山道のドライブを始めて何年になるのだろうか。
毎回ほぼ同じコースで新鮮味や面白みがなくなり、緊張感も欠けてくるが、日帰りのドライブではそう遠出もできず、楽しみの限界を感じていた。
そこで私はルートの拡大を止め、いつものルートから横道に逸れることを思いついた。遠く広げていくのではなく近距離で深くというわけだ。
実行に移すと思いのほか楽しめた。同じ山中でこうも違うのかというぐらい新しい面が見られ、迷い込まないように注意さえすれば日帰りでも十分堪能できた。なぜ今まで思いつかなかったのかとおかしくなるほどだった。
あの日もいつものコースから大きく外れて車を走らせていた。複雑に入り組んでいても、ちゃんと町に繋がっているか地図で確認済みの安心できる道だ。
集落はないが、山道とそれに並行し蛇行する川を挟んだ山々は整備されていて、山深いとはいっても不安を感じるようなことはまったくない。
ずいぶん奥まで来た時、左手にある山の斜面に黒っぽい丸太を組んだ伏せ込みが見えた。この道に入る手前にあった産直の店でシイタケが販売されていた。肉厚でおいしそうだったので購入したのだが、そのシイタケのホダ場なのかもしれないと思った。
すぐ通り過ぎてしまうほどの規模かと思いきや、緩やかな山の斜面の木立の下にホダ場がずっと続いている。かなり大きな規模なので、シイタケはこの土地推しの特産物に違いない。
そう思いながら進んでいると、薄暗い木立の影に一瞬明るい色が映えた。
「今のなんだ?」
家電量販店の店員が着るようなオレンジ色の法被を着た人のように見えたが、人にしては真っ黒で細すぎた。
確かめようかと迷っている間にずいぶん先まで進んでしまった。
たぶん案山子だ。
確認に戻るのも馬鹿らしいのでそう思うことにした。
だが帰宅し、日が経つにつれ、あれが本当は何だったのか気になって仕方なくなった。
思い起こすと派手な色の法被を着て両手を前に突き出したやけに細くてまっ黒な人が瞼の裏に浮かんでくる。法被はともかく、実際にそんな細くて黒い人間がいるわけがないので、だったらやはり案山子じゃないかとなるわけだが、どうも気になる。
よし、もう一度行って確かめてみよう。
こういうものは、どんなに探しても二度と見つけることは叶わなかったという結末になりがちだが、それはそれで構わない。
そういうわけで、きょう私はあの日と同じルートを辿っている。
細部まで確認できるよう双眼鏡まで用意してきた。
それで案山子なら納得がいく。派手な色の服――たまたまあったのが法被だったのだろう――を着せ害獣からシイタケを守っているのだ。
もしきょう、それが見えなかったら、たぶんそれはホダ場を見回りしていた人間だったのだろう。異常な黒さや細さは気になるものの、ほんの一瞬だったから木立の影のせいでそう見えたのかもしれないし。
もしどちらでもなかったなら、霜除けのビニールシート――オレンジ色なんてあるのか知らないが――などが風で舞い上がり、法被を着た人の立ち姿に偶然見えただけかもしれない――などなど様々な可能性に思いを巡らせる。
こんなことくらいでここまで来るなんて、友人に知られたら思いきり笑われるだろう。だが、私は確かめたくて仕方なかった。
果たして――山の斜面のホダ場にオレンジ色の法被を着たものが立っていた。
車を止めて車外に出る。あの日もそうだったが、他に走行する車もなく、人目を気にしないで双眼鏡を覗けた。
やはり案山子だった。
法被から出ている首から上の頭の部分や腕、腰から下は人型にうまく組まれた古い丸太で、用を終えたホダ木を使っているのか、真っ黒く萎んでかさかさに朽ちかけている。
派手な法被との対比でなかなか不気味だ。害獣に効くというよりシイタケ泥棒に効きそうだ。
「うまく作ったもんだな」
独り言ちながら、なおも双眼鏡を覗き込んでいると、法被から伸びる手足が微かに動いたように見えた。
いやまさかな。
いったん双眼鏡から目を離し、裸眼を細め眺めてみたが何もわからない。
じっと眺めているからそう見えただけだ。錯視ってやつ? きっとそれだ。
そう自分に言い聞かせ、再び双眼鏡を覗く。
案山子は動かなかったが、さっきと立ち姿が微妙に変化しているように思えた。
これも錯覚だ――再びそう納得しようとした時、
「なにしてるんや」
突然背後から声をかけられ飛び上がった。
食い入るように覗き込んでいたので、人の来た気配にまったく気づかなかった。悪いことをしているわけではないがどぎまぎして、シイタケ泥棒の偵察に間違われているかもしれないと後ろめたさを感じた。
「いや、あの――そのぉ――バードウオッチングしてまして――」
へらへらと言いわけしながら振り向いた。
「ここらにおまんが見るよな鳥らおらんで」
麦藁帽を被った百姓姿の老人が三人立っている。下手な言い訳などお見通しだという眼つきで睨んでいた。
一瞬ひるんだが、それは睨まれているからではなく、老人たちの顔一面に出た吹出物が不気味だったからだ。
「す、すみません。実はあの案山子が気になったもので」
食い入るように見ては失礼だと、私はすぐ老人たちの顔から目を逸らし、ホダ場を指さして正直に白状した。
老人の一人が笑った。
「ありゃトメさん言うてな、案山子やないで」
「いやゲンさん、ありゃもう案山子やで」
隣の老人も笑い、もう一人も「そやそや」とうなずく。
「あー、別にシイタケを盗みに来たわけじゃないんで――ご心配かけました。じゃ」
老人たちの会話が意味不明な上に、なぜか背筋がぞっとしたので、私は会釈して早々と車に乗り込もうとした。
「ちょ、待ちない。ここで会うたんも何かの縁やで」
ドアにかけた手をつかまれた。その手にも顔と同じようなできものが無数にできている。それは小さなシイタケの形をしていた。
「おまんもきょうからわしらの仲間や。人に植菌したシイタケは特別うまいで」
「値も張るしな」
「そやそや、案山子になるまで、まあ頑張ろうや」
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