ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

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歌詞を考える  ASKA『未来の勲章』

2017年08月18日 22時37分18秒 | 歌詞を考える
こんばんは、ジニーです。


今日は歌詞を考えます。
いま、熱い『未来の勲章』を考えてみようと思います。

先日のMV公開収録で選ばれたこの曲。
なぜこの曲をMV公開収録に選んだのか、と考えたりもしました。
僕の勝手な考えではありますが、それなりの意味を持った歌では
ないかと思ったのです。

歌詞はこちらから『未来の勲章』

最初の一節から難解です。
「台の上の薄い一枚に 僕は細い一本の線を引く
 明日になれば何かが変わってるさ とてもとても揺れてる道だけど」

比喩表現かと思って、いろいろと考えたのですが、しっくりくる答えが出ない。
もしかすると、これってASKAのレコーディングの時の作法なのかもしれませんね。
行き詰ったときに、譜面にその日の進行度合いを線で書き留めておく。
明日になれば今日見つからなかった答えが見つかるだろうというものなのかもしれません。

仕事をしてると、行き詰る瞬間は多かれ少なかれありますよね。
その日突き詰めて出てこない答えは、いっそ日を変えて、頭を切り替えたほうが
しっくりとした答えが出るものです。
こと曲作りにおいてはフィーリングやアプローチ方法など、リセットした頭のほうが
いいアイデアが浮かびそうなものです。

次に続く歌詞を見ましょう。

「この胸に貼り付けた 未来の勲章は
 どんな嘘も真実も痛みも優しさも 抱きしめている」

僕はこの歌の真意がこの2行に込められている気がしてなりません。
これって、ASKAの今の心境を表したものだと感じるんです。

事件を起こして、離れた人もいれば、変わらずそばにいる人もいる。
すべてを知った顔で批判する者もいれば、都合のいいように言葉を繋げ
捻じ曲げた出来事を真実のように伝える者もいました。

そういったすべてを真摯に受け止めていこうと、そういう決意のように感じます。

ASKAは深く頭を下げることだけが本当の謝罪ではないと言いました。
自分のやるべきこと、音楽制作を通して謝罪の姿勢を見せるとも言っています。

ブログを開設したとき、ASKAはそこをオープンな場と位置しました。
批判も書いていいよ、と。
それらにも目を通し、ちゃんと受け止めていく、と。

その姿勢はずっと貫かれています。
ブログのコメントはちゃんと目を通し、時々コメントの中の気になることや
質問などにも答えています。
今回の企画、「ASKAのFellowsを、私が作ってみた」についても
アップされた動画にちゃんと目を通していることが窺い知れます。

歌の中で誓った覚悟、決意をちゃんと守っています。



それでもね、批判の声はやみませんし、咎める者は消えません。
それだけのことをしたし、そういうものだとASKA本人も深く自覚しているはずです。

事件からの3年は世間からすればたった3年であり、もっと反省する時間が
必要だという声はいまだ強いです。

だから、向き合わないといけないと思います。
だから、向き合っているのだと思います。

そういった姿勢が、少しずつ世間に認められ、反省として受け止めてもらえた時が
本当に「反省した」といえる時なのかもしれません。

僕の勝手な想像ですが、ASKAはその時が訪れるまで、この姿勢を崩すことは
ないのだと思います。

つらいと思いますよ。
ゴールが設定されているわけではないのですから。
だけど、きっとそれをやりきるのだと思います。
いまのASKAにはともに未来を向く仲間がいます。
仲間がいるからこそ見れる未来があります。
塞ぐのではなく、ASKAにしかできない償い方をすることに意味があるのかもしれません。


『SCRAMBLE』というアルバムの『僕の来た道』でこう歌っています。

「誰かが見ているなら ハンサムな道を歩きたい
 弱さや不甲斐なさは 堂々と隠してね」


当時、この歌詞を「格好をつけていく」という解釈で聴いていました。
実際そうだったのかもしれません。
でもね、今は「堂々と隠す」というのは、「さらけ出す」と同義に感じるのです。
自分が決めたものを強い意志で貫くという、意味に感じるのです。
そう考えると、この2つの曲には何か双子のように通ずるものがあるような気さえしてきます。

ただの僕の深読みかもしれません。
でも、そう考えると「未来の勲章」という言葉がしっくりくるんです。


いまASKAの胸には勲章が貼り付いています。
それはまだ誰にも見えないものです。

ASKA自身が今回の事件の償いは3年程度では済むものではないと考えているのではないでしょうか?
真摯に音楽と向き合い、更生できることを証明する。
それを世間が認めてくれた時、勲章は初めて誰の目にも見えるように輝きだします。

いつかどこかの未来で輝く勲章、だから「未来の勲章」。
それを付けているのです。

いまASKAは実に堂々としています。
その姿が時に敵を作りがちですが、それでも信念を貫いています。
まだ誰にも見えない勲章を、ちゃんと輝かせるため、決めたことなんだと思います。

「叫びのような声が 五線紙を走って
 手を合わせる祈る歌う運ばれる 運命を浴びる」

これはまさしくASKAですよ。
チャゲアスファンなら、この様子がすごくリアルに浮かぶんじゃないでしょかうか?
ASKAは音楽に対して、どこまでもまじめです。
妥協しません。
いつか足枷となってしまっていた音楽は、いまは翼になりました。



『未来の勲章』
僕はこのように解釈しました。

思い違いかもしれない。
あくまで僕の勝手な見解なので。

でも、似たような想いがこの歌にはきっと込められている。
だからファンの前で歌ったのではないかと感じます。



心に残る旅を、僕もともに歩んでいきたいと思います。
「何様っ!?」と感じるようなこと言って恐れ多いですが、これが僕の想いであり、決意。
僕自身が胸に貼り付けている「未来の勲章」です。
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