京都の闇に魅せられて(新館)

堺市・山口家住宅と『沙界怪談実記』の世界 @ 京都妖怪探訪(906)

 

 


 どうもこんにちは。
 シリーズ第904回第905回とで紹介した『沙界妖怪芸術祭』(以下『芸術祭』と略)。
 そのきっかけとなった、江戸時代の怪談集『沙界怪談実記』(以下、『実記』と略)の復興事業。
 その名のとおり沙界で起こったとされる怪談を集めた書物であり、『芸術祭』でもそれに関する展示がありました。
 今回、昨年(2024年、令和6年)12月23日まで大阪府堺市の山口家住宅(堺市立町屋歴史館)にて開催された『実記』のパネルとミニチュア作品展も訪れましたので、この『実記』の世界をもう少しだけ掘り下げていきたいと思います。

 


 まずはいつものとおり交通アクセスから。
 阪堺電気軌道阪堺線「綾ノ町」駅から。


 

 そこから南東方向へ、住宅街の道を200メートルほど歩くと見えてきます。


 

 外観からして、昔の、江戸時代頃のお屋敷という感じです。


 入場料200円を払って中へ。



 ここは元々、江戸時代の庄屋さんのお屋敷だったそうです。
 堺と言えば、戦国時代の一大商業都市というイメージがありますが。
 ガイドさんのお話によりますと、戦国時代には日本中の経済のかなりの部分を担っていたという・・・つまり「一大商業都市」どころか、今の言葉でいえば「ひとり勝ちの町」だったということ。
 しかしながら、軽重20年(1615年)の大坂の陣により堺の町は全焼。
 ここ山口家住宅は、その直後の再建期に造られた町家のひとつで、江戸時代初期からの伝統的な町家の特徴を遺した貴重な建物だそうです。


 かなり裕福な家だったようで、大きな土間に大きな吹き抜けの空間が広がっています、


 


 幾つものかまどがある台所。
 通常の家より多くの人数分が賄えそうです。


 


 かまどなど屋内の煙を逃す穴。


 


 煙を逃す場所をそとから見たらこんな感じ。


 


 ここは今で言う会計や事務仕事をやっていた場所でしょうか。


 


 この山口家住宅自体、いろいろと面白いところですが、今回の主目的である『沙界怪談実記』の解説パネルとミニチュアも観なければ。

 


 展覧会へ。


 

 会場にはミニチュア・ドールハウス造形作家・長谷川敦子さんの作品である、実記の世界を表現したミニチュア作品の数々と。


 


 怪人ふくふく氏なんばきび氏など有名な妖怪絵師の作品が書かれた解説パネルも。


 


 さて、ここで。
 『沙界怪談実記』とは、そもそもどのような書物なのかを。
 『沙界妖怪芸術祭』HPの解説ページには、以下のように記述されています。
(以下、引用)


>安永7年(1778)に堺に住む鉄方堂という人物によって書かれた書物。そこには、江戸時代に堺のさまざまな地域で起こった怪異が49編(序文を入れると50話)つづられています。
 しかし『沙界怪談実記』は、現在写真と文章が残っているのみで、実物を探しているのですが、どこにも見当たりません。泉州の郷土史家、出口神暁(でぐちしんぎょう)氏が所有していましたが、出口氏の没後、その所在は不明です。幸いにも出口氏が主宰していた郷土史研究会の会誌『和泉志』に本文全てが掲載されていました。


>この幻の『沙界怪談実記』を広め後世に残すべく、現代語訳し発表する活動を、沙界妖怪芸術祭は行っています。(現代語訳:天羽孔明 )
 2021年から毎年10話ずつ現代語訳しプロのイラストレーターがイメージイラストを作成しています。また怪異のあった場所を取材してパネルにし、沙界怪談実記展を沙界妖怪芸術祭と同時開催しています。


(引用、ここまで)

 


 そんな『実記』の世界を表現したミニチュア展で、その一部を紹介。

 


 第十八話『餓死老翁殺子孫(餓死の老翁、子孫を殺す)』。



 生前に病身の自分を虐待してきた息子夫婦と孫の3人を、死後に祟り殺した老人の話。

 


 第十九話『老婆餓死喫殺婦(老婆餓死して嫁を殺す)』。



 こちらも生前に自分を虐待した息子の嫁を、死後に祟り殺した老婆の話。
 第十八話と第十九話、現在の老人介護問題に通じるものや、いつの時代変わらぬ人間の業とかも考えさせられるようでした。

 


 第二十一話『七堂浜夜々霊鬼』



 昔、七堂伽藍が建ち「七堂の浜」と呼ばれた霊地があって、夜毎に化け物が現れた。
 困った人々はある知恵者に相談し、その土地を掘った。すると多くの古い石仏や石塔が出てきたので、それらを供養したところ、化け物はでなくなったという話。
 なお会場の解説パネルの記述によれば、この話にあった「七堂伽藍のあった霊地」というのは、かつての真宗大谷派・浄得寺であり。



 「夜毎に化け物が現れ」「多くの石仏や石塔が埋まっていた」という場所は、北の橋(南海電鉄「七道」駅の辺り)にあったという処刑場のことだそうです。
 そのあたりにも行ってきました。


 


 第二十九話『空告逆浪行話(狐、架空の津波を告げる)』。



 明和9年8月5日の夜、錦の町農人町(にしきのちょうのうにんまち)の辺りで、真夜中に架空の津波騒ぎを起こして、多くの人々を驚かせたという狐か狸の妖怪の話。そのほぼ同時に、王子が飢(おうじがうえ)の墓守のところに異形の者が現れ、「今から堺の者どもを騒がしてやるので、お前はそれをここで見ているがいい」と告げて消えたという。
 悪質な愉快犯みたいな妖怪の話ですが、この話、起こった日時や場所も明確になっています。

 

 以上、展示と解説の一部を紹介してきましたが。
 『実記』に記された話には、それが起こったという場所や日時が明確なものが幾つもあります。
 それだけに妙なリアリティがあります。


 『沙界怪談実記』の現代語訳版の完成と出版を心待ちにすると共に、その時には是非とも『実記』を片手にその現場といいますか伝承地巡りもやってみたいものだと思います。


 


 今回はここまで。
 また次回。

 

 

*山口家住宅へのアクセス・周辺地図はこちら

 

*南海電鉄「七道駅」へのアクセス・周辺地図はこちら

 

 

*沙界妖怪芸術祭のHP
https://sakai-yokai.com/

 


*山口家住宅(堺市立町屋歴史館)のHP
https://www.sakai-machiyamuseums.com/

 

 

*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/

 

 

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