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薬害エイズを忘れない!

1500名の被害者を出した薬害エイズ事件が一応の終結を見て早10年。「薬害エイズってなあに?」と言う若者が増えています

知らなかったペンテコステ派

2007-05-13 01:45:13 | 世の中知らないことばかり
ペンテコステ派(ぺんてこすては)はメソジスト、ホーリネス運動の流れをくむプロテスタント教会の一派。ペンテコステ教会。趙基(チョ-・ヨンギ)牧師の純福音派もこの流れに属する。(趙基(チョ-・ヨンギ)牧師の純福音派なんて初耳です)

近代ペンテコステ派・運動は1901年にカンザス州トピカの聖書学院から、ロスアンゼルスのアズサ・ストリートにあった伝道館・教会をへて世界中に広められた。やがて、1914年にアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団や他の教団が発足し運動が組織化され始めた。

ホーリネス教会の四重の福音(しじゅうのふくいん)「新生・聖化・神癒・再臨」をスローガンとはしていないが継承している。ホーリネスの「聖化」(きよめ)に相当するものは「聖霊の満たし」と表現し、聖霊に満たされた結果、宣教を進める力が与えられ、新約聖書(使徒言行録、コリントの信徒への手紙一)にある異言をともなう祈りをする、という信仰を持つ。

この異言をペンテコステの出来事において使徒らに発現した聖霊の賜物(=カリスマ)と同じものであるとする主張から、自らをペンテコステ派、その宣教運動をペンテコステ運動と呼ぶ。同様に「カリスマ派」「カリスマ運動」を自称する類縁教派・宣教運動もあり、他派からはまとめて「聖霊派」と総称される。

日本においては教団よりも同じ牧師や宣教師によって生まれた小さな「群れ」や、単立ペンテコステ教会という、個々が独立した緩やかなつながりを持つ教会が多いようである。

ペンテコステ派と音楽
現代のキリスト教音楽はペンテコステ派の多大なる影響をうけている。多くのワーシップソング(賛美歌)やゴスペルソングはペンテコステ派の音楽家によって書かれている。また、世界を代表するワーシップリーダーの多くは、ペンテコステ派である。ヒルソング教会、ビンヤード、チャーチ・オン・ザ・ウェイ等のペンテコステ派の教会達は、世界中で歌われている現代の賛美歌を多く書いている。日本でもこの傾向は同じで、日本を代表するワーシップリーダー・小坂忠師はペンテコステ派・フォースクエアゴスペル教団の牧師である。

また、ペンテコステ派の影響を受けて育った著名な音楽家も多い。エルビス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、マーヴィン・ゲイ、アクセル・ローズ、パット・ブーン等である。


ペンテコステ派と教会成長
世界の多くのメガ・チャーチ(会員2000人以上の教会)はペンテコステ派あるいはその影響を多大に受けている教会である。世界最大の教会であるソウル・ヨイド純福音教会(チョー・ヨンギ牧師)がその典型である。2006年に、共同通信社は、世界で最も成長しているキリスト教派はペンテコステ派だと発表している。


クート宣教師のペンテコステ教会への影響
特に関西にあるペンテコステ派教団、単立教会や小さな群れの多くは、直接的か間接的にクート宣教師の影響を受けている場合がある。クート師自身については色々と意見があるが、師のペンテコステ派内での影響を無視することはできない。

クート師の影響の理由は、師が戦前から生駒聖書学院で長年にわたり多くの伝道者を訓練したことと、多くの(アッセンブリーズ教団とフォースクエア教団以外の)アメリカのペンテコステ派宣教師はクート師を頼ってきたからである。又、アメリカでも、クート師は1940年代にインタナショナル・バイブル・カレッジ(当時、国際ユナイテッド・ペンテコステ教団所属)をテキサス州サンアントニオに建てており、多くの卒業生を日本に宣教師として送りだしている。

師の影響を直接あるいは間接的に受けた教団は、日本ペンテコステ教団、日本福音ペンテコステ教団、ネクスト・タウンズクルセード、トータルクリスチャンチャーチ、日本ユナイテッド・ペンテコステ教団等である。その他にも関西を中心に多くの単立教会や群れがなんらかの影響を受けている。






そもそもペンテコストとは

2007-05-13 01:34:22 | 世の中知らないことばかり
ペンテコステ(Pentecoste)は、聖霊降臨(せいれいこうりん)または聖神降臨(せいしんこうりん)とも呼ばれる新約聖書にあるエピソードの1つです。

イエスの復活・昇天後、祈っていた使徒たちの上に神からの聖霊が降ったという出来事のことでもり、その出来事を記念するキリスト教の祝祭日でもあります。

余談ですが、ヘルベルト・フォン・カラヤンがザルツブルク音楽祭本番に対抗して??自ら始めたのがザルツブルクの聖霊降臨日コンサートでした。

教派により訳語は異なり、聖霊降臨祭、聖神降臨祭、五旬節(ごじゅんせつ)、五旬祭(ごじゅんさい)ともいう(イエスの復活・昇天から50日後のことだったので)。

聖霊降臨に関する記事は新約聖書の『使徒行伝』2章1節~42節にあります。

その記事によりますと、復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて天に上っていきます(キリストの昇天)。
それから10日後、ユダヤ教の五旬祭の日に使徒とその他の弟子たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が降った(炎のような舌というのが味噌です。ヨハネ福音書冒頭を思い出しますね)。
使徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めますた(異言を語り始めたと書いてあります。今まで学んだこともなかった外国語を雄弁に語り始めたのです。語学力のない私には羨ましいばかりです)。

地中海世界全域からディアスポラのユダヤ人たちがエルサレムに集まっていましたが、使徒たちが自分の地域の言葉で語っているのを聞いて当然驚きました。
「この人たちは田舎の漁師に過ぎないではないか」
ペトロが中心になってイエスの死と復活の意味について語ると多くの人が洗礼を受け、使徒たちのグループに加わったと書かれています。
これが聖書が語る聖霊降臨の出来事です。

歴史的にはペンテコステという名前はギリシャ語の"Pentékosté"(50番目の意)に由来しており、本来はユダヤ教の祭日シャブオット(Shavuot)のギリシャ語訳なのだそうです。シャブオットは過越祭の50日後に祝われる祭りであり、もともとは春にえられる最初の収穫に感謝する農業祭であったそうな。

シャブオットがキリスト教徒によって聖霊降臨の出来事と結び付けられ、後者が重視されたことから、宗教上は収穫感謝の意味は失われた。しかし農業祭としての色彩は、ドイツ、ギリシアなどの民俗に残っているらしい。

キリスト教の聖霊降臨の日は、復活祭から(その日を第一日と)数えて50日後に祝われる移動祝日(年によって日付が変わる祝日)です。
ですから日付は毎年異なりますが、西方では五月初旬から六月上旬の日曜日、東方では五月初旬から六月下旬の日曜日に行われます。

各国によって聖霊降臨の日の祝い方はさまざまです。たとえばイタリアでは炎のような舌を象徴して式中にバラの花びらをまく。フランスでは激しい風のような音がしたことをあらわして式中にトランペットがふかれる。ドイツでは牝牛に花冠をつけ引き回す。(うーん、炎のような舌はいずこへ???)

また、ペンテコステ教会というキリスト教の一派は個人個人における聖霊の働きを強調し、その重要性ゆえ自らの教会にペンテコステを冠しています(ペンテコスト派)。
多くのキリスト教諸派において聖霊降臨が教会がたてられた日であるという認識がなされています。

聖霊降臨を描いた芸術作品は多いが、特に有名なものとしてエル・グレコの絵画『聖霊降臨』。


東方正教会では聖神降臨祭として十二大祭のひとつ。

復活祭と並び、教会暦での日付の起算日のひとつでもある。そうな。




ペンテコステ派という宗派が勢力を伸ばしていたとは・・・

2007-05-13 01:09:34 | 世の中知らないことばかり

朝日新聞のウェッブ版によると、カトリック大国ブラジルでも「踊るサンマ御殿」状態の???ペンテコステ派の教会に信者を奪われ気味だそうです。

その記事です。

ローマ法王、ブラジルへ カトリック国でも改宗相次ぐ
2007年05月05日18時22分

 ローマ法王ベネディクト16世は9日からブラジルを訪問する。05年4月の就任以来、大西洋を渡るのは初めて。南米は世界最大のカトリック信者を抱えるが、この二十数年で信者が急速にプロテスタントに流れた。法王が信者らにどのようなメッセージを発するのか注目される。

 法王のブラジル訪問は13日から始まるラテンアメリカ・カリブ司教協議会に参加するのが目的。9日にサンパウロに到着し、10日にはルラ・ブラジル大統領と会談する。

 同司教協議会は、92年にドミニカ共和国で開かれて以来で、法王自身が決めた。法王はサンパウロ大司教だったフンメス枢機卿が「南米の国々がいつまでカトリック国でいられるのか疑問だ」と述べたことに危機感を持ったとされる。

 南米のカトリック信者は、世界11億人の信者のうち5億人近くを占めるが、急速に減っている。ブラジルの人口に占める信者の割合は、80年の調査では89%だったが、00年には74%になった。

 逆にプロテスタント信者が急速に増え、特にペンテコステ派は00年には10.4%に伸びた。貧困層の信者が、相次ぎ改宗しているとされる。

 サンパウロ中心部の数万人を収容するペンテコステ派の巨大な教会。宣教師が歌を交えてよどみなく説教を続けていた。大音量の説教が響く中、信者たちは壁に手や頭を押しつけ、一心に祈りをささげる。陶酔状態で掲げた両手を大きく振ったり、歩きながら「悪魔よ出ていけ、出ていけ」と叫んだりする人もいた。

 「カトリックの教会でざんげしても解決しなかった悩みが、この教会で祈ると消えた」と信者の主婦マリアさん(60)はいう。「祈りの対象は神だけ。それなのにカトリックの人たちは法王ばかりをあがめる。法王が来ても何の意味もない」

 信者は収入の約1割を寄付する。潤沢な資金力でサンパウロには巨大な教会が林立。スラム街の各所にも、集会所のような教会が並ぶ。テレビも深夜や早朝の時間帯の番組枠を購入、礼拝の中継や電話による人生相談があふれる。

 カトリックにも歌を取り入れるなどして大衆に教えを広めようとする神父はいる。人気は上々だが、保守派からは「ペンテコステ派と同じだ」と批判を受ける。

 サンパウロ・カトリック大学神学部のラファエル・ロドリゲス・ダシルバ教授の話 60~70年代には「解放の神学」など、多くのカトリック関係者が政治社会の問題にかかわろうとしていた。だが現在のバチカンは、教会が現実に対応するのでなく、民衆が教義に従わなければならないと考えている。教会が現実社会に対応しようとしたために威厳や独自性が失われ、信者を減らす理由となったと考えているのだ。カトリック信者だけに向けて語られる法王の内向きなスピーチは、それ以外の人々の心にどれだけ届くのだろうか。