ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

前向きに生きています。
健康で楽しく生活できたらそれが一番
周りの人たちを、元気にできる自分でいたい。

「ちゃこ花房」

2019年03月30日 | Weblog

「ちゃこ花房」 タイトルの由来

 

 

私がパソコンを始めたのは、1997年。当時小学校を卒業した12歳のナガオ(長男)が、オーストラリアのシドニーに留学しました。

彼の留学期間は12年にも及ぶことになるとは思わず、その間色々とありましたがナガオは本当によく1人で頑張ったと思っています。

まだ12歳でした。ついこの前までランドセル背負った小さい少年が、大柄の人種のオーストラリアでホームステイとはいえ、辛くないはずはありませんから。

 

まず私がしたことは「インターネット」とはなんぞや?から始まり、息子とネットを通じて会話するためにパソコンを習うことから始まりました。

 

当時ようやく一般家庭に「Windows95」が出回るようになったころ、我が家に運び込まれた馬鹿でかいパソコンは「Windows3.1

「なんですか?これ」状態のパソコンの前で、電源つけた後何をすれば良いのかさっぱりわからず、本屋へ行きました。本棚から(Windows3.1」の本を手に取りとりあえず購入。

 

家に帰りパラパラとめくり.......

ワープロも触ったことないのに、訳のわからぬ用語に

「こんなん触れるかいっ‼️」状態でしばらくナガオとはファックスのやり取りが続きます。

が、当時の電話代に慄く主人と私。

 

テレビ電話がある!と主人が値段を調べるととんでもない金額、、、、。

 

最寄りのパソコン教室へ駆け込みます。

「インターネットがしたいんです!」

 

あ、ここからは過去の日記を転載することにしますね。

  「猿でもできるインターネット!」のうたい文句に惹かれて ~第一章~

ワープロも触った事もなかったわたしがこうしてHPを作るまでになったのは、現在15歳になる長男が12歳のときシドニーに留学したことがきっかけだった。今から3年前、1997年の春の事である。   12歳といえば、小学校を卒業したばかりのまだまだ子供。留学行きは最終的には息子本人の判断だったが、留学行きを強く希望した夫がレールに乗せたようなものだった。留学の件については、夫婦でも散々議論したが、本人にその気があればこれもいい経験では?ただし、精神的なフォローをなにがあっても夫婦でやる事。どうしてもだめなら、帰ってくればいいんだから。私はそう考えて息子を出す決心をしたのだった。そして、小雪の舞い散る寒い小学校の卒業式を終えた後、、しばらくして彼はシドニーに旅立った・・・・・・。昨日まで、一緒に暮らした長男がいない。   朝目が覚めて、ああ、もうここには息子がいないんだ、と自覚する。当然のことだが、彼の部屋にも、テレビの前にも、リビングのソファーにも彼の姿はないのだ。絶えられない。とたんに胸が締め付けられ、   顔を覆って泣き出していた。母子で散々泣いた。   当時の頃を思い出すと今でも胸が締め付けれる。   お酒もたくさん飲んだし(キッチンドランカー状態)   酔ってよく夫にからんだ。ほとんど八つ当たりだった。子どもを夫のために引き裂かれたようなそんな感じだったのだろうか。外に出るのもおっくうで、特に長男と同級生の子達の地元の制服姿を見る事ができなかった。ほんとうなら、長男もこの中にいて、登校してたんだ。そうおもうと、泣けてきて仕方がなかった。同級生だったお母さん方に会うのもいやだった。長男のことを聞かれたら泣いてしまうだろうから。   下にもう二人息子がいる(現在12歳と11歳)のだが、またそれは別なんだと思った。二人いても、寂しいものは寂しい。 ちゃんとご飯は食べてるのか?とか、誰かに苛められてないか?とか、寂しすぎて変なこと考えてないか?とか。日本人はお金持ちだと思われて、誘拐されないかとか、そんなことまで考えてしまっていた。その時期、ケアンズで日本人女性が殺された事件を、ニュースで聴いた時は気が狂いそうだった。今すぐにでも飛行機に乗って長男の元へ行きたい!地球の裏側に暮らす息子とのコミュニケーションは やはりなんといっても電話だ。寂しい息子からは頻繁に電話がかかってくる。「もう耐えられへん」   「日本に帰りたい・・・」長男はほとんど鳴咽状態だった。私は言う。「帰っておいで!もういいから帰っておいで!しかし夫がそれを許さない。「行くの決めたんはおまえ自身やろが!!」「男なら、穴割らんと最後までやらんかいっ!」「男に二言はないっ!!」   この言葉を、決して私の前では夫は言わない。   夫はこうして、ホームシックの息子に叱咤激励というよりは、プレッシャーを与えていたらしい。私に内緒で会社から電話を入れていたのである。き===-!   夫が憎い。 第二章

「ちゃこ花房」のタイトルになったのは、当時ホームページを作った私がやったこと、それは自分で育てている「花」をアップすること。大好きな花をせっせと世話をすることは私のストレス解消でした。

「ちゃこかぼう」と読む「ちゃこ花房」はここから始まり今に至ります。

気がつけば22年。誰が読んでくれてるのかもわからないサイトで、記録のように書いてきました。

ホームページからブログの時代に入り、いまやSNSですか。

「ネットミーティング」「Microsoft chat」「ICQ」「mixi」「Facebook」「Twitter......

 

気がつけばパソコンから、携帯時代に突入してガラケーからスマホの時代。

猫も杓子もスマホ。一家に一台の黒電話、1人に一台の時代からスマホの時代ですよ、皆さん。

 

もう若い子たちにはついていけないけど、パソコン時代を見てきた5○歳のおばあちゃん、

「ちゃこ花房」はできる限り、ぼちぼちと更新していきたいと思ってます。

Windows95→Windows98→→Windows2000→Windows Me→Windowsxp→windows7から10

OSは次から次に変わり変わり

パソコンは4、5台買い換えたと思います。うち一台は大阪日本橋でパソコンキットを購入、自分で組み立てたのは今では懐かしい思い出です。

今でもデスクトップが好きですが、移動するのにノートパソコンも使いました。ノートパソコンは4台目

うち2台は中古で、この買い物は失敗でした。ノートパソコンの中古はデンジャラス

現在はノートパソコンです。画面が小さいのが嫌で、横に 大きなモニタを置いて大きな画面でパソコンは触っていますが、家では資料を作る以外、iPadとスマホばかりですね。

スマートフォンもPC同様、使える限り買え買えない時代が近づいている?

 

パーソナルコンピュータ史

像は4年ほど前、インドネシアのジャカルタの銀行博物館で撮ったものだったと記憶しています。

次回へ続く

 

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