LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

相棒の誕生日にハバナを贈る

2010年11月30日 | 中米日記
30Nov2010 Havana CUBA


【4階にある宿のバルコニーから】

今日は相棒の誕生日。当初今日カンクンに戻るつもりであったが、折角のバースデーに移動するのも何なのでキューバでの滞在を一日のばして祝うことにした。

朝8時朝食を食べパルタガス葉巻工場。



9時半からのガイドツアーで葉巻が作られる工程を見て回る。世界に誇る葉巻は100%ハンドメイド。そこらへんの兄ちゃん、姉ちゃん、おじちゃん、おばちゃんが一生懸命葉巻を作っていたその姿があまりにかっこよかった。世界一の商品を手で作るって素晴らしい!感動した私はこの工場で作られた世界一有名な葉巻ブランド「コイバ」を1本購入。南米のどっかすごいところでプハーっとやるつもりだ。

【工場内撮影厳禁のため写真なし】

工場見学終わるとトミーはお酒の工場にいき、我々は街ブラ。






【別に飾られてるわけではない・・】

ランチはローカル用カフェで。エスプレッソコーヒー4円、コロッケパン16円で1人あたり20円。ぶっちぎりの安さ!限界を超えた安さに幸せな気分に。




【いつもジモッチーで賑わう店であった】

外人用カフェに入ると、まず間違いなくバンドが演奏していてまたまた幸せな気分に。ローカル用カフェの25倍の値段といっても100円ほどでゆっくり流れるハバナの時間を楽しめる。

ローカルバスで相棒が行ってみたいというアイスクリーム屋へ。やたら巨大な店で、いくつもある入口にジモッチーが列をなしていて、どういうことになっているのかわからなかったが、とりあえず席につき隣で3皿も平らげている女の人に助けてもらって注文。5スクープで20円也。味はいたってフツーであったが嬉しそうなジモッチー達と一緒に食べれてよかった。

たまたま乗り込んだバスが地下トンネルを走りモロ要塞まで行ってくれたのはラッキーであった。昨日来れなかったので、今日も夕陽の旧市街を見に来ようと思っていたのだ。要塞に入れるだけのお金は持っていなかったので、外から落ちていく太陽を眺める。さすがにもうキューバに来ることはないだろうな、と思いながら最後の美しすぎるハバナを堪能した。カリブ海の真珠は確かに存在したのであった!









クーバ、クーバ、クーバと3回唱えれば幸せな気分になること間違いなし。



夜、宿にまた1人カンクンから旅行者が到着。彼女も預けてた荷物が到着していなかった。クバノエアー、最凶である。

4円ジュースに当たったのか、相棒の調子が悪くなってる。あまりの安さに調子乗り過ぎたようだ…




ハバナに落ちる太陽を見て死ね

2010年11月29日 | 中米日記
29Nov2010 Havana CUBA


【トリニダーのバスターミナル】


【途中の道のりはのどかの一言】

8時発のバスに乗り午後2時前にはハバナ到着。旧市街までの安いタクシーを捕まえようとウロウロしてたところでたまたまローカルバス停を見つけ乗り込んだ。料金は1人民ペソ(約4円)。安い!昨日いくらか人民ペソとっておいてよかった。

午後4時前、再度ホルへ・アニータ家に行き荷物を置いて早速すっかり気に入ったハバナ散歩再開。運河のボート乗り場まで歩きボート(これは2円)で運河を10分ほどで渡る。


【運河を渡る】


【ゲバラ邸の前で討論】

船着場から少し上がって行くと対岸のハバナ旧市街に大きな夕陽が落ちていく景色が見えた。今見ている景色は多分100年前とほとんど変わらず今日も繰り返されているのかな。





6時過ぎ相棒と2人でカバーニャ要塞に入りピザの晩御飯。チーズがまずい。肌寒くなる中、150年続けられているという儀式が始まるのをゲバラ博物館などで時間を潰しながら待つ。

時間が近づくにつれ殆どいなかった観光客もどこからともなく集まってきた。で、長ったらしい前振りのあと午後9時ジャスト、時報代わりに運河に向けられた大砲がドーンで終了。もはや観光客用としてしか存在していない大砲が火を吹いて、ああ昔はこんなので戦ってたのね、とハバナらしくクラシックな気分に。





例外なく親切なジモッチーに旧市街行きバス乗り場を教えてもらいカピトリオ近くで降り宿へ。

10時の2度目の晩御飯は初めての「柔らかい」豚肉であった。

前回に引き続き金田一少年の事件簿を読みながら夢の中へ。


トリニダーの退屈すぎる1日

2010年11月28日 | 中米日記
28Nov2010 Trinidad CUBA
朝8時朝食。パン、卵、フルーツ、ジュース、コーヒーで3cucはちょっと高い。

そろそろキューバペソが尽きそうなので、どうにか探し出した銀行も今日は日曜でクローズ。というか、今日が日曜だなんて気づきもしない旅の毎日。

気を取り直してトリニダー鉄道駅へ。毎日のように9時頃に一本蒸気機関車が走っているというので見に行ったが故障かなんかで出ていないという。チップ目当ての親父に付きまとわれながら写真を撮ってまわった。



昼前一度宿に戻りお昼寝。

1時からサンティシマ広場、セスペデス公園あたりをただウロウロ、ダラダラして過ごす。トミーはせっせとゲバラ紙幣、コインのコレクションに頑張っていた。







夕方はまた昨日と同じところに夕陽が落ちるのを見に行く。。



銀行閉まってたおかげでほとんど手持ちのお金がなく、晩御飯も宿で頼まずジモッチー集まる食堂で300円ほどの定食をいただく。



退屈すぎる1日をようやく乗り切ったのであった。

トリニダーも世界遺産だ!

2010年11月27日 | 中米日記
27Nov2010 Trinidad CUBA

7時半、チェックアウトして朝食。08:15発のバスでトリニダーへ向かう。


【手書きのバスチケット】

車窓から見えるおんぼろな町は眩しいほどの太陽の光に照らされて何故かとても魅力的に映る。バルコニーいっぱいに干されているカラフルな洗濯物も気持ち良さそうだ。

バスから外を見てて気付いた。ゴミがまったく落ちてない。家の庭もすごく整理整頓されている。壊れた物が放ったらかしというのがない。これまでの歴史から古い物をとても大切にする習慣がついてんだな、と思った。





6時間後の午後2時過ぎトリニダー到着。



バスターミナルには沢山の客引きが待ち構えていた。ああ、なんだかウザいな~、と戦いの前にトイレ行った私の姿をメザトク見つけたおばちゃん達が他の連中に見つからないようそっとアプローチ。2人の競合となったが、他称モグリのおばさんが離脱し、残ったおばさんについていくことに。

一部屋10cuc(約1000円)のプライベートルームだが、ミゲル・アリシア夫婦はとても優しく部屋も広くて居心地良し。2泊することにした。

キューバに残る古い街の一つで世界遺産でもあるトリニダーを早速散歩。18世紀のキューバを感じられる・・とはガイドブックのセリフだが我々は最早ここで二泊することを後悔しつつあった。人も見所も少ないなんて退屈な街…。

それでもウロウロしてるとハバナ、バラデロでは見えなかったリアルなキューバ(いわゆるビンボーそうな…)を感じることができ、こういうところもなかなか味があっていいな、と思った。





夕陽を眺めに高台に登る。カリブ海に落ちていくその美しさは言葉にならん。。





夕食前、ミゲルさんが葉巻をプレゼント(相棒にはネックレス)してくれた。世界一の品質を誇るキューバの葉巻。やたら高いブランド物じゃなかったかもしれないけど、そのモテナシの気持ちが嬉しかった。但し味(香り?)はきたいから程遠いものであった。


【ジーコカラスももらった葉巻をふかす】

8時より宿の屋上で夕食。ミゲルさんが作ったポターヘ、フライドバナナ、チキン等々いただく。キューバな味。


これより美しい海があるなら教えて・・

2010年11月26日 | 中米日記
26Nov2010 Varadero


【主演女優・相棒】

このホテルは朝食付。期待に反してなかなかの品揃え。卵料理もあり満足。

今日は10時前から日中ずっと海。



小学生が2色の色で描いた絵のような海。今日は特に穏やかで凪状態、その美しさにはもうへらへら笑うしかないのであった。世界にはスゲーとこがあるんだな。今んとこ海部門世界一。これより美しい海があるなら教えてくれ。


【海が似合う!】




【海の似合わない男】



ランチは昨日とおなじエビランチ。気まぐれで味付けてるのか全く違う味で残念。

午後もビーチチェア回収の5時まであり得ない海で幸せにまどろむ。

午後8時からホテルの広場を使っての5cucの特別ディナー。美味しい食事とボーカルの声に鳥肌が立つ陽気でカリブバンド。



この国でリズムとれない人間は生きていけないんだろうな。音楽で人を楽しませるって素晴らしい。この楽しさは何なんだ。なんていいとこだ。いい夜だ。

来てよかった、ビバクーバ!


キューバのカリブ海はどんな色?

2010年11月25日 | 中米日記
25Nov2010 Varadero

「荷物あったようなんで、また空港行ってきま~す。」と言い残してさとみさんは朝8時出撃していった。

彼女は今日11時にまたカンクンに帰るためにチェックインしなくちゃいけないのに、どうやってその後写真を取りハバナに戻ってこれたのか後日談を早く聞きたいものである。

我々は朝食を食べて9時チェックアウト。大きい通りで青いシボレーのタクシーに乗りバスターミナルへ。

10:10乗せられたバスはいわゆる外人用バスで清潔で快適ではあったが、所詮中国製バスでサスの効き悪く乗心地今ひとつ。

バスで途中からずっと海岸線を走った。かれこれ2週間、毎日のようにカリブ海をみているが、飽きない美しさ。ヘミングウェイじゃなくてもこんな海なら誰だって好きになるよ。





1時過ぎバラデロ到着。先日ネットで予約したホテルはたまたまバスターミナルの近くであった。3000円ほどの宿だが、ビーチ目の前!部屋からは180度カリブ海しか見えない史上最強のロケーション。



加えてレストランの値段も安くお昼に食べた塩焼エビランチは350円で激安激ウマ。



100m先まで遠浅のエメラルドグリーンの海は波にもまれてるだけで楽しく、なんだ、この激安カリブリゾートは…と思うと最早笑うしかないのであった。





夕飯は昼相棒が食べたポークステーキと併設されてるコンビニで、アイス。


何なんだこの街は・・ハバナ

2010年11月24日 | 中米日記
24Nov2010 Havana



ハバナの夜が開けた。朝8時の朝食をとり、まずは銀行で両替。空港よりレート悪いなんて。旧国会議事堂カピトリオを見てたら市内観光バスがきたので飛び乗る。



世界遺産でもあるハバナ旧市街。それはもう今まで見たどの街とも違う世界。眩しいほどの日光と余りにも古い建物に色とりどりの洗濯物。道は半世紀も前のクラシックカーが走る。メキシコの肥満部隊が恥ずかしいほどの抜群のスタイルと褐色の肌。あっという間にこの街の虜になる。





またまたカリブ海を眺めた後、革命広場でバスを降りる。




【革命広場にもジーコカラス登場!】




近くのバスターミナルで明日のバラデロ行きチケットを取り、再度バスでカピトリオ。ランチは中華街で酢鳥、チャーハン、水餃子。

ここからは歩きで2時、パルタガス葉巻工場。ここはもう閉まっていたのでまた次回出直し。

他の国、街と決定的に違うところは店がないということ。全くない。それは社会主義に起因していると思われるが、ネオンどころか看板、サインなどコマーシャル関連表示全くなし!

そんな中、石畳のオビスポ通りは商店が並び観光客の姿もかなりあった。かつての外貨ショップの名残のような高級品(彼らにとっての高級)ショップ、土産物屋、スイーツ屋、ホテルなどが並んでいた。だけどジモッチーが買い物を楽しんでる様な姿は見えなかった。というか、買う物も場所もない…


【ヘミングウェイゆかりのホテル】

カテドラル見て、午後5時半また運河からバスに乗り今度は夕暮れのハバナを楽しむこととする。旧市街を軽く流して終わると思われたバスは遠く新市街まで行ってしまいカピトリオに戻って来たのはすっかり暗く肌寒くなった7時過ぎであった。

アニータ、ホルへ宿に戻って晩御飯。サトミさんは夕方空港へ荷物を取りに行ったまま帰ってこない。途中電話が入りなんと深夜までかかるとか…ありえない対応だ。

そんなさとみさんは夜12時頃「手ぶらで」帰ってきた。理不尽でアホな奴らと戦って疲れ果てていた…それでもそのいきさつを面白おかしく話してくれる彼女はなかなか面白くていい人だ。

こっちもお返しにマドリッド空港ブチ切れ事件を紹介しといた。

キューバ!キューバ!キューバ!

2010年11月23日 | 中米日記
23Nov2010 Havana​ CUBA

冷蔵庫並に冷やされた部屋で眠れる訳もなく、夜中フリースとヒートテック装着。

8時朝食。荷物の殆どはホステルに預けるADOバスで空港へ。

チェックインしようとカウンターに並んでびっくりした。被災地へ届けられる救援物資ばりに荷物がてんこ盛り。アメリカによる経済封鎖の影響か、民間航空が物資の輸送手段として使われているみたい。

チェックイン後、頭にきたのはアジア人3人怪しいと思ったのか警官に呼び止められあたかも不法滞在者を見つけたかの嫌らしい目つきでパスポートをジロジロ。それも50mの距離を歩く間に3回。最強日本パスポートを見た時点で丁寧に対応せんか、ばかたれ、と感じ悪いやりかたにムカつく。

急なスコールの中、飛行機に乗り込む。クバナ航空ではなくTACA航空。





14:40離陸、約1時間後の16:50(時差1時間あり)緑の大地が美しいキューバ・ハバナに到着。



我々は荷物を預けていなかったのですぐ外に出られたが、トミーが宿で知り合った人がたまたま同じ宿にタクシーシェアで行くことになったので両替も済ませて待っていたが1時間たってもでてこない。先行ったんじゃ…と思ってたら「荷物こっちに届いてなくて…」と登場。最も楽しみにしていた撮影のための一眼レフカメラが荷物の中に入っているらしく落ち込んでいた。チェックインの時のあの荷物の量を思い出し、こりゃあり得る話だな、と思った。

空港からタクシーに乗りすっかり日の落ちたハバナを走る。街灯が少なく、お店一つない町はなんか普通じゃない。新しい車はほとんどみることなく巨大なアメリカンクラシックカーがゴロゴロ。なんだ、この街面白すぎる!これがキューバなんだ!

ちなみにたった300キロほど北東にはフロリダというのも不思議な感じ。

トミーが予約してくれた旧市街に位置するアニータさん宅に30分後到着。旦那のホルへさんと娘さんも迎えてくれた。1泊2食付で15cuc。建物の4階にある部屋はとても清潔で快適。午後8時、焼き魚、芋、スープの晩御飯を頂く。

ちょっとジュースでも買ってこようと開いてるお店の場所を聞いて外に出てみる。光も人も車も少なくて寂しい感じだが、この街の雰囲気は明らかに今まで訪れた国とは違う。



明日散歩するのが楽しみでしようがない。こんなに朝がくるのがワクワクするのは久しぶり。

修理に出した新品カメラ、戻ってきたら・・・

2010年11月22日 | 中米日記
22Nov2010 Cancun Centro

朝10時、明日からのキューバに行きにあたって荷物を預かってもらわないといけないので隣のホステルに移る。この新しいホステルは最高であった。ドミ部屋ではあるがとても広い部屋で壁があり他のベッドから隔離されている。聞いてもないのに朝食食べていい、とか言ってもらえる。

プラザ・ラスアメリカスで中華の食事を取りかえってくる。

17日からレンズカバーの閉まらないデジカメを直そうと修理屋を探す。宿のすぐ近くにその場所を探し出し修理を依頼。1時間で直るといわれたものの結局3時間待たされるはめに。それでもまた明日のキューバに持っていけたらと要求された20ドルを握り締めカメラが帰ってくるのを待つ。

ようやく戻ってきたカメラは無残な姿に。。レンズカバーが全て外されレンズが剥き出しになっていた!結論から言うと直らなかった。壊れてた小さなバネの部品がなく外して返してきたのだ。さすがに抗議。持ってきた状態に戻して欲しいといっても、「カバーなくてもカメラ自体は壊れてないんだから全然大丈夫、アミーゴ!一体何が問題なんだ」ぐらいの勢いで言ってくる。嫁に出した娘がバラバラ死体で帰ってきたくらいの悲しい衝撃を食らっていた相棒が痛々しかった。電源ボタンもちょっとくい込んでるし。焦って田舎修理屋に出した俺らが間違いだった。。

さすがに親父も悪く思ったのか、これでカメラを包め、と新しいレンズクリーナーを出してきてお金は要らない、といった。もしかしたら奴らがよりぶっ壊したのかもしれない、が全ては想像でしかない。でもきっとあーでもない、こーでもない、と数時間試行錯誤しながら分解したのだ、ということだけは理解して遺体を引き取り宿にとぼとぼ帰るのであった。。。

夜はホステルの屋上で溜まった1週間分以上の日記をかすかな記憶を辿って書き上げた。

今我々3人はipodtouchでTap10というゲームにはまっている。。

イスラ・ムヘーレスでシュノーケリング

2010年11月21日 | 中米日記
21Nov2010 Cancun Centoro


【港にはたくさんのペリカン】

10時ツアー会社前集合。船に乗り込んだのは総勢11人の客。今日は久々に天気も快晴でどんなすごいカリブ海に会えるのか、と飛び込んだ!



海を楽しむ前に借りたゴーグルがいただけなかった。左側が曇ってきれいに見えず、シュノーケルがうまく位置せずイライラが募り景色を楽しむところではなかった。シュノーケルツアーやるならせめてゴーグルぐらい磨いとけ!


【この両親から生まれたとは思えない可愛さ!】

ウミガメ保護センターとイツカがジャンプしてる施設を海側から遠目に見た後、ランチを食べて3時ごろ終了。



3時半のボートでカンクンに戻りいつもの宿にチェックインしいつものマクドで夕食。