あしたはきっといい日

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あえかなる部屋

2015-10-12 22:00:17 | 映画を観る
先日、中村佑子監督の映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』を観た。

数か月前、脳科学者の茂木健一郎さんのTweetで内藤礼さんという現代アート作家の方について知り、この映画にたどり着いた。そして、必ず観ようという気持ちを繋ぎ止めるため、別の映画を鑑賞した後に上映劇場に寄り前売券を購入した。

映画は、中村監督から内藤さんへの取材依頼から始まる。監督自身の語りとともに映し出される映像は、再現なのか、それとも実際その時に撮られたものなのか。そんなことを考えながら、監督と内藤さんとの間の、朧げに見える繋がりが少しずつ強くなっていくように感じながら、スクリーンを見つめていた。そして、内藤さんからの突然の取材拒否によって、映像の見た目は大きく変わっていった

中村監督が内藤礼さんを取材しようと思われたきっかけは、香川県・豊島美術館の内藤さんの作品「母型」との出会いだったそうだ。

僕は5年前に瀬戸内国際芸術祭を観賞するために豊島を訪れた。



その日は天候に恵まれ、電動アシスト自転車を借りて島巡り・アート鑑賞を楽しんだ。





けれども、訪れた10月初めにはまだ豊島美術館は完成しておらず、この作品を鑑賞することはできなかった。
そして、一昨年は豊島をコースから外してしまったため、残念ながら未だに鑑賞できていない。


さて、内藤さんからの取材拒否によって、映像の見た目は大きく変わっていった。
内藤さんの姿・声が消えるとともに、一人の女性が登場し、更に4人が加わり、豊島美術館の内藤さんの作品「母型」に集う。

その姿に、中村監督、内藤さん、そして5人の女性たちが、直接もしくは作品を通じて互いに影響し合っていることを感じた。

映像の見た目は変わったものの、映画の本質は変わっておらず、中村監督が追い求めたものが見えたような気がした。実際にそれが彼女が追い求めたものなのかはわからないけど、そう僕が思えたのなら、それでいいのだろう。

不思議な映画だった。こうして感想を書いてみたものの、読んでくれる皆さんには伝わらないかもしれない。でも、それでいいのだと思う。

豊島美術館をこのような形で見てしまったけど、あの中に入ることが彼女の作品を鑑賞することなのだろうから、いつかこの作品を鑑賞したい。その時、隣に誰かがいて、なんとなく共鳴できたらとと思う。

わかりやすくはない。わからなくてもいいと言ったら乱暴かもしれないけど、興味を持っていただけたらぜひ観ていただきたい映画だ。

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