、25歳のとき、京大付属病院で、コーン分画I製剤(AHG)を初めて打ち、内出血の痛みが消えるのに衝撃を受けています。
当時の血友病専門医のリーダーたちも、「幸いなことに、ここ数年来、AHG製剤をはじめとして、血友病の患者さんに対する凝固因子補充療法が急速に進歩しましたので、整形外科の分野でも、これと積極的に取り組むことができるようになりました。」「関節変化を減らすことが出来るのは、最早明白な事実です。」と患者会講演などで発言しています。
こうしたインパクトは、ほぼ同時期に開発・販売・普及され始めた「クリオ製剤」(ミドリ十字のAHF)に引き継がれることになります。
血友病Aの治療は、1960年代までは新鮮な血液(全血血液)または新鮮凍結血漿、1967年承認後は「コーンの低温エタノール分画法による画分I製剤(ミドリ十字のAHG)」が用いられ始めました(地方都市への普及は2~3年かかったのではないかと思います)。
その後新鮮な人血漿を一度凍結した後、低温でゆるやかに融解したときに生ずる沈殿(これをクリオプレシピテートと呼びます)に第Ⅷ因子が多く含まれていることが発見され、これが用いられるようになりました。
クリオ製剤は、全血液や血漿の輸血に比べると第Ⅷ因子が数十倍含まれています。このため軽度の出血だけではなく、手術を要する大出血にも対応可能でした(血友病患者の多い医療機関に限られていましたが)。
その前段階としての「コーン分画I製剤」 AHG
血漿にエチルアルコールを加えることで特定の蛋白質成分を分離するコーン分画法が1940年代、ハーバード大学の化学者コーンらによって発見されていました。当時は、少数の成分が利用されるにとどまっていたのですが、1965年ごろから、コーン分画I成分をもちいたコーン製剤(「コーン分画I製剤」)が血友病Aの治療に使われるようになりました。日本でも1967年ミドリ十字は、コーン分画I製剤(商品名「AHG」)の製造承認を受け、販売を開始していました。
私の記憶では、1970年頃乳歯の生え変わり時の出血に対して熊本大学病院第二内科で使用したのが初めでした。100単位の第8因子を含むAHGを添付の注射用蒸留水で溶解し、点滴投与していました。抜けかけた乳歯の抜歯治療には抜群に効いて、殆ど出血がありませんでした。
その後もAHGは(少なくとも熊本では)しばらく使われていたと思います。AHF承認が1972年だそうですから、その後順次切り替わって行ったのでしょう。しかし小児患者にとって、AHGからAHFへの転換は、少なくとも医療現場においては「溶解液が100mlから50mlに変わった」くらいのもで、「製造工程の違い」などの認識もなく、「AHGの改良型がAHF」くらいの認識しかありませんでした。
しかも当時の熊本の医療は「関節内出血がひどくなって打つ」という治療スタイルだったので、回顧的に考察すれば関節の拘縮予防効果は少なかったと思います。以下記すような血友病専門医の認識は大都市周辺の一部医療機関の「第8因子製剤の使用方法の高い意識」に留まっていました。
コーン分画I製剤ですが、新鮮血輸血しか方策のなかった患者(特に小児患者)にとっては相当なインパクトを有していました。
京友会の中心メンバーとなる石田さんは、1970年、25歳のとき、京大付属病院で、コーン分画I製剤(AHG)を初めて打ち、内出血の痛みが消えるのに衝撃を受けています。
当時の血友病専門医のリーダーたちも、「幸いなことに、ここ数年来、AHG製剤をはじめとして、血友病の患者さんに対する凝固因子補充療法が急速に進歩しましたので、整形外科の分野でも、これと積極的に取り組むことができるようになりました。」「関節変化を減らすことが出来るのは、最早明白な事実です。」と患者会講演などで発言しています。
こうしたインパクトは、ほぼ同時期に開発・販売・普及され始めた「クリオ製剤」(ミドリ十字のAHF)に引き継がれることになります。