こまったちゃん。のきまぐれ感想記

本・映画・お芝居等の感想をミーハー目線で、その他あれこれ書き散らかしています。

本田美奈子.白血病で亡くなる

2005-11-06 | NEWS
本田美奈子さん死去 ミュージカルで活躍

画像は死去した本田美奈子さん(歌手)
 
 「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。東京都出身。葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259ノ1、朝霞市斎場で。葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。喪主は母美枝子(みえこ)さん。
 1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、「One way Generation」「孤独なハリケーン」など実力派歌手として数々のヒット曲を出した。92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後、数々のミュージカルに出演し高い評価を得た。
(共同通信) - 11月6日13時43分更新



年齢も近く、彼女のデビュー&マリリン時代~ミュージカルで活躍するまでをTV等でタイムリーに観ていたので、ショックです。
必ず復帰して、あの素晴らしい歌声を聴かせてくれるものと思っていました。

ご冥福をお祈りいたします。
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追悼番組情報 (こまったちゃん)
2005-12-02 08:44:39
本田美奈子.さんの追悼番組…フジで16日午後9時から



 フジテレビは先月6日に急性骨髄性白血病のため逝去した歌手、本田美奈子.さん(享年38)のドキュメンタリー番組「天使になった歌姫 本田美奈子.」を16日午後9時から放送する。闘病中にアカペラで歌った「アメイジング・グレイス」を含む本田さんの肉声テープ約5時間のほか、関係者が病室で撮影した写真数十点、知られざるエピソードなどが紹介される。

(サンケイスポーツ) - 12月2日8時2分更新
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ベスト盤 (こまったちゃん)
2005-11-10 11:36:07
本田美奈子さん ベスト集発売へ



 歌手の本田美奈子さん(38)が急性骨髄性白血病で亡くなってから一夜明けた7日、追悼企画が続々と決まった。来月7日にベスト集「CD&DVD THE BEST」が発売され、テレビ東京も追悼番組を編成した。また入院中、「君といつまでも」などのヒットで知られる作詞家・岩谷時子さん(89)とクラシックアルバムの制作を約束していたことが分かった。本田さんの通夜は8日午後6時、埼玉県朝霞市大字溝沼1259の1、朝霞市斎場で営まれる。



 「THE BEST」は85年から90年まで、東芝EMIに所属した6年間の代表曲を集めたベスト集。デビュー曲「殺意のバカンス」から「Tenmtation」「1986年のマリリン」など、ヒット曲が網羅されている。



 もともと20周年の記念企画として企画が進んでいたが、急死により検討した末に「本田さんの歌声を末永く届けていきたい」(同社)との思いから、予定通り発売することにしたという。



 ロックバンド「MINAKO with WILDCATS」として発表した「あなたと、熱帯」など3作品も収録。DVDには、英国の人気ロックグループ「クイーン」のブライアン・メイ(58)がプロデュースした「CRAZY NIGHTS」のビデオクリップを収録。デビュー翌年に日本武道館で行った初コンサートの映像もあり、初々しい姿にいつも元気で明るかった本田さんがしのばれる内容だ。



 一方、入院中に、復帰アルバムの青写真を具体的に描いていたことが分かった。同時期にケガをした岩谷さんと同じ病院に入院していたため、2人の間で具体的な構想を話し合っていたという。クラシックに岩谷さんが日本語詞をつけ、それを本田さんが歌う「クラシック・アルバムシリーズ」の第3弾になるはずだった。



 「愛の讃歌」など故越路吹雪さんの作品などで知られる岩谷さんは、本田さんがミュージカルに挑戦した当初からその歌唱力を高く評価していた。“恩師”とともに考えていた夢の復帰作が、志半ばで断たれた無念。関係者は何らかの形で具現化できないか検討していく。

(スポーツニッポン) - 11月8日6時4分更新
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基金設立か?! (こまったちゃん)
2005-11-10 11:35:13
服部氏「本田美奈子基金」つくる



 本田美奈子.(ほんだ・みなこどっと)さんと親交の深かった作曲家服部克久さん(69)が追悼公演を計画することが8日、分かった。「歌に人生をささげた生きざまを若い世代にも伝えたい」と、関係者らと話し合いを進める。また、白血病患者支援のボランティア組織「LIVE FOR LIFE」を生前立ち上げた本田さんの遺志を引き継ぎ、チャリティー基金設立を検討することも明かした。

 服部さんは「時期や形式など、具体的なことはこれからです」としながら「仲間を募って、何とか形にしたい」と追悼公演開催を決意した。訃報(ふほう)を聞いた時、大きなショックを受けた。同時に歌に人生を懸けた本田さんの姿が浮かんだ。「若い世代の励みになってほしい」。その思いをまず追悼公演で形にする。

 本田さんが病に倒れる直前、「ファンのために、どんなことができるのかな」と20周年記念公演の相談を受けた。具体的なことを話し合う間もなく逝ってしまった歌姫の無念を、少しでも晴らすステージにしたいという。

 アイドルからミュージカル、クラシックと本田さんが音楽活動の幅を広げるたびに相談に乗ってきたのが服部さんだった。00年にシドニーのオペラハウスで開催した公演で日本代表にも推薦した。「アイドルからポップシンガーとなって歌い続けた。ミュージカルの世界でも歌を愛し続けた。使い捨てにも見える今の音楽界で活動する若い世代に、勇気を与える存在」と、才能と活動を高く評価した。

 同じ病気で亡くなった夏目雅子さんの遺族で結成した「ひまわり基金」を参考に、白血病患者支援にも乗り出す。本田さんは「自分ができるのは、同じ苦しみの中で頑張っている人たちの代表として、勇気と希望のエールを送ること」という願いを込めて、闘病中にもかかわらず「LIVE FOR LIFE」を設立した。

 CDや書籍の販売で寄付金を募ることが予定されているが、追悼公演を出発点にしたメモリアルコンサートが恒例化すれば、チャリティー活動の大きな柱にもなる。服部さんは「美奈子さんの名前と生きざまを永遠に残す意味でも、白血病患者を救うための基金設立も考えたい」と、同組織と相談しながら、遺志を引き継ぐ。

(日刊スポーツ) - 11月9日9時42分更新
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類似記事ですがUP (こまったちゃん)
2005-11-10 11:34:14
岸谷五朗、本田美奈子さんに最初で最後の手紙 告別式 3000人が参列



 6日に急性骨髄性白血病のため亡くなった歌手の本田美奈子.(本名・工藤美奈子)さん(享年38歳)の告別式が9日、埼玉・朝霞市斎場で営まれた。昨年、舞台で共演した俳優の岸谷五朗(41)が弔辞を述べ「まじめで、謙虚で、優しかった美奈子ちゃん。本当の天使になりました」と涙を流した。歌手の松崎しげる(55)ら関係者700人のほか、ファン3000人が別れを告げた。



 固く口を結び、岸谷は下を向いたまま斎場入りした。表情を崩さなかったが、優しい笑顔を浮かべる本田さんの遺影を前にした途端、涙があふれ出した。弔辞の声は出だしから震えていた。一言しゃべり終え、再び視線を上げると、眼鏡を外し、涙を手でぬぐった。



 昨年5月、岸谷が作・演出・出演した舞台「クラウディア」で共演した。その時の本田さんとの思い出を、ひとつひとつかみしめるように振り返った。「美奈子ちゃんの笑顔が、空気を変えてくれた。けいこ場の天使でした―」舞台裏のエピソードを挙げ、常に周りを気遣う太陽のような存在だったことを明かした。今年の再演では共演できなかった無念さから、たびたび言葉を詰まらせた。「本当の天使になった美奈子ちゃん」と結び、また涙をぬぐった。“クラウディア組”として舞台衣装を手がけた山本寛斎氏(61)が参列し、楽曲が使われたサザンオールスターズからも弔電が寄せられた。



 本田さんとの最後の別れには、松崎しげるら関係者700人が参列。一般からは前日の通夜を倍以上も上回る3000人が記帳に訪れ長い列を作った。通夜と合わせ、斎場に足を運んだ人数は計6400人にも上った。



 喪主を務めた母の美枝子さん(62)があいさつに立ち「こんなに大勢の方に愛されていたなんて幸せです。これからもどうぞ忘れないでください」。崩れ落ちそうになるのを支えられながら、声を上げて泣き続け、隣では妹の律子さん(34)も遺影を抱え肩を震わせた。



 正午過ぎ、多くの人が手を合わせ出棺を見送った。棺(ひつぎ)には、近親者が持ち寄った思い出の品々が新たに納められた。すすり泣く声に交じり「ありがとう」の声も。最後のBGMは本田さんの曲「アメイジング・グレイス」。戒名「釋優馨」(しゃくゆうしょう)が表す「優しい声」が響いた。



 ◆主な参列者 網浜直子、IZAM、岸田敏志、岸谷五朗、内藤やす子、松崎しげる、山本寛斎、山本文郎、YU―KI(五十音順、敬称略)

(スポーツ報知) - 11月10日8時0分更新

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類似記事ですがUP (こまったちゃん)
2005-11-10 11:33:19
美奈子.さんとの最後のお別れに3700人…岸谷五朗涙の弔辞



 6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手、本田美奈子.さん=本名・工藤美奈子=(享年38)の葬儀・告別式が9日、埼玉・朝霞市斎場で営まれ、弔問客700人、ファン3000人が最後の別れを惜しんだ。俳優、岸谷五朗(41)が「本当にいい子でした。美奈子ちゃんのことをいっぱい自慢します」と涙ながらに弔辞を読み、参列者の涙を誘った。



 「びっくりしました。苦しい稽古の中、美奈子ちゃんの笑顔は稽古場の空気を変えてくれました。稽古場の天使でした…」



 一言ひとこと噛み締めるように、岸谷はつぶやいた。時折、涙で声にならない。そのたびに眼鏡をはずし、手で涙をぬぐった。マイクを通して響き渡る弔辞に、斎場のあちらこちらから、すすり泣く声が漏れた。



 昨年、岸谷が寺脇康文(43)と結成した企画ユニット「地球ゴージャス」の10周年記念公演「クラウディア」でヒロイン、クラウディアを演じたのが美奈子.さんだった。いつも元気で明るく、共演者を気遣う彼女は誰からも愛された。そんな姿を目の当たりにした岸谷は、今年の再演のヒロインも美奈子.さんにお願いしていた。



 その願いは叶わなかったが、見舞いに訪れるたびに、回復したら、また共演しようと固い約束を交わしていた。亡くなる前々日の4日も、意識のない美奈子.さんのもとを訪れ、心の中で約束を交わしたが、今となっては叶わぬ夢となってしまった。



 棺の中で眠る美奈子.さんはパジャマ姿に、足の指には女の子らしくペディキュアが施された。ファン代表からの手紙、デビュー20周年イベントで着るはずだった着物、治療の際に握り締めていたコアラのぬいぐるみなどが一緒に納められた。



 出棺は正午過ぎ。「みなさまの心の中に、ずっとずっと生き続けさせてください」。喪主あいさつに立った母、工藤美枝子さん(62)の切なる思いは、美奈子.さんを知るすべての人にしっかり届いたに違いない。



 BGMは美奈子.さんの歌う「アメージング・グレイス」。優しい歌声に送り出され、天国に旅立った。

(サンケイスポーツ) - 11月10日8時2分更新
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戒名「釋優聲(しゃくゆうしょう)」=優しいお声 (こまったちゃん)
2005-11-10 11:31:13
田美奈子さん告別式で3700人が泣いた





斎場の外に設けられた「お別れ所」には出棺後もたくさんのファンが詰めかけた(撮影・蔦林史峰)

 

 6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手本田美奈子.さん(ほんだ・みなこどっと、本名・工藤美奈子=くどう・みなこ)の葬儀・告別式が9日、埼玉県朝霞市の朝霞市斎場で営まれた。38歳の若すぎる旅立ちに、喪主としてあいさつした母親美枝子さん(64)は泣き崩れ、弔辞を読んだ俳優岸谷五朗(41)は「稽古(けいこ)場の天使でした」と男泣きした。約3700人の弔問客もそれぞれの思いを胸に本田さんを見送った。

 出棺。会葬者700人、ファン3000人を前に母親美枝子さんが喪主あいさつに立った。「こんなに大勢の方に愛されて幸せでした。どうか忘れないで、みなさんの心の中に、ずっと、ずっと、お願いします」。気丈にそれだけ言い終えると、たまらずハンカチを目にあてた。位牌(いはい)を抱きしめながらもヒザが崩れるように折れ、よろけて所属事務所社長に支えられた。痛々しい姿が、見送る人々の悲しみを一層深くした。

 亡くなって4日目になっても、残された人々の涙はつきなかった。友人代表として弔辞を送った俳優岸谷五朗は「美奈子ちゃんがくれた手紙は、宝物になってしまいました」と冒頭からしゃくり上げた。本田さんとは04年の音楽劇「クラウディア」で共演し、病気がなければ今年1月も同じ舞台を踏むはずだった。闘病中も、病室を見舞って励ましていた。

 頑張り屋で明るく、周囲に気配りする本田さんの人柄を岸谷は「稽古場の天使」と表現。「本当にいい子でした…。いい子でした。こんないい子には2度と出会えない」「病気との闘いは、えらかったです。美奈子ちゃんはずっと頑張っていたのに、頑張れ、頑張れって言ってごめんね」と言葉を重ね、あふれる涙を右腕でぐいぐいふいた。

 本田さんが歌う賛美歌「アメイジング・グレイス」が流れる中、車が静かに動き出した。斎場を包むように膨れ上がった3000人のファンから「美奈子ー! 」という声が一斉に上がった。戒名の「釋優聲(しゃくゆうしょう)」は、天使の歌声といわれた本田さんらしく、お経の言葉で“優しいお声”を意味するという。

(日刊スポーツ) - 11月10日9時59分更新
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私も買おうかな。 (こまったちゃん)
2005-11-10 11:29:04
故・本田美奈子さん、ファンに支えられTOP10入りなるか!



 オリコンのwebサイト「ORICON STYLE」(http://www.oricon.co.jp/)が10日発表したオリコンデイリーアルバムチャートで、6日(日)に急逝した本田美奈子さんの作品が好動向を見せている。



 10月19日に発売された最新作『アメイジング・グレイス』は先週までの週間チャートでは100~200位台で推移していたが、急逝が報じられた6日のデイリーチャートで83位に急上昇、翌7日(月)には10位、8日(火)には13位と、先週までの最高位を大幅に更新し、週間TOP10入りも可能な好動向となっている。



 これ以外にも03年の『AVE MARIA』(最高81位)がデイリーチャートで32位→33位、今年5月の『LIFE~本田美奈子.プレミアムベスト~』(最高176位)が35位→35位、昨年の『時』(最高120位)が37位→46位と好推移を見せており、それぞれこれまでの週間チャート最高位を大幅に更新しそうな勢いだ。



『ORICON STYLE』

本田美奈子さん「主なシングル売上データ」→ 

http://www.oricon.co.jp/news/ranking/1781/

(オリコン) - 11月10日10時47分更新
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葬儀の様子 (こまったちゃん)
2005-11-10 11:27:55
本田美奈子さん告別式に3700人



 

 6日に急性骨髄性白血病のため死去した歌手・本田美奈子さん(享年38 本名・工藤美奈子)の葬儀・告別式が9日、埼玉県朝霞市の朝霞市斎場でしめやかに営まれた。戒名は釋優馨(しゃくゆうしょう)。04年にミュージカル「クラウディア」で共演した俳優・岸谷五朗(41)が号泣しながら弔辞を読み、芸能界を中心とする関係者700人とファン3000人が別れを告げた。

 こみあげる嗚咽(おえつ)を抑えることができない。参列者に微笑む遺影に向かい、岸谷は震える声で“お別れの手紙”を読み始めた。

 「あなたはいつもまじめで、いつも謙虚で、いつも仲間のことを考えていた。こんなにいい子とはもう二度と出会えないでしょう…」

 途中、何度もあふれ出る涙を手でぬぐった。04年5月から3カ月間、舞台をともにした思い出が脳裏をよぎる。

 「再び同じ舞台に立つという約束はかなわなかったけど、ぼくたちはこれからも舞台づくりをしていく。いつも美奈子ちゃんが見てるから、サボれないね」

 遺影に誓う。だれよりもステージを愛していた本田さんを知っていればこそ。最後は「本当の天使になった美奈子ちゃんへ」と締めくくった。

 午前10時の開式を待ちきれず、同8時には斎場前に記帳を待つファンの長い列ができた。戒名は「優しい声」を意味する「釋優馨」。その声が生でもう聞けなくなったのを惜しみ、全国のレコード店にはファンが本田さんのクラシックCDシリーズ「AVE MARIA」「時」「アメイジング・グレイス」を求めて殺到。「アメイジング―」には1万枚以上の追加注文があった。

 正午、本田さんが大好きだったというひまわりの花に飾られた紺色の棺が出発。「美奈子ちゃん、ありがとう~」とファンの絶叫がこだました。

(デイリースポーツ) - 11月10日11時12分更新
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お母さんが一番ショックを受けていることでしょう・・・ (こまったちゃん)
2005-11-10 11:26:29
泣き崩れる母「美奈子を忘れないで」



 急性骨髄性白血病のため38歳で亡くなった歌手、本田美奈子さんの葬儀が9日、埼玉県の朝霞市斎場で営まれた。前日の通夜を上回る計約3700人の参列者とファンが集まる中、喪主を務めた母美枝子さん(62)は「どうか美奈子を忘れないで」とあいさつ。その場で泣き崩れた。また、恩師の作詞家・岩谷時子さん(89)は療養先で別れの言葉を贈った。



 あまりに早すぎる死に“2人の母”は深い悲しみに暮れた。



 正午、雲ひとつない青空の下での出棺。育ての親の高杉敬二エグゼクティブプロデューサーらが体重37キロの本田さんの重みをしっかりと受け止めながら、迎えの車にゆっくりと棺を納めた。



 参列者約700人。会場から離れた沿道まで埋めたファンは約3000人。両手で位牌を抱いた母の美枝子さんは「こんなに大勢の方に愛されていたなんて、美奈子は本当に幸せです」とあいさつ。「どうか美奈子を忘れないで。皆さんの心の中にずっとずっと留めておいてください」と願うように言うと、ハンカチで目頭を押さえ泣き崩れそうに。支える高杉氏の腕で大粒の涙をこぼした。



 のど自慢大会に挑戦するなど歌手になることが夢だった美枝子さんにとって、自分の夢をかなえてくれた自慢の娘だった。



 新人賞を獲得した時には壇上に駆けつけ涙を流す娘をその胸に抱いた。20年間の歌手活動の中で一番の理解者だった。



 また葬儀では、足を傷めてリハビリ中の岩谷さんの「いつも真っすぐに生きていた、私の大好きな美術家。いつも娘のように思っていました」との弔文が代読された。



 ミュージカルに挑戦した当初から才能を絶賛し、復帰作も話し合っていた恩師だけに「すてきな天使に囲まれ、お歌を歌って」と別れの言葉を贈った。



 岩谷さんと作った「アメイジング・グレイス」の本田さんの澄んだ歌が流れる中、響き渡る悲しみのサイレン。妹の律子さん(34)はこぼれる涙もぬぐわずに遺影を抱きしめ、棺を乗せた車が会場を出ると、「ありがとう!」と涙声で叫ぶ大勢のファンが手を伸ばし、すがるように駆け寄った。



 遺体は、午後1時、埼玉県・戸田火葬場でだびに付された。

(スポーツニッポン) - 11月10日6時3分更新
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弔辞 (こまったちゃん)
2005-11-09 22:33:50
本田美奈子.さん、岸谷五朗さんが弔辞…告別式



 6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手、本田美奈子.(本名・工藤美奈子)さん(享年38)の葬儀が9日午前、埼玉県朝霞市の朝霞市斎場でしめやかに営まれた。弔問客約700人、記帳などに訪れた約3000人のファンがつめかけ、最後の別れを惜しんだ。



 葬儀では友人を代表し、昨年5月に舞台「クラウディア」で共演した俳優、岸谷五朗さん(41)が弔辞を読んだ。



 岸谷さんは「筆不精の僕は、いつも電話でした。これが初めての手紙です。美奈子ちゃん-」と遺影に呼びかけた。



 「けいこの最中にムチ打ちになって、首にコルセットを巻いてきたのにはびっくりしました。厳しいけいこの中で美奈子ちゃんの笑顔が雰囲気を変えてくれました。まさに天使でした」と岸谷さんは思い出を語りながら、「本番に入ってからの強靱(きょうじん)な精神力と存在感にびっくりしました。たくさんのやさしさをありがとう。ずっとがんばってきたのに、“がんばれ、がんばれ”と言ってごめんね」と涙をぬぐった。



 さらに、「これから美奈子ちゃんのことを見守っていきます。今まで一緒に舞台にいられてよかったと思います。約束した『また同じ舞台に立つ』ことはできないけれど、これからも美奈子ちゃんが天国から見ているので、さぼれません。本当の天使になった美奈子ちゃん-」と言葉を結んだ。岸谷さんは時折、声をつまらせ、報道陣にも声が聞き取れないほどだった。



 本田さんの母で、喪主の美枝子さん(62)は「こんなに大勢の皆様に愛されて、美奈子は本当に幸せです」と会葬者に頭を下げた。出棺時にはファンから「美奈子、ありがとう」の声が上がった。



 法名は、やさしい声の持ち主という意味を込めて「釋優馨(しゃくゆうしょう)」とされた。



 歌手、松崎しげるさんの話「デビュー前から知っていて、当時は三つ編みに制服姿のかわいらしい子だった。もうアンコールにこたえて出てくれることもない。これからどんどん仕事が楽しくなっていく時だったのに…」



 フリーアナウンサー、山本文郎さんの話「家が近所で親しくしていました。カラオケで越路吹雪さんの『愛の讃歌』を歌いたいといっていたのに…。本当に明るく、純な子でした」

(夕刊フジ) - 11月9日17時1分更新

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ドナー登録を真剣に考えてみようかな (こまったちゃん)
2005-11-09 22:32:53
生き続ける本田美奈子さんの遺志

 

 6日に急性骨髄性白血病のため死去した歌手・本田美奈子さん(享年38 本名・工藤美奈子)の通夜が8日、埼玉県朝霞市の朝霞市斎場でしめやかに営まれ、芸能界を中心とする1200人が参列し、故人との別れを惜しんだ。白血病と闘い続けた故人の遺志を引き継ぎ、今後は白血病患者を援助するNPO法人「LIVE FOR LIFE PROJECT」を立ち上げ、追悼コンサートなどの収益を公的医療機関に寄付するという。さらに病床で作詞した遺作「笑顔」も披露された。

 白い花で飾られた祭壇の真ん中で本田さんが微笑んでいる。その遺影は昨年11月、都内のスタジオで撮影された。カレンダー用に撮った本人お気に入りだった。会場で流されている音楽も10月19日に発売したばかりの20周年記念アルバム「アメイジング・グレイス」の収録曲だった。

 歌手復帰を目指しながら、白血病に夢破れた本田さん。故人の遺志を引き継ぐ形で、育ての親・高杉敬二プロデューサーらが中心となり、白血病患者を援助していくプロジェクト「LIVE FOR LIFE PROJECT」(生きるために生きる)を立ち上げた。今後はNPO法人化を視野に入れて活動し、本田さんの追悼コンサートを定期的に開催。その利益などを公的医療機関などに寄付していくという。

 またこの日は、病床で本人が書いた「笑顔」という詩が発表された。復帰し、曲をつけて歌う日を楽しみにしていた遺作で、追悼コンサートでは何らかの形でファンに披露するという。

 「大事に大事に開催したい。皆さんの心の中で、ずーっと生き続けてほしい」という高杉氏。斎場の入り口横にはファン用の献花所も設けられた。涙ながらに遺影に手を合わせ「信じられない」と泣きじゃくるファン。棺には思い出の品やファン代表の手紙が収められた。38歳。だれもが若すぎる死を惜しんでいた。

(デイリースポーツ) - 11月9日12時14分更新
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お通夜のもよう その3 (こまったちゃん@始業前)
2005-11-09 08:52:10
本田美奈子さん通夜 2700人がお別れ 西田敏行さん涙「素晴らしいシンガーになろうという心意気あった」



 6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手の本田美奈子.(本名・工藤美奈子=享年38歳)さんの通夜が8日、埼玉・朝霞市斎場でしめやかに営まれた。俳優の西田敏行(58)ら多くの芸能人仲間が駆けつけ、本田さんを悼んだ。また、本田さんと所属事務所が立ち上げたチャリティープロジェクト「LIVE FOR LIFE」の発起人を中心にした追悼コンサートが行われることになった。



 南野陽子が泣き崩れ、岩崎宏美が言葉を失った。アイドル時代からの親友や、西田敏行、天海祐希ら1500人が、そして斎場の外の道路までを埋め尽くした1200人ものファンが、本田さんの早すぎる死に涙を流した。



 本田さんが大好きだったというかすみ草と、白い胡蝶蘭(こちょうらん)でいっぱいに彩られた祭壇。中央にはほおに手をあて、さわやかな笑顔を見せる本田さん。病魔に襲われる前の昨年12月に撮影された写真が遺影として飾られ、棺(ひつぎ)には本田さんが好きだったCDやファンからの手紙が納められた。



 喪主を務めた母の美枝子さん(64)、妹の律子さん(34)ら親族、関係者のほか、芸能界からも続々と弔問客が訪れた。本田さんが03年5月に発売したクラシック・アルバム「アベ・マリア」の収録曲が流れる中、祭壇の前で肩を震わせる人、じっと遺影をみつめる人…。さらに沿道にはファン専用の祭壇が設けられた。舞台で共演した西田敏行は「天賦の才と人一倍の努力で素晴らしいシンガーになろうという心意気があった。悔しかったと思う」と涙を流した。



 また、来年から病気と闘うすべての人々のための“追悼コンサート”が定期的に行われることも明らかになった。闘病中の本田さんが名付けた、今年5月に立ち上げられたチャリティープロジェクト「LIVE FOR LIFE」のイベントを今後、定期的に行っていくという。



 「LIVE―」は本田さんが旗を掲げる姿をシンボルマークにしたシールや、携帯ストラップなどを販売し、その収益を公的医療機関などに寄付したりするもので、発起人には本田さんの所属事務所のエグゼクティブプロデューサー・高杉敬二氏のほか、作詞家の岩谷時子さん、歌手の松崎しげる、岩崎宏美らが名を連ねている。



 法名は釋優聲(しゃくゆうしょう)。葬儀・告別式は9日午前10時から同所で営まれる。弔辞は、昨年5月に舞台「クラウディア」で共演した俳優の岸谷五朗が担当する。



 ◆弔問に訪れた主な芸能著名人 秋元康、天海祐希、ANRI、今井清隆、井森美幸、岩崎宏美、大場久美子、小倉智昭、かたせ梨乃、河相我聞、岸田敏志、工藤夕貴、シルビア、涼風真世、高嶋ちさ子、高嶋政伸、立花理佐、寺脇康文、徳光和夫、中村繁之、夏木マリ、西田敏行、野田義治、服部克久、早見優、ヒロミ、松本伊代、松本典子、宮沢和史、村井国夫、YU―KI(五十音順、敬称略)



◆今年3月に病床で作詞「笑顔」



 本田さんが今年3月に病床で作詞した「笑顔」というタイトルの歌詞もこの日、公開された。関係者によると、曲はまだできておらず、CD化は未定。(以下原文のまま)



 笑顔

 子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんな、みんな 笑っている顔が素敵。怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!きっと笑顔が幸せを呼ぶと、頭では分かっていても、心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?

 心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。

 でも人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、勿論、沢山あると思う。そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。もっと、心が暗闇に閉じこめられている人達も、沢山いることを、少しだけ思い出してみて。

 自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。気が付かないうちに心が開いている人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。それは、人それぞれだと思うの。

 人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって豊かな心を持ち、豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。

 笑顔がいちばん

(スポーツ報知) - 11月9日8時0分更新
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お通夜のもよう その2 (こまったちゃん@始業前)
2005-11-09 08:51:13
さようなら本田美奈子.さん…しめやかに通夜営まれる



 6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手、本田美奈子.さん=本名・工藤美奈子=(享年38)の通夜が8日、埼玉・朝霞市斎場でしめやかに営まれ、一般弔問客1200人、ファン1500人の計2700人が故人の冥福を祈った。また、所属事務所の高杉敬二エグゼクティブプロデューサー(66)らが、美奈子.さんの遺志を継いで白血病患者の支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」主催によるチャリティーコンサートを行うことを発表した。葬儀・告別式は、9日午前10時から同所で。



 「もう一度歌いたい」



 美奈子.さんが最後まで願い続けた思いを叶えるため、そして同じ病気と闘う人たちを支援するため、来年にもチャリティーを兼ねた追悼公演が開かれることになった。



 白血病患者支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」は、今年5月に病床の美奈子.さんが「病室にいる私にできることはなんだろう」と高杉氏に訴え、「同じ苦しみの中で頑張っている人たちの代表として、みんなに勇気と希望のエールを送ることが私の使命」と設立した。



 発起人には美奈子.さんが師と仰ぎ、故越路吹雪さんのマネジャーでもあった作詞家、岩谷時子(89)さんや歌手の岩崎宏美(46)、松崎しげる(55)らが名を連ね、NPO(非営利団体)法人をめざした。また、同プロジェクトのテーマソングも完成し、あとは美奈子.さんの回復を待って、チャリティー公演を行うだけだった。



 高杉氏は「美奈子の残した財産なので、大事にしていきたい。1回や2回でつぶれるようなコンサートにしてはいけないから」と、じっくり準備段階を設けて臨む意向を明かした。



 ただ、来年には発起人に名を連ねる岩崎や松崎をはじめ、ミュージカル「ミス・サイゴン」で美奈子.さんの恋人役を演じた岸田敏志(52)ら歌手仲間が一堂に会し、天国の美奈子.さんに届けてとばかりに第1回のチャリティー公演が実現する運びという。



 また、この日「笑顔」と題した遺稿も発表された。「辛い時、悲しい時、あせらないでね。自分だけが不幸じゃない」と自らに言い聞かせ、「自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事ができるでしょう。笑顔がいちばん」と、最後まで明るい笑顔で前向きに生きた美奈子.さんらしい文章だった。



 祭壇には700本の供花に囲まれ、美奈子.さんの遺影が微笑んでいた。昨年11月にカレンダー用に撮影されたとびっきりの1枚だった。棺にはファン代表の手紙やCDが入れられ、BGMにはアルバム「AVE MARIA」が絶え間なく流れた。

(サンケイスポーツ) - 11月9日8時3分更新
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お通夜のもよう (こまったちゃん@始業前)
2005-11-09 08:50:00
本田美奈子さん通夜2700人弔問



 急性骨髄性白血病のため38歳で亡くなった歌手・本田美奈子さんの通夜が8日夜、埼玉県朝霞市の朝霞市斎場でしめやかに営まれた。親友の南野陽子(38)ら1200人が参列。斎場の外にはファン1500人が集まり、早すぎる死を悼んだ。また、本田さんの遺志を継ぎ、白血病に苦しむ人々を支援するプロジェクト「LIVE FOR LIFE」を始動させることが決定。来年春にも歌手仲間が集まってチャリティー公演を開く。



 南野は大親友の早すぎる死に、こらえきれず声を上げて涙を流した。「東京に来て初めてできた同じ夢を持つ友達でライバル。(亡くなったなんて)認めたくない」。報道陣の前で泣き崩れた。



 同い年で堀越高校時代はクラスメート。デビューは南野の方が1年早かったが、公私にわたる盟友だった。明治座(東京都中央区)での舞台「細雪」が午後7時半に終演してから、午後9時に駆けつけた。



 ちょうど1年前の11月8日に、旅行先の本田さんから「いつも私の心には陽子がいるよ」という内容のメールが届いた。「あれからたった1年なのに悔しい。私を筆頭に歌も上手じゃなく努力もしない人がいっぱいいるのに何で…」と号泣。また、亡くなる前日に病室を見舞ったそうで「苦しそうだったけど、涙を流して声を漏らしてしゃべりたそうだった。“分かっているの?”と聞いたらまばたきをしてくれた」と振り返った。



 真っ白の花で埋め尽くされた祭壇には、愛くるしい笑顔の遺影。昨年11月にカレンダー用に撮影された写真が、参列者にほほ笑みかけている。斎場では「AVE MARIA」など代表曲が流れる中、弔問客が焼香した。



 棺の中にはファンからの手紙や20周年を記念して作った着物、治療の時にいつも握りしめていたコアラのぬいぐるみが納められた。本田さんはパジャマ姿で、足にはペディキュアがきれいに塗られていた。



 葬儀・告別式はきょう9日午前10時から同斎場で。法名は「釋優聲(しゃくゆうしょう)」。

(スポーツニッポン) - 11月9日6時3分更新
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のぶのぶさーーん(T_T) (こまったちゃん)
2005-11-08 22:57:35
のぶのぶさんのコメント読んで、マジ泣きです。

惜しすぎる死です。

あの細い体からの超音波級の高音はスゴイよね。

「夜もヒッパレ」を見てて腰抜けそうになったことあるよ。
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類似記事ですがUPします (こまったちゃん)
2005-11-08 22:54:59
B・メイが本田美奈子.HPに追悼文「まだ若い…」



 急性骨髄性白血病で6日に亡くなった歌手、本田美奈子.さん(享年38)に楽曲を提供した英ロックバンド「QUEEN」のギタリスト、ブライアン・メイ(58)が7日、自身の公式ホームページ(HP)に追悼文を寄せ、本田さんの死を悼んだ。



 ブライアンはHPのトップページに「SAD NEWS-MINAKO HONDA」と題し、86年のレコーディングの際のツーショット写真を掲載。「親愛なる友人の美奈子が亡くなった。まだ若いのに。とても明るくて輝いていた。『Golden Days』はしばらく聴けない」とつづり、「Minako was a little angel. Love」と締めくくった。



 出会いは86年。和製マドンナと評された本田さんの歌声を知り、翌87年に「Crazy Nights」「Golden Days」の2曲を作詞作曲しレコーディングにも付き添った。「Golden-」はヨーロッパでも発売され、本田さんの世界デビューのきっかけになった。



 一方、本田さんが病床で選曲し直筆コメントも掲載した遺作ミニアルバム「アメイジング・グレイス」(10月19日発売)に注文が殺到し、本田さんの公式HPにもアクセスが相次ぎ、一時はパンク状態になるなどその死を惜しむ動きがやまない。



 また、今年8月に本田さんの応援企画を放送したテレビ東京系「たけしの誰でもピカソ」(金曜午後10時)で11日に追悼企画を放送する。



 本田さんの通夜は8日午後6時から、告別式は9日午前10時から、埼玉県朝霞市溝沼1259の1の「朝霞市斎場」で営まれる。

(夕刊フジ) - 11月8日17時1分更新
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11日! (こまったちゃん)
2005-11-08 22:54:03
テレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」で番組の予定を変更して追悼番組をやるようです。

この番組の応援番組を見たのがついこの間なのに・・・。
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・゜・(つД`)・゜・ ウワァァァン (のぶのぶ)
2005-11-08 21:34:14
アタシもショックでした。

マリリンの頃は小学生だったけど、印象に残ってて、時々テレビで舞台で歌ってるシーンを見て、あんな細い体から力強い声が出るってすごい!!っと思ってました。

ずっと前の目覚ましテレビで、肉声の声を聴いたときは、「よかった!元気になったんだ!」そして退院ってきいたから、安心してたのに・・・

なんか、記事を読んでいくうちに・・・涙ぐんでしまいました。
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(T_T) (こまったちゃん@昼休み)
2005-11-08 12:31:13
岸田敏志「大きな瞳忘れられない」



 ミュージカル「ミス・サイゴン」「屋根の上のヴァイオリン弾き」の2作連続で恋人役を演じた歌手の岸田敏志(52)は7日、都内でスポニチ本紙の取材に「彼女はしゃべる時にいつも口をとんがらせる。それがすごくかわいくて。あの大きな瞳とともに忘れられないです」と語り、目を潤ませた。



 副作用の強い抗がん剤を使った闘病だけに、見舞いに行くことはかなわなかった。思い出されるのは共演仲間と行った焼き鳥店。「明るくはしゃいでね。とにかく頑張り屋で、妥協することは絶対にしない。アイドル歌手時代のビブラートのくせを取るために一生懸命に発声練習からしていた。自分の力でつかんだ主演の座に誇りを持っていた」としのんだ。

(スポーツニッポン) - 11月8日6時4分更新
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なんだかショックが薄れるどころか濃くなりますね・・・ (こまったちゃん@昼休み)
2005-11-08 12:30:24
本田美奈子.さん死去「信じられない」森口博子が緊急会見



 6日に急性骨髄性白血病のため死去した歌手、本田美奈子.(本名・工藤美奈子)さん(享年38)と同期の歌手、森口博子(37)が7日、東京・文京区のキングレコードで緊急会見を行い、「美奈子ちゃん、ありがとう」と天国に旅立った本田さんにメッセージを送った。



 スタッフに付き添われて会見場に姿を現した森口は「信じられない」と第一声。昨年12月に東京・日本武道館で行われたチャリティー公演が最後の共演となったが、当時の本田さんについて「すごい元気で、いつも笑顔を絶やさない美奈子ちゃんパワーをくれて、誇らしい仲間だと感じた」と振り返った。



 一時退院中の8月下旬には「ハートマークいっぱいのメールをくれて、病気と闘っている人とは思えなかった」と逆に元気づけられたが、これが最後のメールとなってしまった。



 「最後まであきらめない勇気とパワーをありがとう」。天国の本田さんに感謝の言葉をかけた森口は「もうすでに歌っていて、『美奈子はこっちでも元気だから、みんな心配しないでね』と言っていると思う」とかけがえのない歌手仲間を偲んでいた。



 通夜は8日午後6時から、告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼の朝霞市斎場で営まれる。

(サンケイスポーツ) - 11月8日8時3分更新
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波紋の大きさについて考える (こまったちゃん@昼休み)
2005-11-08 12:28:40
QUEENブライアン・メイが本田美奈子さんを追悼



 英人気ロックバンド・QUEENのギタリスト、ブライアン・メイ(58)が7日に、急性骨髄性白血病で亡くなった歌手で女優の本田美奈子.(本名・工藤美奈子=享年38歳)さんを追悼した。公式ホームページ(HP)で本田さんの死を悼んだ。この日、所属レコード会社には10月19日に発売され、遺作となったミニアルバム「アメイジング・グレイス」の注文が相次ぎ、本田さんのHPにアクセスが殺到し一時パンクするなど、若すぎる死に悲しみは広がるばかりだ。



 世界的ギタリストが、本田さんの早すぎる死を悼んだ。2人の出会いは1986年。“和製マドンナ”と評された本田さんの確かな歌声にブライアンがほれ込み、楽曲をプロデュースしたのがきっかけだった。



 翌87年に発売された「Crazy Nights」「Golden Days」の2曲をブライアンが作詞・作曲。もちろんレコーディングにも付き添った。「Golden―」はヨーロッパでも発売。本田さんの世界デビューの大きな力ともなった。



 明るく、フレンドリーな本田さんの人柄も手伝い、親交は約20年も続き、最近も連絡を取り合っていた。一進一退の病状も把握していた。ブライアンは、10月末から今月3日までQUEENの日本公演で来日。関係者によれば、来日中も本田さんを気にかけ、お見舞いに行きたがっていたが、スケジュールの都合でかなわずじまいだった。



 ブライアンはこの日に、自身の公式HPに、86年にともにレコーディングを行った時の写真に合わせ、英語で追悼メッセージを掲載した。



 「今回、ツアーで東京に行ったとき、初めに彼女のことが頭に浮かんでいたんだ。体調が良くないことは聞いていて、事務所を通じてメッセージを送った。英国に戻って彼女が亡くなったのを聞いたけど、メッセージは彼女に届いたのかどうか…。悲しみと追悼の気持ちでいっぱい。『Golden Days』はしばらく聴けない」



 そして「Minako was a little angel(美奈子は小さな天使だった)」と「Love」の4文字で締めくくった。



◆遺作アルバムの問い合わせ殺到



 所属レコード会社にはこの日、遺作となったミニアルバム「アメイジング・グレイス」の注文や問い合わせが殺到。生産が追いつかない状況になっている。同CDは以前に発表したアルバムから本田さん本人が病床で選曲、直筆コメントも掲載した。これだけでなく、本田さんの公式HPにもアクセスが相次ぎ、一時はパンク状態になった。また、親交のあったタレントの森口博子、俳優の高嶋政宏も会見し、悲しみをこらえながら再び一緒に仕事ができない寂しさを語っていた。

(スポーツ報知) - 11月8日8時0分更新
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見れば見るほど悲しくなるばかり。 (こまったちゃん)
2005-11-07 15:02:33
早すぎる…本田美奈子さん急死



 歌手で舞台女優としても活躍していた本田美奈子さん(本名工藤美奈子)が6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため、入院先の東京都内の病院で亡くなった。38歳だった。本田さんは今年1月、同病気のため緊急入院。当時の診断では6カ月の入院が必要とされ、年内の復帰を目指して闘病を続けていたが、ここ数日で容体が急変し、帰らぬ人となった。

 「元気です」「元気です。順調に回復しています」…。8月20日に放送されたテレビ番組で公開された肉声テープで、何度もこみあげる涙をこらえ、時折言葉に詰まりながらも、自らに言い聞かせるように繰り返していた本田さん。病名公表から、10カ月。常に白血病と闘う姿勢を見せ、無菌室のベッドで舞台復帰を目指していたが、ついに帰らぬ人となった。

 本田さんが入院したのは今年1月12日。3度の化学療法の治療、さらに5月12日には造血幹細胞移植(臍帯血移植)も受けた。その間、治療の影響で一時は食道がただれ、2カ月も食事をとることすらできず、細い体はますますやせ衰えたという。しかし臍帯(さいたい)血移植で血液型はO型からA型に変わり、新しく生まれ変わった姿で7月30日に一時退院。31日には自宅で誕生日を迎え、闘病中ながら「とても幸せな日々をすごしていた」(関係者)という。

 ところが8月24日の定期検診で骨髄検査を行い、同月31日の検査結果で染色体に異常が発見され、9月7日に再入院。検査結果で再発が判明した。同月24日、米国から到着した新薬の抗がん剤を投与し、結果が良好と診断され、10月に2度目の帰宅ができた。食欲も旺盛で本人は大変喜んでいたという。

 同月21日、骨髄検査。この検査によって再び、染色体の異常が発見され、治療が始まった。一時は持ち直したが容体が急変し、亡くなった。

 本田さんはこの間、10月には未発表音源を含めた20周年記念のミニアルバム「アメイジング・グレイス」を発売。また、一時は体調が持ち直し、年内の退院が見込まれたため、新曲のレコーディングの準備を進めていた矢先だった。

 通夜は8日に埼玉県朝霞市大字溝沼1259―1の朝霞市斎場で、告別式も9日に同所で営まれる。喪主は母の工藤美枝子さん。葬儀委員長は高杉啓二BMIエグゼクティブプロデューサー。

(デイリースポーツ) - 11月7日10時54分更新
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こんなNEWSも・・・ (こまったちゃん)
2005-11-07 09:08:53
親友の南野陽子、岩崎宏美ら絶句、号泣



 38歳の早過ぎる旅立ち――。本田美奈子さんの悲報に、ミュージカルなどで共演してきた役者仲間・先輩、アイドル歌手時代の同級生らは絶句、親交の深かった南野陽子(38)は号泣した。「レ・ミゼラブル」(97年)で同じ舞台を踏んだ歌手の岩崎宏美(46)は、亡くなる前日の5日も病床で励まし「天使のような子でした」。ミュージカルデビュー作「ミス・サイゴン」(92年)で共演した俳優の市村正親(56)は「悔しい」と語った。



 本田さんと長年の親交があった南野は6日、東京・中央区の明治座で出演舞台「細雪」の公演の合間に悲報を聞き号泣した。関係者によると、昼の公演終了後にスタッフから知らされ、1人で楽屋にこもり大泣き。「ショックが大きくコメントできる状態ではなかった」(所属事務所)と明かしたが、午後4時からの夜の部では、悲しみをこらえ気丈に舞台に立った。



 同い年の2人は堀越高校時代はクラスメート。仕事の面では南野が1年先にデビューした“先輩”だったが、「グリコ」のCMで共演するなど公私ともに仲が良かった。



 本田さんの闘病中にたびたび病室を訪問。3日に昏睡状態に陥った直後にも見舞っていた。今年8月19日に放送されたテレビ東京「たけしの誰でもピカソ」の本田さんを応援する特別企画にもゲスト出演、ミュージカル「ミス・サイゴン」で歌う本田さんのVTRを見て、涙ぐみながら「待ってるから」とエールを送っていた。8日の通夜には、舞台の公演後に駆けつけるという。



 85年にデビューしたアイドル同期生たちも、悲しみに包まれた。森口博子(37)は「退院後の8月に“だいぶ元気になったよ!がんばるね”とメールをもらいました。ハートマークいっぱいのパワーあふれる言葉に、逆に私が元気づけられて、また一緒に歌える日を楽しみにしていたのに」と信じられない様子。堀越のクラスメートだった長山洋子(37)は号泣。「治ると思ってたのに…。なんてひどい神様なの」と言葉にならなかった。芳本美代子(36)は「突然の訃報(ふほう)に驚いております。同期の美奈子さんの活躍は励みにさせていただいておりました」と肩を落とした。



 ≪岩崎「天使のような子」≫本田さんが入院してからも数回お見舞いに訪れていたという岩崎は「奇跡を信じていました。最後まで病気と真正面から闘う姿を見ていたので悔しくてなりません」とコメント。さらに「人の悪口を絶対言わない天使のような子。仕事先で私のポスターを見たよと、よく写真をメールで送ってくれた。今、私の携帯には美奈子からのメールがいっぱい入っています」と明かした。



 本田さんがミュージカルの世界に羽ばたく姿を、間近で見ていた市村は「その後の美奈子にとって、ミュージカル活動はなくてはならない存在になりました」と振り返った。「治ったらまた一緒の舞台をやりたいと思っていたのに、残念というより悔しくてたまりません。なぜこんなにも早く…」と悔しさをにじませた。



 本田さんが降板した3月の「レ・ミゼラブル」で代役を務めたマルシア(36)には、代役公演後に「ありがとう」とお礼のメールが届いていた。「美奈子さんと歌いたかった。いつか同じ舞台に立ちたかった」と強い悲しみを示した。



 03年に「十二夜」で共演した大地真央(49)は「私のことをとても慕ってくれた美奈子ちゃんの笑顔を思うと、胸が張り裂ける思いです。病床のつらい中からもお手紙をくださった」と声を詰まらせた。



 ≪夕貴「信じられない」≫今年5月に上演されたミュージカル「クラウディア」で本田さんの代役を務めた工藤夕貴(34)は「信じられない」と話した。昼間にマネジャーから聞かされたようで「良くなっていると聞いていたので本当にびっくりした。何かの冗談でしょ」とぼうぜん。「デビュー当時から尊敬していて、親せきと噂されることもあったので特別な存在。本当に残念です」と肩を落とした。



 岸谷五朗(41)、寺脇康文(43)ら同ミュージカルの出演者で応援ビデオを作ったエピソードも明かした。「舞台期間中はみんなずっと気にしていた。岸谷さんと寺脇さんの楽屋から本田さんの曲がよく聞こえてきた」



 2年前にテレビ電話で話をしたのが最後。「本田さんには遠く及ばなかったと思う。私のクラウディアどうでした?って聞きたかった」と話した。

(スポーツニッポン) - 11月7日6時3分更新
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我々世代には (こまったちゃん@始業前)
2005-11-07 08:52:44
衝撃ともいえる早すぎる、そして惜しすぎる死ですね。

特番がんがんやって、彼女の歌声をみんなに届けて欲しいです。



蛇足ですが、彼女って工藤夕貴の従姉妹でしたよね。

天賦の才能を生かすため並々ならぬ努力をしてきた二人とも同じ世代なので、私はまぶしく見ていたわけです。

今後一層、工藤夕貴の活躍を期待します。
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悲しいです。 (kossy)
2005-11-07 02:18:58
ドナー登録しとけばよかった・・・

悲しい・・・
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あとは (こまったちゃん)
2005-11-06 22:31:17
カンニングの相方が心配ですね。

白血病はドナーさえ見つかれば助かるんだと思ってたよ・・・。

でも、ドナー登録には二の足を踏んでいるこまったちゃんであります。

検査ですら痛いっていうしなー。
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ショック… (Babi Kaoru)
2005-11-06 22:21:44
順調に回復しているものと思ってました。

あまりにも急で驚きました。

まだまだ急性骨髄性白血病で亡くなる人はいるのですね。



心より御冥福をお祈り致します、合掌。
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まさか!? (こまったちゃん)
2005-11-06 19:17:32
というよりほかありません。

ミュージカル業界も激震でしょうね・・・。
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Unknown (ちい)
2005-11-06 18:31:20
私も治るものと思って疑わなかったので、すごくショックです。
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