昨年の六月に父が亡くなってからはや1年が過ぎました。
それからこれまで毎週末、実家に帰っては線香をあげています。
亡くなってから思う父の存在は、大きなものであったと感じています。
実家は、田舎であるため地域の付き合いも多く、商売をしていた両親は特に知り合いも多く人づきあいも多く、やはり父のいなくなったことで母だけでは心配もあります。家の大黒柱とはよく言ったものです。
兄夫婦がいるので大丈夫だと思っていますが、週末に顔を見せると、親戚の話や近所の人の話をしてくるのでその話を聞いたりしながら、一緒に食事を取るようにしています。
ただ、父は生前、家系が古いことを話をしていましたが、上の空で聞いていましたため、これまで気にも止めていませんでしたが、父の言葉を思い出し、昨年から時間を見つけて家系を調べました。
父が亡くなる一年ほど前から、家は古いんだとか、家は元は奈良県の方から来たんだと突然言い出すようになったとか、ボケちゃったのかと半ば呆れたり心配をしていました。
そして、私の方で原戸籍をとったり、お寺から戒名の一覧を取らせていただいたりしました。
なんとかわかる範囲で家系図を造り、そして現存する戒名から歴史を遡り、町の本を読んで一族のこれまでの状況が見えて来ました。良い時代、悪い時代があったことも理解しました。
そして言えることは、父の言うところは間違っていなかったこと。
そして、想像を遥かに超える部分もあり時代を感じる事ができました。
父がいるときに、この調べたことを伝えられたらどれだけ喜んだことだろう。母も、父の言っていた事が本当だったことを理解して、生きているときに見せてあげたかったと。
そして、私が子供の頃に、父がやはり先祖様について調べていたことも知りました。
父、祖父は、口では多くを語りませんでしたが、それはそれでこれまでそれに頼らず、現実を必死に家を守りこれまで生きてきました。それはそれで人間として強く、素晴らしいことです。そうして紡いできたことが結果として現代となっているわけですから。
この実家で、先祖がこれまで生活してきたことを想うと感慨深いものがあります。
調べたことを父に見せられなかったこと、50を過ぎたこれまでの人生で最大の後悔でしかありません。
だから、毎週父に手を合わさせずにはいられない衝動になるのかもしれません。