4日まえ、
めまいで倒れてしまったワタシ。
布団から一歩も出られずにしんどかった。
もちろん、
何も口に出来ず。
水分も取れず、脱水状態。
丸一日、寝たきり、、、
それでも何か食べなくては、、、
と無理して口にするも、からだが受け付けないのでどうすることも出来ず。
トイレにも決死の覚悟で行ってるくらいなので、
当然病院にも行けず。
なんとか夜中の受診で点滴をしてもらうことが出来て、
ちょっとは楽になってたのかな。
翌日は
少しからだを起こせるくらいになってた。(ほっ)
で、
母が
何か食べさせなくてはと、
口に出来そうなものを何かと工夫してこしらえて
枕元に持ってきてくれた。
はじめはおかゆ。
それもワタシの注文どおり、ゆる~いの。
ゆっくりと少しずつ口にした。
しばらくして、
小さめの真っ白い器に
ほわ~っと香りのたつものを持ってきてくれた。
枕元においてくれたのだが、
そのときのワタシの鼻には刺激を感じた。
母は悪がって、
持ち去ろうとしたが
ワタシは母の気持ちを察し、傍らに置いておいてくれる様に頼んだ。
少し冷めて、香りが和らいだら、口に出来るとも思ったから。
そのときは、意外とはやくやってきた。
まだほわ~っとした温かさが残っているうちに、
ワタシはそれを食べることが出来た。
ゆる~い薄味の茶碗蒸し。
玉子だけの小さなかわいい茶碗蒸しだった。
香りがきついと思っていたのに、
食べてみると、
味の加減が、食欲のなかったワタシを別人にした。
ペロリと食べちゃった。
昼前には、精がつくようにと、
白身魚と一緒に炊いた長芋をふた切れ。
アボガドはさっぱりとサラダ風にして、ひとくち持ってきてくれた。
これもゆっくりといただいた。
この後眠ってしまっていて、
遅いお昼にと
母が用意してくれたのが、
これだった。
やさしい味だった。
昼前に、おそばを食べたいといってた私の注文を
少しだけ聞いてくれてた。
じつは、
茶碗蒸しを食べたとき、ワタシは母の偉大さを改めて感じていた。
だからこそ午後には、食前にこんな写真が取れるほどの活力も出たのだろう。
ワタシの具合を見て、ちょうどいい加減のタイミングを見計らって
食べられそうなものを届けてくれる。
しかも正真正銘の母の味で。
小さな頃の、
記憶の母の味とはちょっと違うと思うのに、
でも
確かに
母の味だったのである。
ワタシの記憶が、間違ってるのかと思うと同時に、
母もあの頃は仕事に追われ、
こんなにゆっくりと料理できなかったのかとも思う。
今、ワタシもこの歳になって
母の味をゆっくり、大切に味わうことが出来て、
ほんとにほんとに良かったと思う。
みくち目を食べたとき、
自然と
涙がこぼれていた。
ワタシも母になりたいと思った。