(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)
どうも、こんにちは。
今年もまた梅の季節がやってきました。
まだ梅の季節は続いているようですから、まだ終わらないうちに、平成30年(2018年)の『霊場魔所の梅花』シリーズを再開します。
「日本橋ストリートフェスタ2018」の記事もまだ書いていたいのですが、その話は一旦お休みにして。
今回は、本シリーズで初めての「吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)」を梅の光景と共に紹介します。
ここはいくつかある「菅原道真生誕の地」とされている場所のひとつであり、あの有名な北野天満宮よりも歴史が古いという天満宮だそうです。
まずはいつものとおり、アクセスから。
京都市営バス「吉祥院天満宮前」から。
そこから少し南へ歩きますと、閑静な町中に入り口が見えてきます。
鳥居をくぐる前に、弁財天を祀る境外社が見えてきます。
弁財天社の横には、「鑑(かがみ)の井」があります。
ここは、菅原道真が参朝、つまり朝廷に出仕するときに顔を映したという井戸だと伝えられています。
その横でも梅が咲いていました。
鳥居から中へ。
「菅原道真・産湯の井」が見えてきます。
その横でも梅の花が咲いています。
さらに進むと、「吉祥院」こと「吉祥天女社」があります。
この辺りの地名「吉祥院」の由来となった社です。
元々は、菅原道真の曾祖父・土師古人(はぜの・ふるひと)がここに邸を建てたのが始まりで、道真の祖父・菅原清公(すがわらの・きよきみ)の代に菅原に改姓。
清公が遣唐使として唐へ向かう海上で遭難の危機に見舞われた時、吉祥天女の加護によって助かったので、帰国後自ら彫った吉祥天女像を邸内に祀ったのが始まりだと伝えられています。
ところで、吉祥天女とは元々は外来の女神。インドのヴィシュヌ神の妃とされるラクシュミー女神です。こういう外来の神様への信仰も、かなり古くから仏教の尊天という形で取り入れられていたのは、興味深いです。
本殿へ。
本殿前には、梅の花と共に天神社、天満宮を象徴する牛の象が。
何故か、キティちゃんが居て、キティちゃんお守りも授与されています。
「硯の水」。
書の達人とも言われた菅原道真が、少年時代に使っていたという水です。
「胞衣塚(えなづか)」です。
菅原道真のへその緒を埋めたとされる塚です。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、「菅原道真・産湯の井」と、それが遺されている「菅原道真・生誕の地」とされる場所は、ここひとつだけではありません。
本シリーズで紹介したものでは、「菅大臣社」や「菅原員天満宮」(※第399回など参照)があります。
勿論、そのうちどれが本当の生誕地なのかは、わかりません。
歴史上の偉人や伝説上の英雄などには時々あるようですが、その人物の「生誕地」とされる場所がいくつかあるという。
しかしいずれかがわからないままであっても、それはそれで夢があって面白いのではないかな、と私は思います。
今回はここまで。
また次回。
*吉祥院天満宮へのアクセス・周辺地図はこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
最新の画像もっと見る
最近の「妖怪スポット」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2008年
人気記事