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さらば、小林繁

2010年01月18日 22時30分00秒 | 日本のプロ野球

昨晩、携帯電話からYahoo!ニュースでこれを見つけた時、心底愕然としましたよ・・・・・



小林繁氏が急死…通算139勝、巨人と阪神で活躍 (毎日新聞)
 江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍したことで知られる、巨人や阪神で投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏(57)が17日、心不全のため亡くなった。 57歳だった。
 小林氏は1952年、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。 71年にドラフト6位で巨人に指名され社会人の全大丸を経て72年に入団。 73年に1軍に初昇格すると76年、77年に18勝を挙げるなど活躍。 78年オフには「空白の1日」として知られる江川卓のドラフト騒動で、交換トレードで阪神へ移籍し、79年にはいきなり22勝を挙げ最多勝利に輝いた。 83年には13勝を挙げるも現役から引退した。
 引退後はテレビ、ラジオ解説者を経て97から01年までは近鉄で、07年には韓国のSKワイバーンズで、08年からは日本ハムでコーチを務めていた。 通算成績は374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率は3.18。 最多勝利に1度、最優秀投手に2度輝いている。 沢村賞、ベストナインも2度選ばれている。




小林繁。
はっきりとは言えないけれど、もしかしたら私が一番最初にファンになったプロ野球選手かもしれない。

独特のサイドスローから繰り出されるボールに、バッターは次々と凡打を繰り返す。 小林繁が現役バリバリで投げていた頃、私もまだ小さかったのであまりよく覚えてはいない。 しかし、野球選手にしてはか細い身体だけれども、どんな淡々とした表情で投げている姿に「カッコイイ!」と思っていた。 プロ野球選手で一番最初にファンになった、と書いたけれども、恐らく私が一番最初に投球フォームのもの真似をしたのも小林繁だと思う(打者は確実に王貞治)。
そういえば、草野球や学校の授業ではあるけれども、オーバースローなどで投げるよりも小林繁の真似をしながらサイドスローで投げた方がやたらコントロールが良く、凡打の山を築くことができたことがたくさんあったなぁ。

「背中が痛い。」
昨日の朝、こう訴えて倒れ病院に搬送されたそうだ。 3年前の亡父と同じだ。 この言葉だけで、その現場ではどういった状況だったのかが痛いほどよくわかる。 本人も相当辛かったことでしょう。

小林繁氏、ご冥福をお祈りいたします。