K美さんは幼い頃、風呂好きのお父さんに連れられて夜の銭湯へよく行ったそうだ。
手を繋いでお喋りしたり、歌を歌ったりしながら路地を歩いていくのが楽しく、風呂上がりのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳も楽しみにしていた。
だが、塀や空き地だけに囲まれた銭湯までの道のりは薄暗い街灯が照らしているだけで子供心に少し怖かったという。
その夜も手をつなぎ、幼稚園であった出来事をお父さんに楽しく話をしていた。
一区切りついておしゃべりをやめたK美さんはいつもと違うことに気付いた。
K美さんの話が終わると今度はお父さんが面白い話を聞かせてくれるのだが、一向に始まらない。
洗面器の中でカタカタ鳴る石鹸箱の音がやけに大きく聞こえていた。
首を傾げつつ歩いていると数メートル先の電柱の陰に誰か立っているのが見えた。
薄暗いのではっきりと見えないが、背の高い人だというのはわかる。
近づくにつれ、その人がテレビで見たことのある日本兵の格好をしていることがなんとなくわかった。脚にゲートルを巻いているのが暗い中でもはっきり見えたという。
通り過ぎる時、包帯をぐるぐる巻いた顔や手も見えた。包帯の間から片目だけ出て、その瞳が透き通った青い色をしていることもなぜかはっきり見えた。
不思議でたまらず、確認のため振り返ろうとしたが、普段穏やかな物言いのお父さんに「見るなっ」と小声で、だが有無を言わせぬ強さで止められた。
お父さんはいわゆる見える人で、気付いていることに気付かれてはいけないと常々言っていた。
憑いてくるからだ、と。
K美さんは幼いなりにお父さんの言うことを理解していたので黙ったまま進みつづけ、銭湯に着いてからも一切見たもの話はしなかった。
薄気味悪さは残っていたが、大きな湯船の気持ちいい湯を満喫しているとすべて忘れてしまった。
風呂上りにはフルーツ牛乳を選び、お父さんとともに甘酸っぱい味を味わった。
帰りにも同じ路地を通ったが、さっきの電柱の陰にはもう兵隊の姿はなかった。
だが電柱より高い、布が巻かれた丸太が二本並んで立っていることに気付いた。
あれなんだろう?
K美さんは通りすがりにしげしげと眺めた。
丸太の下にも何か二つ並んでいる。
それが丸太の履いた軍靴だとわかった瞬間、顔が引っ張られるように上を見上げかけた。
「K美っ!」
お父さんの声に我に返ったK美さんはしっかり前を見据え、つないだ手を離さないようにぎゅっと握ってそこを無事に通り過ぎた。
その後もたびたび銭湯に通ったが、見たのはその夜の一度きりだったという。
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