ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

言葉を求めると いつか言葉に裏切られる

2017年09月21日 19時27分41秒 | owarai
『愛していると
言葉でいってほしい・・・』

「どれくらい私のこと愛して
いる」と聞いてみたい。

毎日愛しているといわれ
たい。

お決まりの愛の言葉をいう
ことは、それほど難しいこと
ではありません。

でも、言葉は2次的なものに
すぐないのです。

言葉が先にあって好きになる
のではなく、

また、愛がなくても、愛している
といえるのです。

言葉を求めると、
いつか言葉に裏切られます。

「母親の口がだんだん大きくなる」

2017年09月21日 13時42分14秒 | owarai
母の日の翌日、同じ幼稚園に
二十年間通い続けて、幼児たちに
母親の顔を描いてもらっている

ある児童学者が、「子どもたちの描く
絵に、最近二つの変化が現われた

目尻が釣り上り、口が大きくなっ
てきた」と言っていました。

子どもは正直です。母親の顔から
笑顔が消えて、子どもを睨みつけ、
大きな口を開けてガミガミと怒鳴り
つける母親の顔が見えてくるよう
です。

世の中は、自分の思うようになら
ないことのほうが多いものです。

我が子ながら、情けなるときもある
のでしょう。だからといって、親の
顔から笑顔が消えてしまったら、
子どもが可哀そうです。

笑顔は、心のバロメーターでもあり、
幸せへのパスポートです。

人もチャンスも、明るく温かいとこ
ろに集まり、育ち、栄ます。
笑顔の御利益は沢山あります。
1、笑顔は相手に安らぎを与え、周り
を和やかにし、やる気と自信をもたら
します。
2、笑顔は健康の特効薬です。
3、人を魅力し人間関係をよくします。
4、笑う門には福来ると言います。
5、その人の品性が高まります。



「裸足の伯爵婦人」

2017年09月21日 04時11分41秒 | owarai
好きな映画のひとつに「裸足の
伯爵婦人」というのがある。と
は言っても、私はこの映画を実
際には観てない。

知っているだけですっかり観た
気になっているのは、音楽なら
ボレロは聞こえてきそうな、こ
の素敵なタイトルのせいに違い
ない。

それから受ける印象は、優雅で
野性的で繊細で大胆で、その上
とてもセクシー。

だから長い間、大人になったら
こんな女性とお付き合いしたか
った。

子供の頃から、実家の商売で
女性を見ていてただ優しく可愛
らしく、上品な女なんてつまら
ないと思っていたということは、
私はかなりおませで、

女性の本質が逞しさと優しさを
兼ね備えた“しなやかさ”にあ
ることを、感覚的に知っていた
ことになる。

良い車の条件は、と尋ねられて、
「裸足の伯爵婦人」を思い出した。
性別で分けるとやはり“彼女”だ
ろうか。それも飛び切り魅力的な
彼女。

「それに乗ると、不思議に旅に出たく
なる車」
乗っていると。ふと気持ちが誘われて
しまいそうなのが良い。

「裸足の伯爵婦人」はしなやかで自
然体だ。自由が似合う。良い女はいつ
だって誘うのである。

私達の心を素敵な旅へと。それが良い
女の良い女たる由縁である。
そして、良い車にもきっと同じこと
が言える。

放念ください、「母がのこした”壮絶な愛”」

2017年09月21日 03時49分39秒 | owarai
私は幼い頃、母と別れたのですが、
作家の西村滋さんは、母の恩に
ついてこう語っている。

「優しかった母が結核に罹って
隔離された。大人たちは近寄ら
ないようにと言うが、幼時のこ
とで母恋しさに近寄ると、

母は私を見るなりに罵声を浴び
せ、コップやお盆などを手当り
次第にぶつけてくる。

顔は青く、髪を振り乱して荒れ
狂う姿は、鬼としか思えず、次第
に母を憎悪するようになった。

いつか、ぐれて少年院にいた。
そのときに、昔の家政婦さんが
来て告げた。

『私はもっとあの子に憎まれたい。
私はあと一年か二年の命です。
あの子は幼くして母を失うのです。

幼い子が母と別れて悲しがるのは
優しく愛された記憶があるからで、
憎らしい母親なら死んでも悲しま
ないでしょう。

夫もまだ若いから、新しいお母さん
が来るでしょう。

その方に可愛がってもらうためにも、
死んだ母親なんか憎ませておくほ
うが、あの子のためです』と。

それを聞いて、私は立ち直ることが
できた」
なんと壮絶な母の愛ではありませ
んか。

お金とか土地とか家などは、残して
かえってためになりません。

自分のつらさを隠して無償の慈しみと
愛の強さを、心から痛感しました。

♀「元カレの不幸を望む」煩悩 Ⅱ

2017年09月21日 01時19分38秒 | owarai
自分が「ふった」彼に対して、
女性というのは非常に
寛容です。が、
「ふられた」となると、話は別。

別れた後は、
「不幸になりますよに」って、
願う、

まれに
「もどってきますように」
と祈る。


男性の場合、
ふられたのがショックでス
トーカーになってしまう、と
いった話はあっても、

「絶対にあの女が自分より
幸福になりませんように!」
などと祈った、という話は
聞いたことがない。

 男性の方が女性より優しい
から、こうなるのか。
それとも、女性の方がこと
恋愛において負けず嫌いの
性質をもっているから、こう
なるのか。

まあ、いずれにしても男性は、
下手に女性をふらず、
嫌な男になってふられた方が
身のためか・・・・・。