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英語教育大論争ってあったよな

2010-10-21 20:48:03 | 日記
朝日新聞(2010年10月20日)

オピニオン欄で「これからの英語」ということで鳥飼玖美子さんのインタビュー記事がありそこそこ熟読してみた。
ここでも出てくる「英語教育大論争」というのをむかし読んだことを思い出した。
もっとも、その時点で古本屋のワゴンで買ったハードカバーを読んだのだから相当に古いはずだが、30年以上前から、いやおそらく戦後から英語教育に関してはいろいろ論議を読んでいるのだろう。

当時は渡部昇一の言うところの「知的格闘」というコトバにそこそこ心酔したと思うのだが、よくよく考えると外国語を勉強するときにおこる悪戦苦闘が、その後の人生に資することがあったとしても、それは副産物であって、英語を勉強するときの目的は英語ができるようになることである。

数学を勉強するのだって数学ができるようになるためで、将来使うことがなくとも数学の勉強で得られた論理的なものの考え方が役に立つの類いの話はよく聞く。ところが世の中に出れば実際数学が必要な仕事は多々あるわけで、論理的云々の話はおかしいと思う。
さらにしつこい話をすると歴史を勉強するのは歴史を知るためであって、べつに語呂合わせの能力やノートにまとめる能力をつけることが目的ではないはずだ。

それはともかく、鳥飼教授の言うように一般の人は英語教育の現状をまるでご存知でない。
文法偏重というよりはむしろ会話に偏りすぎている気さえする。
もっとも、私も中学高校の教科書をたまたま読む機会があったから知っているに過ぎないし、語学教育に関わりのない人が知らないのも無理はないと思うが。

むしろ多少は語学教育に関わって日々思うのは、読むか話すかという以前に日常の政治経済社会問題やら環境問題やらを話し合うのには皆の知っているボキャブラリーがあまりにも少ない。

あとインドにはインド英語があるみたいな議論はマジでどうでもいい。
あんなの我慢して聞いてやってるだけで(少なくとも私はそうだ)、通じりゃいいなんて現場レベルでの最後の手段でサバイバルイングリッシュなんて教育でやんなくてもいいだろう。どうせビジネスではやらざるを得なくなるんだし。
とはいえ、なんらかの国際英語があったほうがいいとも思う。
考える以上に我々(私だけかも知れないが)の英語はアメリカの口語表現(ハリウッド映画?)の影響を受けていて通じない表現も結構あるから。
かっこつけてしゃべって通じないとバツが悪いんだよなあ。
もっと勉強しろよ特にイギリス人(笑)


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