あしたはきっといい日

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沈黙 -サイレンス-

2017-02-01 23:51:43 | 映画を観る
昨夜、映画『沈黙 -サイレンス-』を観た。

この映画のことは、モキチ役で出演されている塚本晋也さんのツイートを拝見し結構前から知っていて興味はあったのだけど、年明けに視たドキュメンタリー番組によってチケット売場に誘われたのか、前売券を購入した。

いつ行こうかと思っていた先週、窪塚洋介さん、イッセー尾形さん、塚本晋也さんの舞台挨拶があると知り、事前にネットで座席を確保して当日を迎えた。

この映画は、江戸時代の長崎での苛烈なキリシタン弾圧を描いた遠藤周作さんの小説を読んだマーティン・スコセッシ監督が、長年構想を温めてようやく完成させたという。その思いが、2時間41分という長編の最初から終わりまで、隙なく紡がれていた。

「踏み絵」をはじめとしたキリシタン弾圧については、学校で習った程度のことしか知らない。15年ほど前に長崎を訪れた時、西坂の平和資料館とともに26聖人記念館を訪れ、その片鱗に触れたけど、その後、彼らについて考えることはほとんどなかった。なので、この映画によって当日の弾圧がいかに苛烈なものであったかを知ることができたといっても過言ではない。



舞台挨拶で皆さんが話されたことは、笑えるところもあったけど、いろいろ考えさせられた。そう、今この国を覆っている見えないヴェールについて窪塚さんが触れられていて、そうした思いを共有したいと思った。

映画には、モキチという敬虔なキリシタンと、キチジローという優柔不断な男が登場する。対照的な彼らの姿を観ながら、果たして今の自分はどちらだろうかという思いが湧く。

実は、昨年末に退職した。すぐに次の仕事が見つかったからよかったけど、辞める前の自分を思い出すと、この映画に描かれているものが、当時の彼らが受けた苦しみに比べれば屁でもないけど、あの時の自分に重なった。


社員に対し、自分と同じ価値観を持たせたいと思う経営者の行動に疑問を持ち、反発するようになっていた。すると突然、上司を介して「辞めるか、それとも別の部署に行くか」と言われ、「辞める」という言葉が喉元まで出てきたものの、以前も軽率に退職して時間とお金を失ってしまったことがあったので、とりあえずは別の部署に行くことを承諾しつつ、時間を稼いで他の仕事を探し、ギリギリのところで逃げ出すことができた。

「同じ価値観を持たせたい」という経営者の気持ちは、僕からは原理主義的に見えた。けれども、「多様性こそ組織の力」という思いから反発した僕も、経営者と同じように原理主義的だったのだろうか。そう思ってはいないけど、端からはそのように見えたのかもしれない。

こうした原理主義的な考え方は、共産主義国家やイスラムの国々を例に挙げる前に、自分たちの身近にある。もしかしたら「この道しかない」と叫ぶのも一種の原理主義かもしれない。

誰もが自分らしく生きる権利がある。それは普遍的なものであってほしいけど、それすら儘ならない国・地域もある。そして、私たちが住む国では、民主的な手続きを通じて「私らしく」生きるのが難しい世の中になっているように感じる。


僕は年末に逃げることを選んだけど、昨年ヒットしたドラマのタイトルを例に挙げるまでもなく、逃げることが悪いとは思わない。
ただ、逃げずに耐え続けながらも、自分を失わずにいるという選択もあったのかなと、映画を観終えて考えた。


窪塚洋介さんは、優柔不断なキチジローの憎らしさと愛らしさを魅力的に演じられた。イッセー尾形さんの「いのうえさま」に苛立ちを感じた。

モキチには塚本晋也さんの誠実さがにじみ出てくるようだった。そして、モキチの父・イチゾウを演じた笈田ヨシさんの佇まいが美しかった。


自分のことを書くのはどうかと思ったけど、これからこの映画を観る方には、自分と彼らを重ねてみてほしい。いや、それは僕が言わなくても…

当時のような苛烈さは身を潜めているけど、その代わり、じんわりと息苦しくなっていくような今の時代にこの映画を贈ってくれた監督・スタッフ、そして俳優の皆さんに感謝しつつ、「失いたくない自分」とは何なのかを考え続けていきたいと思う。

転んだとしても、また立ち上がり歩き出せばいい。
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