薬害エイズを忘れない!

1500名の被害者を出した薬害エイズ事件が一応の終結を見て早10年。「薬害エイズってなあに?」と言う若者が増えています

ユーリ・エゴロフというピアニストを知っていますか?

2007-07-23 16:24:38 | 秋の夜長にふさわしいクラシック音楽
この世にユーリ・エゴロフという素晴らしいピアニストが存在したことを知っていますか? イタリアを通じてオランダに落ち着き、さあ、EMIというクラシック・レーベルの名門とも録音契約、瞠目すべき成果を挙げ、さあこれから・・・というとき、エイズで倒れたのは33歳のときでした。

ピアニストYouri Egorovは、the 1974 Tchaikovsky Competitionで第2位を獲得します。彼がEMIに録音した「シューマン作品集」には、 a curious mix of exquisite touch and a tendency to the overly brutalが観られると評されました。 Egorovsの ペダル操作は隅々に至るまでよく考えられていて、音楽の複雑な織地(テクスチャー)を明晰にし、美しくコントロールされています。Egorov の水晶のような指仕事とテクニックは驚くべきもので、恐らくシューマンのどこか不安定な精神性と、エゴロフの演奏は相性がいいのでしょう。美しい正気と分裂症気味の気分の並立。

最も成功した演奏は、シューマン初期の傑作、「謝肉祭 Carnaval 作品9」でしょう。 12曲目の「ショパン」は、最もインスピレーションを与えるもで、左手が滑らかに動くとき、右手は美しい陰影を伴うカンタービレ。
一方急速な動きに対しても、Egorov は素晴らしい。 速い動きは(9曲目の「パピヨン Papillons」動きのケース)ほとんど優秀なタイプライター打ちのようです。一様に非常に速い、嵐のような「パガニーニ Paganini 」は一様に速く、的確な嵐の表現。
最後の楽章( フィリステン=保守的音楽家たちの比ゆ=に対抗する、(新しい音楽を標榜する)ダヴィッド同盟の行進 Marche de・Davidbundler contre les Philistins )も手加減がない。効果を汚す。殺人的 Op. 7トッカータにも若者らしくたじろぐことがない。

シューマンが書き溜めておいた短い曲を集めた「色とりどりの作品Bunte Blatter 作品99」は、ソ連の大ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの1970年録音盤に迫る名盤でしょう。個々の曲ではケンプの存在感十分の演奏もありますが、指揮者サヴァリッシュがソロイストに選んだだけの事はあります。


傑作「クライスレリアーナKreisleriana 作品16」 の1978年のレコーディングに関してはシューマンのテクニック的には表面的で、聞き手を引き込むところまでは行っていない。

このセットはバジェット価格で、ブリリアントなシューマン演奏を気軽に買えるというもの(残念なことに、英米のアマゾンでも廃盤なので、定価の3~4倍のプレミア価格になっている)。

モーリス・ベジャールの申し子、ジョルジュ(ホルヘ)・ドンが40歳で、
ザ・クイーンのリード・ヴォーカリストだったフレディー・マーキュリーが45歳で
世界的断層舞踊家ルドルフ・ヌレエフが54歳で、
エイズで亡くなっています。
特にエゴロフの場合、「これから世界的な活躍を」というときだったので、とても残念です。

なお、EMIには他に「ショパン作品集」「ドビュッシー作品集」があり、高い評価を受けています。







重厚かつ華麗なラフマニノフ永遠の名盤,

2007-02-26 01:45:42 | 秋の夜長にふさわしいクラシック音楽

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調 
ハイティンク(ベルナルト) (指揮), アシュケナージ(ウラジミール) (演奏, アーティスト), アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (演奏), ラフマニノフ (作曲)

アシュケナージは1960年代キリル・コンドラシンと、70年代アンドレ・プレヴィンと(全集として。これも素晴らしい演奏です)録音しています。
以上2種類の録音で十分だろうと言うそこのあなた!(私もそうでした(^_^;))。

アシュケナージにはどうしてもハイティンク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団と再録音すべき音楽的理由があったのです。

1 ラフマニノフが魂を込めた「深い沈黙から聞こえてくるロシアの憂愁」を、さらに野太く剛毅になったアシュケナージのピアノでどうしても再チャレンジしたかったから。

2 それを支えるハイティンク指揮のオーケストラが、精密にして剛毅なアシュケナージの解釈・音楽を完璧に理解しており、音楽的呼吸の合致度が一段と深まっているから。

3 オーケストラ自体が深いロシアの大地を髣髴とさせるような濃厚で繊細でメランコリックな音楽的音響、壮大なスケールを併せ持った「ラフマニノフの音」になりきっている(地響きさえしそうだ)こと。

4 1959年録音のリヒテル盤の颯爽とした深遠な演奏も歴史的演奏だが、このアシュケナージ&ハイティンク盤も重厚かつ華麗な演奏として永遠に聞き続けられるだろう。

ということで、文句なしの歴史的名盤盤です。


クールな熱狂 モーリス・ラヴェル

2006-04-08 01:31:10 | 秋の夜長にふさわしいクラシック音楽

米国アマゾンでさえ15ドルはするのに、国内正規盤(CD2枚組み。しかもドイッチェ・グラモフォン、フィリップス、デッカというクラシック・レーベルの三大老舗の名盤からと言うゴージャスな演奏ぞろい)で1250円というショッキング・プライスを展開しているのがアマゾン・ジャパン。

今晩はその中から、「これさえ買えばあなたも一晩でラヴェル通」という飛び切りの二枚組みを紹介します。ラヴェル:作品集 ユニバーサルクラシックASIN: B0007OE294です。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007OE294/ref=cm_aya_asin.title/249-1244652-9199564?%5Fencoding=UTF8

ラヴェルで最も有名な「ボレロ」はカラヤン指揮ベルリン・フィルの1965年頃の演奏で。カラヤンならではの対旋律の浮沈等興味深いが、サウンドがドイツ的重厚な華美に傾きがち。最後の「初めての転調の驚き」や「輝かしいクライマックスからの崩壊としてのエンディング」も、予定調和的で驚きがない。もっと冷徹でめくるめくしなやかさが欲しい。

その点最高なのが次のピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルの新録音。作曲者自身の言う「渦巻く雲の切れ目から、円舞曲を踊る人々の何組かがきらめいて見える。雲は次第に晴れ、広大なホールの中で、円舞曲を踊り旋回する人々と群集にの姿がはっきりと見えてくる。ホールは徐々に明るくなり、シャンデリアの光は燦然ときらめく。1855年頃の宮廷である」という曲想が、クールに、切れ味鋭く、「溜める」べきところは溜め、衝撃的なところは衝撃的に、めくるめく饗宴はめくるめく饗宴として全く自然に演奏される。「クールな熱狂」。最高のラヴェル演奏だ。絶賛に値する。

「ピアノ協奏曲ト長調」「水の戯れ」「夜のガスパール」は天才アルゲリッチの最高の演奏で聞けるし(それだけでも本当にお買い得です)、「スペイン狂詩曲」「亡き王女のためのパヴァーヌ」は我らの小澤の若き日の演奏で。 「ダフニスとクロエ」第2組曲はラヴェル管弦楽集も録音しているアッバード指揮ロンドン交響楽団で安心して聞ける。

ラヴェルの最高傑作のひとつ「ピアノ三重奏曲イ短調」は最高級のワインのコクで楽しめる練達のボザール・トリオの演奏で。この二枚組みセットの目玉商品の一つ。

最後をアッカルドの「ツィガーヌ」で締めくくるのは、私の趣味に合わないが、(ピアノ三重奏曲と入れ替えてほしかったなあ)、いずれにせよたった二枚でラヴェルの主要名曲を、しかも最高級の演奏で聴けるのは嬉しい限りだ。超お薦めです。


カラフルで感動的なカラヤンの「ドイツ・レクイエム」が何故評価されないのか?

2006-01-12 05:06:16 | 秋の夜長にふさわしいクラシック音楽
一般的には「オットー・クレンペラーのドイツ正統派の演奏に比べると安っぽい」「カルロ・マリア・ジュリーニの格調高い燃焼度に及ばない」「歯切れのいい古楽演奏に比べるとオペラチック過ぎる」とけなされることの多いカラヤンの演奏ですが、私に言わせれば「華麗でカラフルなオーケストラの力量を素晴らしく抑制しコントロールした、しみじみとした人生のペーソスをよく捉えた見事なブラームス演奏」「かつまた曲のアーチ構造をよく見据えた建築家的アプローチ」も忘れないと思います。
まず抑制からマッシヴな爆発に見事に応えるベルリン・フィルの実力が素晴らしい。
この世界最高のオーケストラと豪華なソリスト達を見事にコントロールしうるカラヤンの練達の指揮もさることながら、その根底には彼が有する豊饒な和声感覚、建築学的構造の洞察力があります(特に第1曲と第2曲を聴いてみてください)。
ホセ・ヴァン・ダム、アンエ・トモア・シントウ、ヴィーン楽友協会合唱団らの素晴らしい歌唱も見逃せません。
カラヤンとしても会心のドイツ・レクイエムの名演という以上にブラームスの寂寥的ロマンティシズムの本質を捉えた歴史的名演奏です。

最晩年のカラヤン&ベルリン・フィルのブラームス1番と2番は最高だ

2006-01-12 04:53:14 | 秋の夜長にふさわしいクラシック音楽
同時にビデオ撮影も進行したという第2番ニ長調、第1番ハ短調は(録音はこの順番で行われました)、文句なしに「カラヤン美学の集大成」ともいう、文句のつけようのない素晴らしい名演奏です(彼の場合映像撮影されているときがなぜか素晴らしいんだよね)。

「流麗なレガートの美学」を根本原理としたカラヤンの音楽観にぴったりのニ長調は、最高級の絹糸のような繊細なピアニッシモから爆発的なフォルティッシモまでベルリン・フィルは一糸乱れぬ完全性を示しており、カラヤンの意図と一体となった驚くべき演奏と断言してよい。

元々十八番だったハ短調は(1961年頃のヴィーン・フィル盤もコンセプトは全く同じで、カラヤンのこの曲に対するヴィジョンが確固たるものであったことを示します)、ブラームスの堅固な構築と、徹底した「音楽の建築学者」でもあったカラヤンのヴィジョンが融合、ベルリン・フィルのメンバーも一心不乱に弾いています。「何事が起きたのか?」と慄然とせざるを得ない異様なほど重厚で意味深い第1楽章序奏部。冥界の門の前での孤独の対話のような第4楽章序奏がカタストローフ的崩落を遂げた後、静謐の中から聞こえてくる有名なホルンの感動的な呼びかけが聞こえたあたり、晩年のカラヤンならではの諦念の陰影が濃い。慣習的アッチェランドも全く自然だし、異常なまでに長く鳴らされる最後の和音は、あたかもこの世=この曲との別れを惜しむカラヤン自身の心情を吐露しているかのよう(音響自体は晩秋の夕暮れに吹き鳴らされるファンファーレのように非常に美しい)。ゴージャスなのに感動的。カラヤン美学の集大成と呼びたくなるゆえんです。

元々せかせかした演奏になりがちでカラヤンとは相性の悪い第3番ヘ長調に関しては、平均的なライブ録音のようで、面白くない(ベーム、バーンスタイン、ジュリーニとは比べ物にならない)。録音もオンマイクで、生々しいが気品に欠ける。
4番ホ短調の80年代の録音でないそうですが、到底完璧にコントロールされているとは言えない(ベルリン・フィルとの関係も悪化の一途を辿っていましたからね)80年代の録音からすると期待できない、という欠陥もあるけど。

というわけで、第1、第2に関しては、これらの曲の真髄に迫る超弩級の名演奏と断言しておきましょう。まさにカラヤンのレガシー」です。