スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

何のためにスピリチュアルは有るのか?そしてスピはそんなに甘くない。

2014-06-06 21:00:00 | 人間としての修業
タイトルに書いたそれは、科学でも統計でも心理学でも説明できない事柄を説明するためのもの。あるいは心身面における鍛練と平常心の構成と維持。と言うのがスピリチュアル始めて大体一年半を経過したワタリの出した結論です。

基本、科学にしても数学にしても、この世にある学問は全て哲学から派生しているものです。
もちろんスピリチュアルも哲学から派生しているわけで、何処かでスピリチュアルの事を実践哲学。と翻訳している文章を見たことがありますが、おおむねこれで間違っていないと思います。

内訳は、最初に書いた通り様々な要素を通した心身鍛練とその人にとって理想的な心の確保と維持。
あるいは、不安の取り除きとか、こだわりの手放しとかを通した精神面におけるダイエットでも可かもしれません。

で、スピリチュアルに不可視存在の要素が加わると、とたんに宗教色の度合いを高めますが、古代においては宗教とそこから派生した各種神話が自然界の様々な事柄を説明する機能を持っていましたし、現在で言えば各種戒律は道徳的要素、懺悔とかはカウンセリング的要素を持っていますし、武道では神々を敬うことを教えますし、やっぱりスピリチュアルの内訳の一部には今なお人間の科学では説明できない事がらの説明と解釈も有るんだと思います。

で、本格的にスピリチュアルに取り組めば取り組むほど修行度合いを増し、うっかりすると本格的なエクササイズを超えて苦行化するのはヨガや武道の実践で良くわかるかと思います。

いや、ヨガの基本と呼ばれるハタヨガの時点で逆立ちのポーズとか無理だぁ!インストラクターすげえ!どんだけ根性あるの?!って衝撃の雨嵐になりますよ(笑)

これ以外にも、仕事を通してとか家庭を通してとか・・・・。
正直、「あーんもう!!なんでこんなに修業が多いのさ!!!!!」と叫びたくなるほど、ほんでもってどう考えたってこじ付けじゃないのか?と思えるほど身近なレベルでスピにおける実践は行われるのです。

そう、決して「実践と言えば瞑想ばかり」がスピじゃありません。
むしろ、今のワタリから見ると瞑想と言うのは素晴らしい気分転換であり最も強力な魔力回復方法だったりします。

むしろ、現在の「拒絶すると言う事を学習する」と言う方のが修業の実践らしくて、やっぱりスピって修業の実践なんだなと思います。

最も、何時だって理由が解るのは修業をクリアーした後で、本当に当時の自分にとって必要だったのかどうか?と言う事はその時にならないと解らないのですが。

しかし、中にはスピリチュアルに関する事が逃げ口になっていると言うか、現実逃避の為の方法になっている人も存在するんだそうです。

うーん、ワタリ個人としてはそう言う事をやるのは勘違いしている証拠なんじゃないのか?って気がしない訳では有りませんが、何となく可能性として否定はできないような気がします。

だって、現実と比較すると明らかにキラキラしていて楽しそうな感じ有るし、スピが最も得意とする受容の文化を切り取って見ると何もかも受け入れてくれそうな感じ有りますし。

なんて言うかな?ツインの影響が有るのかもしれませんが、はっきりと言えばスピに現実逃避をする人はドラえもんに甘えるのび太ですよね。

何かのび太が騒ぎ始めると、理由はともかくとしてドラえもんはすぐに手を貸すじゃないですか?
明らかに共依存関係なんですが、スピリチュアル関連の事を現実逃避にしている人ってこれと同じ感じなんですよね。

本当は自力解決出来るはずの問題をスピリチュアルに逃げる事で自力解決しない。
本当は現代医学で解決出来る事なのにヒーラーに逃げる事で拒絶する。

それを受け入れるほどスピリチュアルは甘くないよ。って言いたくなりますね。

「ヒーラーなんだから自分の体調不良は自力解決しなさい。」とはワタリにコンタクトのとり方を教えてくれた現代魔術師が媒体経由で話した事ですが、スピリチュアルの現実ってこうなんです。

手助けをするのは自力解決できる可能性の少ない人やその術を持たない人だけ。
自力解決できる可能性の有る人には手助けをしません。

言葉を変えるのならば、幼い子供は手助けをするが大人には手助けをしない。
そう言う、一見すると差別的でも有り受容の文化とは程遠いような、本当にキラスピの真逆を行くような発想がスピリチュアルの本音であり、これがごく当然の事なんです。

それに、仮に手助けを必要とする相手で有っても自分が出来る範囲で良いんですし、有る程度の時期に来たら自立を促すのが当たり前。
そんなドライな関係性がスピリチュアルの実体なんだと思います。

だから、逆を言えば本当にべたべたした関係と言うか、現実逃避の依存関係を求める人にはスピリチュアルって言うのは物足りないと思うんです。
でも、依存関係を求める人と言うのは要望にこたえれば良いお客さんになるし、情報発信している側も演出として受容の文化を強調してきたり、光り輝いてる感を強調したりするからいつまで経っても現実逃避の道具にしようとする人が絶えないんだと思います。

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