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アクション・ラーニング

2009-03-27 15:41:26 | 日記
「アクション・ラーニング」(デービッド・A・ガービン著、2002年、ダイヤモンド社)
 これまで、論理的に話すだとか、書くだとかいろいろと読んでみたが、結局、それらをフルに適用できる戦略的条件をどう整えるのかという方法が分からない限り、まったく活かしようもない知識だと常々思う。
 そもそも目上の人間と対等の条件で議論できる機会を実現するのが難しく、よほど身の安全を保証する何かがない限り、経験主義/精神主義の相手を論破したところで、遠方へ配置転換されるのがオチであろう。遅れず休まず働かずのたぐいが合理的行動となる職場もあるのだ。
 ま、そういう高い代償を払った自身の行動を省みつつ、この本を読んだ。
 大雑把にまとめると、組織学習の啓蒙の書。

 ”学習の過程はまるで魔法のようだ。ある日の時点では、私たちは無知のままだ。しばらく時間が経つと、突然、私たちは新しい知識の宝庫を手にしている、といった具合なのである”(2ページ)

 なるほど、それでは投入される資源にたいして、どれだけの成果が、どのような工程を経てもたらされるかは分からないわけだ。では、そのプロセスを明らかにしてくれるのだろうか。

 ”組織は、(中略)考えることなしに遂行される実践・手続きを通じて業務を進めている。組織の第一目標は新しい洞察ではなく、繰り返しと一貫性なのである”(22ページ)
 などと論じつつ、新しい洞察を得るための、実践編へ突入してしまうのだ。

 学ぶことについての理論的な部分はデューイやらパースやらを読めということらしい。
 それにしても現場がこまごまな改善を飛び越えて、全く新しい手法を思いつくなどということがあるのだろうか。忙しく働く医師が画期的な治療法を思いつくのたぐいの論理の飛躍がある。むしろ、ルーティンワークやら慣習、慣行への疑念を向けるのは、それ専門の人間が必要なんじゃないのだろうか。内部で分析できるのが理想だが、たいてい無理だから黒船やら何やらが必要なんじゃないだろうか。
 昔から、ある特定の業務についている人だからといって、現在のルーティンが、どのような試行錯誤を経て確立されたのか熟知しているわけではない。
 たいていは、昔からそうだからとか、そういうことになっているからという回答しか得られない。

 あまり、考えると希望が失われそうなので、今回はこのへんでやめよう。



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