スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

スピ発想のこう言う所が嫌い

2015-03-23 21:00:00 | ワタリのエッセイ
最近だと中学生が暴行死した事件になるのですが、戦争にしても災害にしても、こう言う事が起きると必ず湧き上がる疑問と言うのは「どうしてこうなったのか?」「どうして死ななければならなかったのか?」と言う非常にありふれているけれどデリケートな疑問です。

ワタリ個人として、その答えはスピリチュアルの世界と言うか、魂の世界に有ると思います。
定番中の定番ですが、魂がそう望んだから。

と、言ってもワタリ個人はこう言うスピリチュアル的回答は大嫌いです。
だって、高見の見物で当事者感情なんて絶対配慮していないもん。

以前はこう言う回答をさも偉そうにしていると言うか、高確率でキラスピでデコってブログに披露しているスピラーがいたような気がします。
ワタリ個人はこう言う発想を披露するスピラーにあまり遭遇しなくなった事を非常に歓迎しているのですが、本当にスピリチュアルのこう言う発想は好きじゃ有りません。

あのね、高見に上らないと見えない事も有るんです。
それと同時に、当事者にならねば解らない事も沢山あるんです。

例えば、世間の広さとか、自分が悩んでいる事はいかに小さい事で有るかとか、そう言う冷静になる時間が提供出来るのが高見からの視点なんですよ。
あるいは、以前は当事者だった指導者としての立場からの視点が必要な時とか。

要するに、全体を見渡す必要が有る時は高見からの視点と言うのはとても重要になるんです。

でもね、うちのツインを始めとした、守護霊やっている高次元達は皆言う事なのかもしれませんが、『その場に行かねば解らない事も多い。』と言う言葉に要約されるように、高見から降りて当事者としてその場にいると言う事もとても重要なんですよ。

高見視点が良いか当事者視点が良いか?と言うバッサリ切り型、ある意味キラスピで否定しているジャッジの状態じゃないんですよ。

両方とも重要だけれど、それは全て善し悪し有って、常にリアルタイムでのバランスが重要なんです。

こう言うキラスピの典型と言うのは、本当に高見視点過ぎるから嫌いなんです。
高次元はね、比較的こう言う高見過ぎる事を言う事が有るんですよ。
そして、ワタリ自身もこう言う所有りますが、高次元達と付き合っていればそれなりに彼らに染まっていく訳で、気が付くと高次元的発想になっている部分が有るのはいかしかたない事だと思っています。
そして、最終的に人間と言うのは高次元化する事に転生する意義が有る訳で、脳みその発想が段々高次元化しているのは悪い事じゃないと思います。

でもね、だからって人間界はそれをそのまんまぶちかまして通用する場所じゃないんですよ。

もちろん、心霊のせいにするオカルト発想も嫌い。
本当、某妖怪アニメのなんでも「妖怪のせい!」じゃあるまいに全部呪いのせいになんぞしないでおくれ。と言いたくなりますよ(笑)

需要と供給の事とか、魂の体験とか、一番最初に書いた事に関しては今なお一言で片付く回答は有りません。

今犯罪を犯した人々が前世で善人であったのならば、来世で彼らは被害者たちに対して追体験をするのか?
現世で殺された人々は追体験だった可能性は有るんだろうけど、その追体験を果たした後で彼らは自身の追体験を果たす為の協力者とも呼べる加害者達に対して何か償う必要は有るのか?
両者とも自分の願望を達成するために親を利用する事となった訳だけれども、この自分の願望を果たす為に利用させてもらった親を悲しませた件に関しては償うのか?

悪役で有ったツインの様子から判断するに、それは無い。としか言いようがないのですが、考えれば考えるほど人間の世界と魂の世界と言うのは感覚が違い過ぎてため息が漏れそうになります。

あっちはあっち、こっちはこっち。別物なんだから混合して考えちゃいけない。

と、言う事だけははっきり解っているんですけどね。


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