尚美学園大学の裏から住宅地を通り、左折して緩く長い坂を上り、上りきった少し先で入間川街道に出る。
右手を見ると角に地蔵堂があり、そのお堂の前に白い紙が掲示してあった。
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あれ、こんな所にお地蔵さんがと思ったが、以前の川越散歩21-14で二差路の地蔵として書いていた。
「(白山神社から)さらに前進。新興住宅街のおもむきのある道を300㍍、二差路になる。その中央に、小屋の中に置かれた地蔵が、道しるべのように立つ。」(『埼玉ふるさと散歩』)
お堂の中には、浮彫の地蔵尊が祀られている。
水や花がお供えされ、折り鶴の束も掛けられいる。
地域でも大切にされているお地蔵さんのようだ。
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お地蔵さんの足下の左右には、文字が彫られている。右下は読めるが、左下は読みにくい。
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「享保11年(1726)年という古いもので、「右こま・おこせ道」「左をうき町や・八王子道」と読める文字のとおり、道標であったのである。」(『埼玉ふるさと散歩』)
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最初に目に入ったお堂に貼られている白い紙には、ピンクの蛍光ペンで「本年の地蔵様まつは、中止です。」と大きめの文字で書かれていた。
本文は、
「 令和2年 文月吉日
寿町1丁目自治会の皆様
寿町白山神社総代 ○○ ○
寿町白山神社【寿町地蔵様まつり】について
(前文略)
さて、8月22日(土曜日)開催予定【寿町地蔵様まつり】は新型
コロナウイルス感染防止の観点により中止とさせていただきます。 」
この部分は、ピンクの蛍光ペンで囲われていた。
参考までに、これに続く文章も転載させて頂く。
「寿町地蔵菩薩 建立 江戸時代中期 享保13年 西暦1728年
存在意義としては、入間川街道の道祖神・道標・村の守り神・子孫
繁栄・旅や交通安全の神として信仰され崇められる存在であります。
建立当時は、交通機関未発達で、一般庶民は、徒歩で、かなり遠方
まで所用などで通ったはずである。菩薩の右側には(おごせ・越生町)
左側(おうぎまちや・入間市)とかかれております。
子育て地蔵、子を持つ親が、健やかなる成長を願い敬うありがたい
お地蔵さんとして大切にされている皆様方に感謝申し上げます。」
建立が『埼玉ふるさと散歩』の記述より2年遅くなっているが、理由は分からない。
お堂の脇には、4体の石柱が並んでいる。
一番端は、石仏かも知れない。
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交差点の反対側からこのお堂を見ると、道標となっているのもうなづける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/99/09a94326e694cc98d8c5c56d449264f0.jpg)
ここの地蔵様まつりは、どのような形で行われていたのか分からない。
あちこちでお祭りが中止になっているが、来年は開催できるのだろうか。