あしたはきっといい日

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The NET 網に囚われた男

2017-02-12 22:53:10 | 映画を観る
今年になって環境が変わったこともあり、観たかった映画を積極的に観に行こうと思っている。
ということで、一昨日は仕事帰りにキム・ギドク監督の『The NET 網に囚われた男』を観た。

キム・ギドク監督の作品を観るのは『嘆きのピエタ』以来になる。『メビウス』も『殺されたミンジュ』も観たいと思いつつ、チャンスを逃してしまった。いや、寓話的な物語は好きなのだけど。、暴力的なシーンが苦手で避けてしまったというのもあった。それでも、今回は劇場に足を運んだ。

映画は、北朝鮮に住む漁師ナム・チョルの朝の様子から始まる。小さな家での妻と娘との仲睦まじさが、夫婦が愛情を確認するシーンと共に伝わってくる。小さな船を海に出していくと、途中でエンジンに網が絡まってしまう。操縦できない船は漂流し、境界を越え韓国側の岸に辿り着いてしまう。

そこで彼は韓国の当局に北朝鮮のスパイではないかと疑われ、拷問を交えた執拗な追及を受ける。チョルの願いはただ、北朝鮮で彼を待つ妻子のところに戻ること。けれども、韓国当局の人間は「北に戻る」より「ここに残る」ことの方が彼にとって幸せだと説く。そこに悪意は全くなく、だからこそなのか、チョルの思いを汲み入れてくれることはない。

そんな中、ある出来事がきっかけでチョルは北朝鮮に戻れることとなった。帰還した彼は華々しく迎えられたものの、その後すぐに「南で何をしていたのか」と北朝鮮当局の尋問を受ける。心折れ生活のリズムが狂い出し、そして生計を立てるための漁に出ることも禁じられた彼だったが、当局の制止を振り切って海に船を出していく…


衝撃的なシーンはいくつかあったけど、比較的穏やかに、淡々と進んでいったような感じがした。けれども、妻子のところに帰りたいというチョルの強い思いが伝わってきて、何とか彼を返してあげたいという思いでスクリーンを見つめていた。物質的には韓国に住む方が豊かだというのは疑いようがないけど、それが全ての人にとって絶対的な尺度・価値観にはならない。そして、ソウルの街に放り出されたチョルの取った行動に、そうした価値観に囚われたくないという彼の恐れを感じた。

そう、韓国当局で執拗な尋問をする男の残酷さに怒りを感じたけど、それよりも、チョルに韓国への帰順(亡命)を迫れという上司の、それが絶対的に正しいと信じる姿に恐ろしさと強い憤りを感じた。

北朝鮮でチョルを厳しく尋問する男の姿には、薄っぺらさしか感じなかった。その薄っぺらさを描くシーンが出る前から、そう感じていた。薄っぺらいことが独裁者を支える力になるのかもしれないというのは、ヒトラーの残虐さを支えたアイヒマンの例を挙げるまでもないだろう。


チョルは網に囚われて北と南の体制に翻弄されたけど、果たして網に囚われているのは誰なのかと考えた。そして、日本人としてそんな状況を他人事として見てはいけないのではないかと思った。その視点を誰かに押し付ける気はないけど。

網に囚われているのは誰なのか。自分は網に囚われていないかと、時々、考えてみたい。
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