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どうも、こんにちは。
東京都内の平将門ゆかりのスポットを巡る特別編の第2回目。
今回はシリーズ第390回にも訪れた、「平将門の首塚」を再訪しました。
そう。特に、少しばかり歴史に詳しい人や、妖怪・怨霊マニアや心霊・オカルト好きの人たちの間では、全国レベルの知名度を誇る、あの場所です。
将門ゆかりの地を巡るなら、絶対に外せない場所のひとつです。
前回、何故かいくつかのトラブルに見舞われましたのですが、どうしても再訪せずにはいられなかったのです。
まずはいつもの通り、交通アクセスから。
東京メトロ「大手町」駅から。
昨年12月の終わり頃でした。
その時は地下鉄駅だけでなく、大手町付近一帯で大規模な工事が進行中でした。
前に訪れた時のように、目的地に最も近かったC5番出口も工事で塞がっていました。
またその当時には、宿泊したホテルから電車に乗って首塚を目指すまでの途中、「人身事故」があって電車が遅延したり止まったりで、路線を変えざるをえなくなったことが、3度もありました。
ただの偶然か?
あるいは祟りか?
もしかしたら、私は将門さんに拒まれていたのか?
ふと、そんな考えが頭に浮かびましたが。
幸い、今回はそのようなことはありませんでした。
やはりただの偶然だったのか?
あるいは、今回は将門さんに拒まれなかったのか?
別の出口から首塚を目指します。
近代的な巨大ビルが建ち並び、いかにも大都会という感じです。
こんな場所に、千年以上も前から恐れられる怨霊が眠っているとはちょっと考えられないのですが……。
しかしそれでもこんな標識が。
標識に従って、首塚を目指します。
確か、以前訪れた時には周りにビルが建っていたのですが、その時は付近一帯がかなり大規模な工事の最中だったようです。
この区画一体が大工事をしていたのに、さすがに将門塚に手をつける恐れ(畏れ)知らずの人は居なかったようです。
近代的なビル群の中にこのような場所があるのも変な感じがしましたが、こういう光景もまた、この場所が周囲とは違う特異な場所だということを認識させてくれます。
前に訪れた時には、ここで転倒して、愛用のカメラを壊してしまうというトラブルに見舞われました。
それまでにも何度か、躓いたり、転んだり、またカメラを取り落としたり、どこかにぶつけたり等もしていたのですが、壊れたりすることはありませんでした。
しかしその時は、カメラの主要な部分がひしゃげて、完全に使用も修復も不能となってしまいました。
私がただどんくさかっただけなのかもしれませんが、場所が場所だっただけに、「まさかこれも祟りか? あまりにもはしゃぎすぎたから、将門公がお怒りになったのか!?」などという考えも、頭に浮かびました。
今回ははしゃいだりせず、出来るだけ厳粛な気持ちを保つように努めながら、礼拝しました。
その為か、今回はそのようなトラブルには見舞われませんでした。
そしてここが。
再び訪れた、首塚の碑です。
伝承では、平安京で晒された将門の首は、故郷を目指して空を飛び、ここに墜ちたとされています。
そのような伝承が遺る「首塚」は他にもあるそうですが、最も有名なのが東京のど真ん中にあるこの首塚です。
石碑には
「平将門 蓮阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 徳治二年」
と記されています。
これについては、以下の話が伝えられています。
徳治2年(1307年)、この地にあった村に疫病が広まり、村人たちは将門の祟りだと怯えていました。そこへ、時宗の僧・他阿上人が訪れ、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈り、板碑を建立して供養しました。すると疫病が治まり、村人たちの勧めもあって他阿上人は、ここにあった天台寺院・日輪寺を時宗の念仏道場に改宗しました。
その日輪寺は現在西浅草に移転していますが、首塚とその碑は、関東大震災による損壊と再建を経て、現在でもこうして遺されています。
そして現在に至るまで。
この他にも、様々な怪談や祟りの伝承やエピソード等が伝えられています。
シリーズ第390回の繰り返しになりますが、その中でも特に有名なのが以下のもの。
・関東大震災の後、旧大蔵省の庁舎をこの地に建てたら、大蔵大臣をはじめとした関係者14人が相次いで死亡した。
・戦後、GHQがここに駐車場を造ろうとしたら、ブルドーザーがひっくり返って死者が出るという事故が発生した。
・塚の参道にあった旧日本長期信用銀行(旧長銀)では、塚に面した部屋の行員が次々に病気にかかる異常事態が発生。お祓いをしたものの、その後旧長銀自体が破綻。
・現在でも首塚に隣接するビルでは、社員・職員が首塚に背を向ける形にならないように机を配置している。
・爆笑問題の太田光が、この塚にドロップキックをした為、その後しばらく仕事が来なかった(逆に言えば、その程度で済んでよかったのでは?)
墓の周りにはたくさんの蛙の像が。
この蛙の置物は、「左遷されても帰る」「誘拐された、行方不明になった人が帰る」などのご利益を願って奉納されたものだそうです。
まさかどの首が「帰った(=帰る)」ことにひっかけたものだそうです。
ところでよく見ると、板碑の後ろの石塔が鉄パイプの枠に囲まれています。
何か作業が行われていたのでしょうか。
板碑の周りをはじめ、塚の敷地内はきれいに整備されています。
おそらく、地元有志の方々や、神田明神の氏子さんたちが、いつもきれいに掃除や整理をされているのでしょう。
畏れられつつも、敬われ、信仰され、また親しまれ続けているのですね。
今回はここまで。
また次回。
*将門の首塚へのアクセス・周辺地図はこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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