道産子の私はジンギスカンを食べて大きくなったといっても過言ではないほど
それほどジンギスカンが大好きです
昭和のよき時代
小学生の頃、私たち家族が住んでいたのは、とても大きなお屋敷の借家でした。
たしか転勤で家を空けていた方のところに住んでいました。
私たちが生活空間に使っていた部屋のほかに書庫のような部屋や大きな納戸もあり家の中を探検したりしていました。
広い庭には数々の木々や花が植えられちょっとしたお嬢様気分・・・・・・・
とは程遠く、何故か同級生の男子を従えて周りを巡る塀の上を駆け巡り、隣の家の屋根から滑り降りたり栗の木によじ登ったりとターザンさながらな生活ぶりでした。
ただトイレに行くのが怖かった!長い廊下の先に広い空間のトイレがありました
その大きな家の居間で
毎週日曜日に、パパとママの友達や、ママのお店で働いていたお姉さんたちが集まって
確か、昼からだと思うのですが「ジンギスカン大会」を開いていました。総勢10名ほどだったかな?
借家ですから汚すわけにいきません。
皆で壁や、棚に新聞紙を貼ります。
長くつないだテーブルにも一面に新聞紙を敷き詰めます。
そのテーブルの上に2個だったと思いますが
ジンギスカン鍋をセットします
北海道の家には大阪のたこ焼き器と同じように一家にひとつこの鍋があります。
我が家には2個か3個あったはず。
こんなのね。
そして常備してる「ベルのジンギスカンのタレ」をベースに胡椒を入れたり、一味を入れたり
リンゴのすった物を入れたりして肉の焼けるのを待つわけです
毎週日曜日が待ち遠しかった。
ジンギスカンが好きと言う事と、人が大勢集まるのが子供の頃から好きだった私です。
ここに宴会好きの原点があるのかな~~~~
ここだけの話ですが
大人が飲んでいるビールをちょっと、ちょっとだけ舐めるように飲んでみたりしたことが
ここに現在の私のビール大好きの原点があるのかな~~~~~~
そして大会(宴会)終了後は全員で雑巾掛けをするのです。
畳の上や部屋中を雑巾掛け。
これもなんだか楽しかった思い出です
そんな訳で、札幌に帰ると必ず実家または弟の家でジンギスカン大会を開きます。
そしてママから富山の家にジンギスカンが送られてきます。
そんなママが送ってきたジンギスカンの中にひとつ紛れ込んでいたのが「北海道みそホルモン」
冷凍庫の中から発掘
「あらぁこりゃ~朝から一杯やりたくなるね~~」と言ったのは勿論私です
娘は「美味しい!」と絶賛
また送ってもらわないとね
ばあちゃんの好きなトマトを新玉ねぎのみじん切り入りのドレッシングで
そして、ばあちゃんのお友達から頂いたインゲンを新玉と挽肉で炒めました。
満足の朝食でしたが
なんだかジンギスカンが恋しくなったkokeobasanです