ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

4月の雪

2007年04月05日 22時59分43秒 | Weblog
きのう東京で1988年以来の雪が降ったそうです。
ま、夕方にパラパラ程度だったらしいですが。
4月の雪・・・桜の季節に雪の花が散るってなんか幻想的ですね。

それにしても春を迎えようとしてまた寒くなる。
つかめない天気が続きますね。
昼間はだいぶ暖かいけど、夜はまだまだ寒いし(>_<)
風邪にだけは気をつけようと思います。



さて、ここからはコメントの返答です。
皆さんいつもありがとうございます!!


通りすがりさん>どんなに大切にしていても、気付けば失ってしまっているものってありますよね。
きっと生きることって得ることよりも失くすことのほうが多いような気がします。
誰かの言葉や些細なきっかけでやっと何かを失ったことに気付いたり、逆にいつまでも気付かずにいたり・・・悲しいけれど多分それが人間なのだと思います。
失くしたんじゃなくて、心のどこかにしまい込んでいるだけなのかもしれません。
そう思うと少し悲しみも薄れそうな気がします。


meguさん>やっぱり誰にでもこういう気持ちになるときってあるんだね。
僕もどうやらちゃんと人間だったみたい(^_^;
みなぎってきたパワーの源はどこだったのかな?
元気を分けてもらったおかげで今日はなんだか穏やかです☆


arlecchinoさん>突然来る虚無感って抗うことができませんよね。
頭では「しっかりしなきゃ」って思っていても、心がうまくいかない・・・。
『人間はパンと水だけでは生きていけない』
その言葉の意味がなんだかよく分かります。
やはり人とは一人では生きていけないのだと思います。
誰かの声が、温もりが、きっとその虚しさの中に射す一筋の光になるのでしょう。




人は思考の生き物だから「どうやって生きていく」ではなく「どうして生きている」ということを模索するときがあります。
だけど「生きる意味」に対する答えなんて人それぞれだし、極論を言ってしまえば明確なものなんて何もないと思うのです。
『人の生は即ち修行であり、死を迎えるときにそこから解き放たれる』という言葉を聞いたがことあります。
その言葉に僕はなんだか共感するのです。
僕たちは無垢な赤ちゃんの頃から今まで、傷つくことを繰り返し学び、喜びを見つけ出し心を育んできたように思います。
それが僕の中で先ほどの言葉とリンクするのです。

・・・。
なんか、かたっくるしい説教になってしまいましたね。
申し訳ないです(-_-;
でも最後にちょっとだけ・・・。
僕たちは失いながら、それでも前向きに生きることができます。
そして失った悲しみを分け合える誰かがいることも知っています。
そういった人たちに感謝を忘れない人でありたいし、これはなかなか難しいことだけど、失ったからこそ見える景色を愛していけるような人でありたいなと思います。
コメント (1)
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