京都の闇に魅せられて(新館)

大歩危編・野鹿池の竜神とこなきじじいの伝承 @ 京都妖怪探訪(897)





 どうも、こんにちは。
 今年の5月25日、妖怪こなきじじいなど数多くの妖怪伝説が遺る地でもある、徳島の秘境・大歩危(おおぼけ)で開催されました、『四国妖怪フェスティバル』へと行き、そこで行われた「ジオガイドと巡る妖怪ツアー」という、大歩危の妖怪伝承地を巡るミニツアーに参加してきました。
 シリーズ第892回から何回かに渡って、そのレポート記事を書いてきましたが、今回はその第6回でラスト、大歩危で最も有名な妖怪・こなきじじいの伝承地を訪れます。




 まず「こなきじじい」とは何者か。
 これは・・・かなり有名なので御存知の方も多いでしょう。
 民俗学者・柳田國男『妖怪談義』に記述のある妖怪の一人(?)ですが、現代ではむしろ、あの日本の漫画家・妖怪研究家の水木しげる先生の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する主要キャラの一人として、その名は広く知られることとなっています。
 漫画・アニメの『ゲゲゲの鬼太郎』では、とぼけたところもあるけど、鬼太郎の頼れる仲間キャラとして描かれています。
 しかし元々の伝承では、漫画やアニメなどで描かれる正義の側のキャラとは思えない、それどころか危険で恐ろしい妖怪として伝えられています。
 シリーズ前回の妖怪・川赤子のように、夜道や山中で赤ん坊のような鳴き声をあげるのですが、川赤子と違うところがふたつあります。
 まずひとつは、人に見える姿や実体を持っていることです。
 赤ん坊のような鳴き声をあげますが、その顔は老人という奇怪な姿をしています。
 そしてもうひとつの違いは、人の生命を奪うという危険性です。泣いているこなきじじいを憐れんだ通行人が抱き上げると、その体重が次第に重くなり、放そうとしてもしがみついて離れず、遂にはその人の生命をも奪ってしまうとされています。
 まるで凶悪なおんぶお化けのような妖怪ですが、そんな妖怪が何故、『ゲゲゲの鬼太郎』では、正義感の強い主人公の味方キャラとして描かれるようになったのか・・・改めて考えると、不思議な気もしてきますが。




 シリーズ前回の拝床谷からしばらくの間、歩き続けます。







 すると道沿いにまたもや何かが見えてきます。







 「野鹿池(のかのいけ)の竜神」。
 






 「野鹿池」とは。
 ここよりずっと山奥、現在の徳島県と高知県との境目あたりにある湿地帯であり、石楠花(しゃくなげ)の群生地でもある場所です。
 そこには、だいたい以下のような竜神の伝承が遺されています。


 昔、この辺りの上名(かみみょう)集落に棲んでいたタロベエ(太郎兵衛?)という人が、野鹿池に狩りに出かけた時のこと。
 野鹿池には大きな池があり、その池の中から、大きな竜が現れた。
 タロベエは驚いたものの、その竜の立派な姿に魅了されたのか「上名集落の守り神になってくれ。そうしたら野鹿池の主としてずっと祀ってやるぞ」と叫んだ。
 その時竜は、天の彼方へと消えていったが。
 その日の夜、タロベエが寝ていると、枕元にその竜が現れ、
 「この頃、野鹿池に泥が溜まりすぎて暮らしにくくなった。どうにかならないか」
と語りかけた。
 次の日、タロベエは村人を集めて、多くの石を運んで、野鹿池の水が満ちるように工事を行った。
 それからは上名集落に災いが起きなくなったという。


 これがこの地に伝わる野鹿池の竜神の話です。




 よく見ると、大きな竜神像には小さな竜も付随しています。









 よく見ると野鹿池の美しい竜の姫の伝承も。







 そう言えば、道の駅・大歩危には、「野鹿の池の竜神と乙姫」の像も。







 今回はそこまではいけませんでしたが、その伝承地・野鹿池にも行ってみたくなったので、後ほど調べてみました。
 そしたら、徳島県と高知県との県境あたりに、野鹿池と、竜神を祀ったと思われる野鹿池神社とが見つかりました。
 ただ、ここから遙かに山奥の地で、交通の便もほとんど無いという場所。
 当然、歩いていくにもかなり苦しい。ここからさらに自動車で40分以上というのですから、私みたいに公共交通機関と自分の足だけで移動している者にとっては、かなり厳しい行程になりそうです。
 それでも・・・今回は無理でも、いつか訪れてはみたい。
 そして勿論、その光景を見て、ここに記事として記録したい。
 そんな思いも抱きながら、更に先へと進みます。



 そこから更にしばらく歩きますと。









 ついに・・・ついに。
 おそらく大歩危で最も有名な妖怪、こなきじじいの像が。





 こなきじじい像の横には、作家・京極夏彦氏による碑文が刻まれた石碑が。
 現在の徳島県と高知県の境目付近、徳島県側の山中に現れたという妖怪。
 つまりれっきとした大歩危の地元の妖怪です。
 冒頭でも触れましたが、元々は地方の伝承に伝わる妖怪の一人(?)だったのが・・・しかも危険な妖怪だったのが、民俗学者・柳田國男『妖怪談義』と、水木しげる先生の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』で全国的に有名になりました。


 こなきじじい像の足下には、賽銭やわらじも供えられています。







 今から30年ほど前、大歩危の人たちが、ここ大歩危がこなきじじい伝承発祥の地だということに気付いて、「何とか町おこしに活用できないものだろうか」と考え、他にも古老に話を聞くなどして、この地に伝わる伝承について調べたそうです。
 そうしたら、こなきじじいだけでなく、数多くの妖怪伝承がこの地に遺されていたことがわかりました。
 それから地元の人たちは、妖怪像を作って設置したり、妖怪の着ぐるみを造って「妖怪まつり」などのイベントを催したりして、妖怪伝承地である大歩危をアピールし始めます。
 その功績が、日本の妖怪文化に貢献したと認められ、世界妖怪協会(故・みずきしげる会長)によって、鳥取県境港と、岩手県遠野と共に、「世界怪遺産」に認定されています。
 

 以上が妖怪伝承の地・大歩危がここに至るまでの経緯ですが。
 全ては、このこなきじじい伝承から始まったとも言えるでしょう。





 子供の頃から慣れ親しんできた妖怪の伝承地を訪れることが出来たことなども含めて・・・何と言いますか、感無量です。




 なお他にも、大歩危の地には、まだまだたくさんの妖怪伝承が残り、まだ訪れていない多くの伝承地や妖怪像があるのですが。
 今回のツアーはここまでで。
 しかも私自身、翌日早朝からの仕事など、早く帰らなければならない事情を抱えておりましたので。
 誠に残念・・・と言いますか、名残惜しいですが、今回の大歩危巡りはここまで、とせざるを得ませんでした。
 その後は、午後2時頃までという限定ですが、「四国妖怪フェスティバル」に参加し。(※その様子について興味ある方は、シリーズ第890回記事第891回記事とをご覧ください)
 本当に短いながらも、妖怪マニア・オタクとして、実に楽しく、濃厚で、有意義な時間を過ごさせて頂きました。







 またの再訪を誓いながら、大歩危の地を後にし。











 瀬戸内海の橋を電車で渡って。








 京都へと戻って行きます。







 今回はここまで。
 また次回。




※ところで2024年の目標で、「(本シリーズでの)新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で8カ所目。
 目標まであと11本(11カ所)です。





*「道の駅大歩危」へのアクセス及び周辺地図かこちら





*「道の駅大歩危」のHP
https://yamashiro-info.jp/





*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/



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