もとの道へ戻り左折すると、少し先にY字路がある。
「散歩」はここを左へ入るが、そのまま進むと、道は左にカーブして参道の入口に出る。
参道には石鳥居があり、その先に木の鳥居、さらにその先に赤い鳥居が見えた。
木の鳥居と赤い鳥居は細い道を挟んで建っていた。
先ほどのY字路を左に入るとこの道に出る。
赤い鳥居を過ぎると門柱と塀があり、その奥に社殿が見えた。
社殿の前には、二対の狛犬があった。
「創立の年代など詳しいことはわからないが、断片的な記録を総合すると、元暦元年(1184)鎌倉幕府を開いた源頼朝が、京都から源氏の氏神である岩清水八幡宮の分霊を祀ったのが最初だといわれている。あるいは天長年間(824-33)灌頂院を創立した慈覚大師が、霊感を得て貞観4年(862)に岩清水八幡宮を分祀し、源頼朝がそれを再興したものだともいう。御神体は束帯に威儀を正ししゃくを持った座像で、本地仏は鉄盤に弥陀三尊を鋳出したもので、県の指定となっている。」
拝殿の後ろには本殿が続いていた。
「現在の社殿は享保7年(1722)のもの。」
「この神社には、毎年9月15日に行われる「ほろ祭」といわれる珍しい神事が伝わっている。ホロという、36本の竹ひごに紙花をつけたものを、上組、下組から各二人ずつ出た長男(8歳-12、3歳くらい)が背負い、これをゆすりながら六方を踏んで御旅所まで練り歩く。この神事は元服式に似たもので、氏神へ氏子が仲間入りする古い儀式だといわれ、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている。」
「社宝として徳川将軍家よりの朱印状12点、天正5年(1577)中筑後資信の銘がある棟札、永享11年(1439)奉納の鰐口、関流七伝、前橋藩主手島喜次郎清春の門人沢田千代次郎理則が天保12年(1841)に奉納した算額などがある。」
「また神社の縁起を記した版木6枚と俳句募集の版木1枚、計7枚の版木が伝わっている。いずれも幕末のものだが貴重な史料だ。」
社殿の西側に小さな社がある。
古尾谷八幡神社旧本殿で、県指定の建造物に指定されている。
社殿の東側には、「遊歩道入口」の立て札がある。
ここから神社裏の森をめぐる遊歩道が設けられている。
途中にはベンチもあり、そのすぐ先は荒川の堤防である。
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