ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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桜の花の咲く頃に

2019年03月26日 | Weblog

桜の花が咲く時期がやってきました。

「ちゃこ花房」と言うホームページを私が立ち上げたのは23年前。今はブログだけを更新しほぼ放置のサイトですが、当時は色々なメニューがありちまちまと更新していました。

その一つに「雑文」と言うのがあり50話ほど更新していました。

下の雑文は20年前、当時36歳の時に書いたものです。

桜の咲く時期になると決まって思い出す田舎の風景が私にはありますが、この時期日本全国どこにでも咲く桜の花には、みなさんにも色んな思い出や風景があるのではないでしょうか。

桜の花の咲く頃に
桜の花が咲く季節が、もうじきやって来る。
この時期が近くなると、決まって思い出す田舎の風景がある。家の近所に、短い桜並木があって、その桜並木の緩やかな坂道を歩いていくと(道路は舗装されていない、土の道)奥は深緑の水源地と山である。
上から下を見下ろすと、桜並木の向こうに道路を挟んで、海が見える。
桜並木の横には、小さな川が流れていて、わたしは、子どもの頃よくここへきて遊んだ。
梅雨の時期になると、石垣の間から出てくる恐ろしいほどの数の赤手ガニを見る事ができた。
雨上がりに、岩の陰から無数の赤手ガニが顔を出している光景など、今の子どもたちがお目にかかる機会は少ないであろう。
川に生息し、海で産卵するというこのカニにとってここは、格好の住処だったのだ。
桜の花の散る頃には、ざわざわ、、という木々の音とともに、桜の花びらが、さ~っと散る様を見るのがたまらなく好きだった。
花びらが散ると、土色の道は淡いピンクの絨毯を敷き詰めたような色になり、踏みつけるのがもったいないような気がした。
桜の花の 散り方の潔さは、美しいだけではなく、なにかこう、心を強く突き動かされるような感動を覚え、数十年たった今でも当時の情景をはっきり思い出す事ができるのである。
わたしの父は8年前、55歳のとき、すい臓がんで亡くなった。わたしが29のときである。
いつの頃からか桜の花の咲く時期が近づくと胸が騒ぎ出し、胸が締め付けられるようになっていた。
それは多分、父が亡くなる前、病室の窓から桜のつぼみを眺めながら、桜の咲く頃には、わたしと孫にに会う事ができると、ずっと心待ちにしていた父を思ってかもしれない。
父の危篤の連絡がはいり、わたしはすぐに実家に帰省したが父の死に目には会えなかった。
その時の心残りが、桜の咲く時期になると、当時の思いを彷彿させるのかも知れない。
昔桜の散る音を聞いた歌人がいたらしい。余命いくばもないこの詩人、研ぎ澄まされた病人の神経には桜の散る音が血の流れる音のように聞えたと詠っていた。
その昔、桜の木の下には人の亡骸が眠っているといわれていた。
桜の花が美しいのは、命のすべてを吸い取って生きているからかもしれない。
桜は散っても、又蘇る。それはまるで、永遠の命のように思い出させてくれるように。
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