
英題:NORWEGIAN WOOD (PG-12)
2010年・日本(分)
製作:豊島雅郎、亀山千広
監督&脚本:トラン・アン・ユン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:松山ケンイチ、菊池凛子、水原希子、高良健吾、霧島れいか、
初音映莉子、玉山鉄二 ほか
鑑賞日:2011年1月5日 (川崎)
鑑賞前の期待度:★★★
村上春樹の原作『ノルウェイの森』は読んでいないのですが、
その原型とも言える短編『蛍』は読んでいたので、
なんとなく気分で観てみることに。
上映時間の5分前くらいで席に着くと、やはり『ノルウェイの森』。
ぼくの左隣の席には、20代後半らしき女性がひとりで来て座っていた。
まだ場内が明るいので、文庫本を開いて読んでいる。
もしかして、村上春樹の小説でも読んでいるのだろうかと思ったが、
ジロジロ見るわけにもいかず、そこまでは確かめなかった。
一方右隣には、
ふたり連れで来ているらしい男子中学生が座って・・・???
(ちゅ・・・、中・学・生!?)
突如、ぼくの頭の片隅で警報が鳴り始めた。
なぜだ?
なぜこの作品を中学生の、
しかも、見るからに村上春樹とは無縁そうな男の子たちが観るのだ?
PG12作品だから、観てはいけないとは言わないが、
この映画が、どういう内容か分かっているのだろうか?
君たちが観たいのは、『ハリー・ポッター』や『シュレック』、
あるいは『劇場版BLEACH』といった作品じゃないのか?
もしかして、松山ケンイチのファンなのか?
・・・いや、そんな風には見えない。
では、菊池凛子のファン?
・・・いやいや、それもありえない。
もしかして、水原希子の・・・?
あるいは、トラン・アン・ユン監督作品のファンだとでも言うのか???
「まさか・・・それは無いな。」
う~ん・・・
一体この作品の何が、彼らを引き寄せたというのか?
どう考えても納得のいく答えが見つからない。
(?!、?!、?!、?!)
もしかして、思春期の少年たちを惑わすような宣伝、
あるいは誤解を招くような口コミでもあったのか?
だが、いずれにせよ、断言しよう!
ぼくは予知能力など持ち合わせているわけではないが、
「君たちは、必ずや、途中で、飽きる!
まだ鑑賞前だが、賭けてもいい。
君たちは、この映画に必ず飽きるぞ!!
そして頼むから、飽きても大人しく座っていてくれ!!
この映画の雰囲気を壊すようなことはしないでくれ!! 」
などと、上映前から、
作品とはまったく関係のない不安を抱えての鑑賞となってしまいました。
果たして・・・。
映画は、主人公ワタナベのモノローグではじまった。
ワタナベと親友のキズキ、
そしてキズキの恋人直子の3人で過ごした高校生時代。
だが、キズキは遺書も残さず、ある日ふいに自殺した。
“死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。”
キズキの自殺によって、
親友の“死”に捉えられたワタナベと、
恋人の“死”に捉えられた直子。
ワタナベはそれを認識しながらも、深刻に考えることを止め、
直子は、その“死”に強く囚われてしまう。
その後、東京で大学生活を送っていたワタナベは、
偶然にも直子と再会し、毎週会うようになる。
そして迎えた直子の20歳の誕生日。
精神的に不安定になった直子を抱きしめるワタナベ。
降りしきる雨の夜、ふたりは体を重ねる。
静まり返ったシアター内に、
ワタナベの息遣い、直子のあえぎ声が響く。
その生々しいシーンに、
右隣の中学生たちも、息を詰めてスクリーンを見つめている。
「君たちが、どこまで理解して、このシーンを見ているのかは知らないが、
大切なことは、行為そのものよりも、ワタナベと直子の心の有り様であり、
監督が伝えようとしているのは、実は・・・・・・・!?
しまった!余計なお世話だった!!」
慌ててスクリーンに、意識を戻す。
やがて、横たわる直子から体を離すワタナベ。
そして、ワタナベは、そうとは気づかず静かに問いかける。
直子にとって残酷な問いを。
「はっ!!」
ぼくの左隣りに座っていた女性が、ワタナベの一言を聞いた瞬間、
はっきりと息を飲んだ。
それは、まさに直子の心境あったろう。
明らかに彼女の体が座席の中で強張った。
一方、
直子の心が壊された“その瞬間”を、露ほども感じない右隣の男子は、
おもむろに肘掛のカップホルダーに置いていたLサイズのカップを手に取ると、
ストローを口にくわえ、「ジュルル!」と、音を立ててソフトドリンクを飲んでいる。
その夜を境に、ワタナベの前から姿を消す直子。
ワタナベは直子の実家に手紙を出すが、
返事は来ないまま連絡が途絶えてしまう。
その後、京都の療養所に入所していた直子からの手紙で、
彼女が深く精神を病んだことを知るワタナベ。
直子に会いたくても会えない状況の中、
ワタナベは大学で出会った緑という女の子にも次第に惹かれていく。
ワタナベと緑が言葉を交わしはじめる頃、
明らかに、右隣の中学生たちが飽きてきはじめていた。
まだ、恋愛とは縁遠い彼らには、
ふたりが遣り取りする会話の意味が、
ことに緑の真意は汲み取れないのだろう。
“ねぇ、ワタナベくん。わたしが今、何したがってるか、分かる?”
と言われたところで、
「わかんねぇよ。」と、心の声が聞こえてきそうだ。
そして、遂に、上映前の不安が的中。
映画の半ばまでに、すっかり飽きてしまった男子中学生は、
座席に座ったまま組んだ両手を頭の上に伸ばし、
堂々と背伸びをはじめた。
さらに、既に飲みきっているドリンクカップを度々手に取っては、
「ズズズッ!」と、音を立ててストローを吸っている。
さすがに、これ以降鑑賞の邪魔をされては適わないと思い、
マナーとして静かにするよう注意をしたが、
以後は、居心地悪そうに座り続けていた。
そんなわけで、映画に浸ることは難しい状況での鑑賞でしたが、
出来る限り、スクリーンに集中して観続けることにしました。
全編を通して、印象に残ったシーンは、
草原の中、ワタナベと直子、ふたりだけの長い長いワンショット。
草むらの中を、行きつ戻りつしながら滔滔と喋り続ける直子のセリフは、
心理的にも長さ的にも、
何テイクも重ねるには、あまりに過酷。
(実際、何テイク目でOKが出たか知りませんが)
「よく演じきったなぁ」と、菊池凛子に感服。
そして、やはりワタナベの慟哭シーン。
大荒れの海。
岩を打ち砕く勢いで打ち寄せ、高々と上がる波しぶき。
ひとり隔絶された岩場で、
波と風に打ち消される叫びを叫び続け、吐き切れぬ思いを吐き続けるワタナベ。
ひとつの世界観が、とても丁寧に、美しく、
いつまでも心に残るよう描かれた作品だったと、感じました。
菊池凛子の思い入れ度:★★★★★★★★★★★★
松山ケンイチの役のハマリ度:★★★★★★★★★★
水原希子の新鮮度:★★★★★★★★★
「画の美しさ」に比例する「役者の疲労」度:★★★★★★★★★★★★★
坂本教授は出ない度:★★★★★★★★★★★★★★
鑑賞後の総合評価:★★★★
エンドクレジットが流れ始めると同時に、さっさと席を立ち出て行った中学生たち。
「君たちには、まだ分からないだろうな。」
左隣に座っていた女性は、最後まで余韻に浸るように座っていましたが、
後ろの席にいた大学生らしきカップルからは、
こんな会話が聞こえてきました。
女「ごめ~ん、眠たくて寝ちゃったぁ。で、〇〇〇さん、どうした?」
男「やっちゃったよ。」
女「へぇ~、〇〇〇さんとも、しちゃったんだぁ。」
なんだか、別の森の中で迷っているような気分に・・・
全く読むことがなかったこの作品。
途中で挫折したとおり、恋愛観が間逆で
戸惑いましたが、これも純愛なんでしょうか。
未だ、悩んでいます。