田谷堰まで川を下ってきたが、この川は赤間川?、それとも新河岸川?
地図でみても、最初は赤間川だったが、途中で新河岸川になり、その境目が分からない。
子供のころ遊んだ東側の川を赤間川だと思っていたが、いつの間にか新河岸川になっている。
一体、本当のところはどうなのだろうか?
その参考となる資料を、川越運動公園で行われた産業博覧会で入手した。
「水土里(みどり)ネットあらかわ右岸」でいろいろの資料をもらった。
その中の一つに、「伊佐沼代用水路はなぜ(大)ではなく(代)なのか?」という記事があった。
記事の下に地図があり、田谷堰の上流は赤間川と書かれている。
驚いたのは、田谷堰から伊佐沼まで川があり、旧赤間川と書かれている。
さらに、いまの田谷堰下流の仙波河岸までは新赤間川、その先が新河岸川となっていた。
記事によると、台地の東側を水害から守るため、昭和13年に新赤間川が造られた。
その結果、田谷堰から伊佐沼への水源がなくなったため、入間川を水源とする「伊佐沼代用水路」を開削したと書かれている。
子供のころ、赤間川と呼んでいたのは、新赤間川だったのである。
仙波河岸から上流は、「赤間川」のはずだが、地図には「新河岸川」と書かれていることになる。
新河岸川の名が遡って来た理由は、よく分からない。
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