国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

『私のヒーローたち』

2021-08-17 13:56:40 | 国語

●非常に昔、作った小論文問題。まあ、小論文? 関係ないし、と思われた方も以下の文章を読んでもらえるとありがたい。面白いと思う。できれば、リンク先の文章を読んでくださいませ。解説は採点官用である。講義のメモでもある。

 

次の文章を読んで後の問一と問二に答えなさい。なお、文章は一部、改変、省略がなされている。

 

私のヒーローたち

     Paul Graham / 青木靖 訳(全文はこちら→『私のヒーローたち』

 書くのがすごく楽しそうなので取っておいているトピックがいくつかある。今回のはその一つで、私のヒーローたちについての話だ。

 ここに挙げたのがもっとも尊敬すべきn人であると主張するつもりはない。そういうリストを作るつもりになったところで、いったい誰にそんなもの作れるだろう?

 たとえばここにアインシュタインは出てこない。彼は尊敬すべき人々を並べたどんな短いリストにもおそらく顔を出すことだろう。私は以前物理学者をしている友人に尋ねたことがある。アインシュタインって、本当にあの名声に見合うほど頭のいい人間だったの? 彼女はそうだと答えた。ではなぜアインシュタインはこのリストに出てこないのか? それは、ここに挙げているのは私が影響を受けた人たちであって、私にその業績を本当に理解できたなら影響を受けるだろう人たちではないからだ。

 私が使っている基準は、誰かについて「この人は私のヒーローだろうか?」と問うというものだ。答えはしばしば自分でも驚くものになる。たとえばモンテーニュはノーだった。彼はエッセイという形式を確立した人だとされているというのに。それならなぜ? どういう人を自分がヒーローと呼んでいるか考えてみると、それは決断するときにその人ならどうしただろうかと想像するような人だ。これは通常の尊敬よりも範囲の狭い基準になる。

 リストを作ってみた後、そこに何かパターンがあるだろうかと考えてみた。そしてとてもはっきりとしたパターンを見つけた。このリストに現れる人はみんなある2つの資質を持っているのだ。自分の仕事に対してほとんど過剰なまでに神経を使っていたということ、そして絶対的に誠実であったいうことだ。誠実と言ったのは、信頼できるという以上に、決して迎合しないということだ。彼らは周りから要求されたために何かを言ったりしたりするということがない。彼らはみな、この理由により反乱分子の要素があり、ただ多かれ少なかれそのことを隠しているのだ。

レオナルド

 何かを作るということについて私が学んだことで、子供の頃にはわかっていなかったことの一つは、最高の作品というのは聴衆のためではなく、自分自身のために作られるということだ。美術館で絵画や素描を見ると、それが自分たちに見てもらうため描かれたように感じる。しかし実際には、最高の作品の多くは他の人を喜ばせるためではなく、世界を探求する手段として作られたのだ。そのような最高の探求の結果というのは、人を喜ばせることを明示的に意図して作られたものよりも、さらに喜ばしいものになる。

 レオナルドは多くのことをした。彼のもっとも尊敬すべき資質は、非常に多くの異なった尊敬すべきことを成したということだ。今日彼が世に知られているのは、絵画作品や、飛行機械のような華々しい発明によってだ。彼は芸術家の構想する宇宙船を描いた夢想家のように見える。しかし実際には、彼はずっと実用的な技術的発見を非常にたくさんしている。彼は画家であるとともに、優れたエンジニアでもあったのだ。

 私から見て彼のもっとも印象の強い業績は素描だ。それは何か美しい作品を作るというより、世界を探求する手段として作成されている。それでいて、かつて作られたどんな美術作品よりも美しい作品になっている。人に見せない作品をあれほど見事に作った人というのは、前にも後にも他にいない。

ラリー・ミハルコ

 子供時代のある時点ですばらしい先生に出会ったという人は多い。私にとってはラリー・ミハルコがそうだ。思い返してみると、3年生と4年生の間には明確な境界があるかのようだ。ミハルコ先生と出会った後、すべてが変わった。

 なぜだろう? 第一に、彼は強い知的好奇心を持っていた。頭のいい先生なら他にも何人かいたが、彼らは知的好奇心が強いとは言えなかった。今から思うと、彼には小学校の先生というのは場違いであり、彼自身そのことがわかっていたと思う。それは彼にとってはつらいことだったに違いないが、私たち生徒にとっては得難いことだった。彼の授業はいつも冒険のようだった。毎日学校に行くのが楽しかった。

 彼を違ったものにしていたもう一つの点は、彼が私たちのことを好きだったということだ。そういうことに関しては子供は敏感なものだ。ほかの先生たちは好意的に無関心というのがせいぜいだ。しかしミハルコ先生は、本当に私たちと友達になりたいと思っているようだった。4年生の最後の日、彼は学校の重たいレコードプレーヤーを教室に持ってきて、ジェームス・テイラーの「君の友だち」をかけた。ただ僕の名を呼んでくれれば、たとえどこにいようと、君の元に駆けつけるよ。彼は59歳のときに肺がんで亡くなった。私は後にも先にも彼のお葬式のときのように泣いたことはない。

スピットファイア

 このリストを作りながら、ダグラス・バーダー、R・J・ミッチェル、ジェフリー・クウィルのような人たちのことを考えていて、それぞれの生涯において多くのことをなした彼らを強く結びつけている一つのものに目をとめた。スピットファイアだ。

 これはヒーローのリストなのに、どうして機械が出てくるのか? それはスピットファイアがただの機械ではなかったからだ。それはヒーローのレンズだった。途方もない愛情がそこに注がれ、途方もない勇気がそこからあふれ出てきた。

 第二次世界大戦はよく善と悪の競い合いのように見られるが、しかし実際には戦闘機デザインの競い合いだったのだ。スピットファイアの敵はME 109で、それはきわめて実用的な飛行機であり、殺人マシンだった。スピットファイアは楽観主義を体現していた。あの美しい輪郭を持つだけでなく、それは工業的に作りうる最先端のものだった。そして本道を行くことは実りをもたらした。空においては、美がまさに力となったのだ。

(スピットファイア)

アイザック・ニュートン

 ニュートンは私のヒーローたちの殿堂の中にあって変わった役割を果たしている。私は彼によって自分を叱咤しているのだ。彼は彼の人生の少なくともある部分では、大きな問題に取り組んだ。人は小さな問題で気を紛らわせやすいものだ。快適に答えることのできる馴染み深い問題だ。すぐに結果が出せる。実際一時的な問題に対処するというのは割がいいものだ。しかし自分ではそれが無名への道であることに気付いていて居心地悪く思っている。

 本当に大きなことをしようと思うなら、他の人がそれを問題だと気付きすらしないような問題を求める必要がある。そういうことをした人はおそらくニュートン以外にもいたのだろうけど、私にとってニュートンはこの種の思考のモデル的な存在なのだ。彼がどんな風に感じていたのかを、私はようやく理解し始めている。

 あなたの人生は一つしかない。そうであれば何か大きなことをしようとは思わないか? 「パラダイムシフト」という言葉は今では使い古されているが、トーマス・クーンは何かを掘り当てたのだと思う。そしてそこにはもっと大きなものがあって、後になって驚くほど薄かったことがわかる怠惰と愚かさの壁によって我々と隔てられている。ただ我々がニュートンのように働きさえすれば――

 

※パラダイムシフト

 その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。科学史家トーマス・クーンによって提唱された。

 

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<設問>

問一

あなたにとってのヒーロー・偉人とはどのような人物ですか。九〇字~三〇〇字程度の一段落で定義、説明をしてください。なお、問二を意識すること。さらに進学先で学ぶことを関連させると良い。

 

問二

あなたにとってのヒーロー・偉人とは誰(あるいは何)ですか。問一を踏まえて、一五〇字~三〇〇字程度の一段落で書きなさい。

 

 

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<解説>

 今回のポイントは課題文を参考にする力、段落を作る力、そして抽象的な主張をする力(問一)とそれに対応した具体例を作る力(問二)をそれぞれ試しています。解答時間が60分であること、文系と理系がわかれていないことなどを考えると、このような出題になりました。しかし、先にあげた「課題文を参考にする力、段落を作る力、抽象的な主張をする力とそれに対応した具体例を作る力」は、いかなる小論文でも重要な点ですので、採点、よろしくお願いします。

 

課題文では以下のようにヒーローについて述べています。

  • ここに挙げているのは私が影響を受けた人たち
  • どういう人を自分がヒーローと呼んでいるか考えてみると、それは決断するときにその人ならどうしただろうかと想像するような人だ
  • リストを作ってみた後、そこに何かパターンがあるだろうかと考えてみた。そしてとてもはっきりとしたパターンを見つけた。このリストに現れる人はみんなある2つの資質を持っているのだ。自分の仕事に対してほとんど過剰なまでに神経を使っていたということ、そして絶対的に誠実であったいうことだ。誠実と言ったのは、信頼できるという以上に、決して迎合しないということだ。彼らは周りから要求されたために何かを言ったりしたりするということがない。彼らはみな、この理由により反乱分子の要素があり、ただ多かれ少なかれそのことを隠しているのだ。

 抽象的なヒーローのパターンの各々を読み取っていると、問一が解答しやすいことでしょう。

 さて、以上のことにその後の記述にある各例が対応しています。原文(リンク先参照)ではもっと多くの例があったのですが、ここでは次の視点から、四つに絞りました。まず、メジャーなものとしてレオナルドを、次に個人の人生におけるヒーローとしてラリー・ミハルコを、機械としてスピットファイアを、そして未来を中心とした記述の例としてニュートンをとりあげました。例を減らして文章を短くすることは可能かもしれませんが、課題文を読める生徒はこれらが展開のヒントたりえることを理解できているはずであり、その意味で有用な課題文です。課題文から学び取る姿勢が、善し悪しを分けるポイントであることでしょう。人物だけでなく、機械(個人的にはiPhoneなんてあげる人がいたら、魅力的な答えの可能性があると思っています)でも良いのですし、極端な話、架空の人物を設定することも可能です。小学校の先生を出されたら、こちらとしても調べようがないのです。あるいは架空の物語の人物をヒーローにしても、いいですよね。「次の文章を読んで後の問いに答えなさい」の意味がわかる生徒であり、徹底的に考える生徒であることを祈ります。

 ※ 「徹底的に考える」ことなんて無駄だから「てにをは」「漢字」のミスが大事だと教えた先生もいたようだ。確かに生徒の受験する大学のレベルによって異なるだろうが、私は徹底的に考える生徒の育成をはかっている。

 

段落を作る力を設問でダイレクトに聞いています。一段落の構成には若干、教え方に若干差があると思うので、各先生方の教えてきた一段落の構成に基づいて採点してください。

 

以下に解答例を書きました。問二は二十歳のころの私の文章を改案したものです。

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<解答例>

問一

 私にとってヒーローとは、人間が一種類の要素だけで出来上がっていないことを実感させる上に、人生とは素晴らしいものだと教えてくれる人だ。多くのいいとされる絵画が、色は豊かで、赤ですら、多くの色調を持っているのだが、そのようなものが人間だと私は考えている。私自身、他人から明るい人物だの一言で処理されるのを望まない。愚かであり、前向きであり、後悔をし、泣き虫であり、攻撃的であり、妥協を知らず、残酷で、しかも慈悲を持っている人物と見なす人を私は私の理解者だとしたいのである。そして、全ての人間に現実として暗黒面があり、完璧な人間などいないとしても、私の今後の人生のために、人間はそれでもなお素晴らしいのだと思わせてくれなくてはいけない。そうでなくてはヒーローだと見なしたくなるようなプラスの感情は持てないのである。

   ※翻訳体的な文体あるいは独特な文体に驚いた先生がいた解答例でした。普段と違う文体になってしまった。

 

問二

 私にとって土方歳三はヒーローである。農民のような地位の出身にもかかわらず、新撰組の副長として、負ける幕府のために戦い続け、最後は北海道で戦死したのだが、これは「士道に背くまじきこと」を体現しているまさに武士であると思う。しかし、彼の「士道に背くまじきこと」は過激であり、味方を殺す理由としても用いられた。これは人として好ましいとは言えないし、少なくとも私は彼とともにいたくない。また、個人としての武勇はともかく指揮官としての技量は低いとみなす説もある。それでも、なお、私が彼をヒーローとするのは、彼が俳人でもあったことである。彼は「梅の花一輪咲いても梅は梅」という句を残している。それは幕府に最後まで付き合うという一貫性と重なっていると私は思う。彼にとって「葵の花一輪咲いても葵は葵」だったのだ。過ちを犯し、欠点は持ちつつも、趣味においても、武士の生き様においても、敗北や死を恐れぬ一貫性を人は持つことができる例として、土方歳三は私のヒーローなのである。

 

<参考>

マニアのなりかた(趣味の説明などで重要)

  ・偏見を持つ(主観・個性・癖)

  ・事実を調べる(客観・他者を認める)

  ・諸説を受け止め内部で、総合化する(客観+主観)

 

 

 

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