スポーツに真剣に取り組んだ事の有る方なら、
その辛さ、しんどさを良くご存知だろう。
その経験は人の心と体を逞しくしてくれたり。
人に己の弱さと限界を教えてくれたり。
他人に対する思いやりみたいなものを
教えてくれたりする。
苦しさを共有した仲間は、
生涯の友となったりする。
自分も柔道部をやり切った時に、
「部活の苦しみを思えば、
この先の人生
大抵の事は乗り切れるかも・・」
そんな風に感じたし、今もそう思っている。
手前ミソだけど・・ ( ̄▽ ̄)
そういいうところがスポーツの
価値なんだろうな、と感じている。
と書いて、この話を終わりにしょう。
オリンピック選手団が帰国。
今回は史上最多のメダル獲得という
成果が強調されている。
素晴らしい!
が、良く考えないとね。
勝つことは目標だけど、目的ではないと
自分は思っている。
メダルが目的になってしまうと、
勝つためには何でもするとか。
勝ったんだから、強いんだから、
どんな態度も許されるとか。
そんな事になってしまう。
あくまで目標と目的は違う。
選手たちが勝つために競技に
打ち込んでいるのは良く分る。
が、形としての成果にだけ
我々が目を奪われていると、
せっかくの価値が台無しに
なりかねない。
そんな風に思うのだよね。
だから是非、そこんとこにも
チカラを入れて報道して
もらいたいと願うのだ。
自分が感じるスポーツの魅力。
それはチャレンジする楽しさだと、
自分は感じている。
もちろん仕事でも、文化的な事でも、
チャレンジはある。
ただスポーツの場合、チャレンジには
肉体的なツラさがもれなく付いてくる。
その苦しさったら筆舌に尽くし難く、
多くの人間は逃げる。
自分も逃げた。
でも今は、その苦しさの向こうに
極上のエクスタシーが隠れている
事を知っている。
苦しみを乗り越えた者が
得られるエクスタシーは、
どんな宝石よりも価値が有り、
どんな豪華な料理より美味。
魂を高揚させる、至極の官能である 💛
苦しいチャレンジは、
それを得るために必要な、
前戯の様なものか・・
冬のオリンピックが閉幕。
チャレンジする人達の姿に、
たくさん感動した (´ω`*)
つぎはパラリン!
4月頭に、
ちょっとした宴会の賑やかしとして
演奏する機会ができた。
その演奏に参加する新メンバー(♂)
年齢24歳。
Ken坊の娘1号が23歳なので、
かろうじて・・だけど、ほぼ息子。
我が子よりも年下のメンバーと演奏する、
ブラックデーは刻々と近づいている(笑)
ジェネレーションギヤップ??
いえいえ、力づくでも
オッサンのペースに持っていく
昨夜は打ち合わせという名の宴会。
若いパワーに押されて、
久しぶりに深々と酒を飲んだ。
オッサンはへろへろ。
いきなり向こうのペースである ( ̄▽ ̄)
最寄り駅が、絶賛改良工事中。
線路の片側にしか改札が無いため、
乗り遅れまいとする人が
遮断機をくぐったり。
ホームの移動には階段を上り降り
せねばならず、
お年寄りには厳しかったり。
といったところが改良の理由のようだ。
それはそれで良い事だが、
自分がこの地に越してきてから
馴染んだ景色が変わってゆくのにも
感慨を覚えたりもするのである。
街は生き物だねー。
そだねー。