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「死んでくれてありがとう」は実在する。

2021-06-07 00:00:00 | 人間としての修業
弟が自殺して以来、ワタリの日々はとても平和になっています。
元々三次元人間だった弟は晩年はトラブルメーカーとなっており、本当に色々な問題を起こしていました。

さすがに地獄行きになるとは思いませんでしたが、改めて考えるとなるほど、確かにそういう人間だったなと思う訳です。

この弟の件はとても小さなことですが、この世には「死んでくれてありがとう」と言いたくなる人が本当にたくさんいます。
こんなことを話すと愛がどうのこうのと言っているスピ色の強い人からは批難の視線を浴びるのですが、ワタリに言わせればこんな人は「臭いものにはふたをしろ」という奴でさ。

本当、見たくないものを直視したくないから、無かったことにしているだけじゃんね?

だから、まぎれもない事実として語ります。

やっぱりね、死んでくれてありがとう。なんていわれる人生は寂しいですよ。
周りにフンをまき散らし、自分が思うままに生きたんでしょうけど、彼が本当に欲しかったであろう友達が手に入る事はありませんでした。

理由は、すぐ他人にケンカを売る悪癖があったから。
多分、「ジャンプスタイル」と言われるケンカをしたのをきっかけに友達になるような人が理想だったんだと思います。

ワタリは最近になってやっとこの手の方法で友達になる人がいる。ということを知りましたが、それって今老害をまき散らしている高齢者たちだったんですよね。
正直、ワタリと同年代の人間の感覚ではケンカをきっかけに仲良くなるなんて、漫画の中だけの世界です。

そして、そのことに気が付けないでずっと孤独に過ごしていました。

だからといって同情はしません。
それは全て自分が人間としての修行を怠った結果であり、自分の世界におぼれ続けた結果。
それこそ、臭いものにはふたをして、見なかった事にし続けるスピラーと大して変わらない。

仮に仲間がいたとしてもね、やっぱり死んでくれてありがとう。なんていわれる人生は寂しいですよ。
仲間がいた分充実していたんでしょうけど、それでもやっぱり本物のサイコパスじゃない限り孤独は感じていたと思います。

誰かと群れ、他人の評価でしか自分を保つ事ができない人は、鏡となる他人がいなくなった時に急に孤独を感じます。
それは承認要求が満たされていないからともいえるんでしょうが、いずれにしても人格を形成するにあたり必要な土台がスカスカな証拠なんですよね。

結局、死んでくれてありがとう。なんて言われない人生が一番良いんです。

コメント
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