川越雑記帳2(川越見て歩き)

26-4 志村家から平野神社

 「神社から南に五分ほど歩くと、志村家がある。ここの初代志村次郎は上奥富村(狭山市)の出身。川越城主松平信綱が慶安三年(1650)城付きの芝地九ヵ村を開発した時の開発引請け人となり、割元触頭に任ぜられた。現在でも「信綱」の刻印のある絵図面や入植者の年次別名簿をはじめ多数の古文書を所有している。江戸時代初期の開発は、川越藩のように藩が独自で行ったものは、関東では少なく、貴重な古文書である。」

 「志村家の不老川沿いにあるのが、平野神社だ。」
 志村家から不老川に向かう。不老川の100㍍ほど手前の交差点左角に平野神社がある。



 来た方を見る形で、平野神社の鳥居を撮った。



 鳥居を潜ると、社殿がある。
社殿と社務所を兼ねたような建物である。後ろから見ると、普通の民家にしか見えない。

 「祭神は牛頭天王。現在は菅原神社に合祀されてしまったので、社殿のみが残っている。志村家文書によると、ここの牛頭天王は戦国時代関東最大の大名、北条氏康が建立したものという。天文年間(1532-55)両上杉氏や古河公方と氏康が川越城を中心に合戦の最中、にわかに悪い風が吹いてきて氏康方は病人や死者が続出して大混乱に陥った。そこで氏康は神のご加護を念じて一心に祈った結果、霊験あって牛頭天王が現われて、たちまち悪い風を退治させ、氏康方は再びもとの活気を取り戻し、川越合戦に大勝することができた。(中略)こうした由緒ある神社が、ご神体の無い「空き宮」になっているのは残念である。」



 参道の右側、階段の上に小さな末社がある。

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