LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

ニューブリッジへ

1997年12月31日 | ネパール日記
12月31日(水) バンブー-ニューブリッジ (名前わからず)

8時半とても人のいい左近夫妻にさよならしてバンブーをあとにする。掘りごたつに入れておいた靴下はまだ全然乾いてなく、また靴も冷たいままであった。

バンブーを離れてすぐきつい登り。高度も下がってきてかなり暑く感じるようになった。1時ごろチョムロン着。チョムロン前の階段は最後の地獄の登りであった。何度となく止まっては呼吸を整え、一歩一歩上がるしかなかった。

明日は正月だからだろうか、小学生も、階段を掃除している人もなんとなく楽しそうに見えた。チョムロンでコーラ2本、ファンタ1本。汗でタンクトップがびしょぬれになったので干して乾かした。中村こうや君は明日からゴレパニ方面へ向かうため今夜はここに泊まると言うことなのでさよならし、急な坂を一気に下ってジヌーへ。

2:45pm温泉到着。久々に湯に浸かる。なかなか泡立たない頭にシャンプー3回、体は9日ぶりにさっぱりと磨き上げ今年のあかを落とした。他に外人カップル2組がいた。温泉のすぐ横を流れる雪解け水の流れる川に入ってみたら恐ろしく冷たくすぐに体の感覚を失いそうになった。ジヌーのロッジに荷物を預けておけば良かったものの、持ってきてしまったので背負ってまた登り。

4pmに温泉を出て35分かかってまた汗をかいてジヌーに戻ってきた。今日は大晦日。できるだけ人間のいる所で新年を迎えたいと言う鈴木君との協議により全く人気の無いジヌーはパスしてニューブリッジに向かうことにした。ジヌーで泊まっても良かったのだがニューブリッジまでの行程を1時間の所を2時間だと言って泊めさせようとしたり、じいさんがしつこく泊めさせようとしたりする姿に嫌気がさし下りることを決めた。

5:30pmニューブリッジ到着。これでは何のために人気を求めて下りてきたのか分からない。何とこの村には私たちを除いて1人のツーリストもいなかったのである。とりあえず宿を決め4ベッドルームに2人で泊まることにした。ドラム缶で木を燃やし宿の主人(ビージェー)、弟、息子、おばあちゃん達と火を囲む。

今年最後の食事はいつものEGG VEG FRIED RICE。腕によりをかけて作ってくれた。すごくおいしいとはいえなかったがお腹いっぱいになった。今年1年良かったのか、悪かったのか。とりあえずあと4時間で98年が来る。どんな1年になるのか分からないが20台最後の年であるし、転機が必ず訪れるであろう。新年を海外で迎えるのは3回目である。

日本が恋しい気もしないではない。とうとう年内に日本に電話ができなかった。明日ポカラですることにしよう。

宿50rs

そしてアンナプルナBCへ

1997年12月30日 | ネパール日記
12月30日 (火) MBC-ABC-バンブー(名前わからず)

6時半起床。昨夜9時ごろ寝袋には行ったものの隣の2人のフランス人がうるさくなかなか寝付けなかった。借りた布団がベッドから落ちると寒くて何度も目が覚めた。なんとなく寝苦しい夜だった。

朝7:15出発。昨日天気が良くなかったらしく今日はどうかなと思いながらアンナプルナベースキャンプを目指した。ゆっくり登っているうちに段々晴れてきてABCについたときには信じられない風景が広がっていた。最近ほとんど晴れたことが無かったそうなのでこの幸運に感謝した。新雪がかなり積もっていてトレイルが見えず膝上まではまってしまうこともたびたびあった。

昨夜のうるさいフランス人の1人もその後来て、4人で写真をとりまくった。予備のフィルムを1本持ってきていたがすぐに撮りきってしまった。あったかいミルクティーを飲んで下りることにした。興奮していたので寒さを感じなかったが、持っていたボトルの中のミネラルウォーターは半ば凍っていた。

MBCへ戻る途中マチャプチャレの雪が太陽の光に照らされきらきら光りとても美しく見えた時があったが既にフィルムを使い切っていて撮れなかったのが悔やまれた。

MBCで荷物をとって下山開始。デオラリに戻る途中、かなり大きな雪崩の後を通った。2日前に通った時には無かったものだ。かなり怖いおもいをしながらすばやく抜けた。

デオラリで昼食。DREAM LODGEのおっちゃんは人なつこくいい奴だ。握手で再会し昼食を作ってもらった。(EGG VEG FRIED RICE 90rs) デオラリのロッジにつくやいなや雪が降りだしたが出る頃には止んでくれた。

MBC7:15-ABC8:45 11:15-MBC12:15 12:30-デオラリ14:20 14:50-ヒマラヤホテル15:45-ドバン16:20-バンブー17:05

デオラリを出てからは出来るだけ下に行こうということで殆ど休みなしで下った。雪上を過ぎると今度はドロドロの道でジャージーは黒く汚れ、靴の中は水が染み込み気分が悪かった。また寒さを見越してジャージーの下にはいていたスパッツを脱げぬまま歩いていたので、どうにも歩きにくかった。ただほとんど下りだったのでスピードも速く休みを取らなくてもいい調子であった。

MBCからの道程は景色を見ることも写真を撮ることもなくバンブーまでたんたんと歩いた。3日ぶりにバンブーに戻ってきた。前回とは違うロッジに宿を取った。

靴、靴下、Tシャツ1枚を水だけで軽く洗濯。掘りごたつの中に干した。何と9人もの日本人がいた。兵庫県三田市の夫婦はとてもいい人であった。隣に座っていた4人組みはなんとなく不思議な(オタク系の)人々であった。あまりお腹が空いていなかったので晩飯は抜いた。

どうにかABCに行けて本当に良かった。苦労していった甲斐があったと言うものだ。あんなに素晴らしい景色が見えたのだから。今日1日本当に歩いた。寝る前うるさく喋っていたら隣部屋の日本人の女に注意されてしまった。生きてて良かった1日であった。

マチャプチャレBCへ

1997年12月29日 | ネパール日記
12月29日 (月) デオラリ-マチャプチャレBC

チベッタンブレッドを食べて9時過ぎ出発。

宿に泊まっていた客が全員出ていっても3人は最後まで残っていた。なまけものだが、天気も良くないし、今日は3時間ほどの行程だったので別に問題なかった。行程はすべて雪面で昨日の新雪もあって歩きにくかった。さすがにここまで来るとかなりの寒さで歩いていても寒さを感じたことは初めてであった。途中から少し頭も痛くなってきて高山病の気配があった。

11時半MBC到着。3人部屋に荷物を置いてすぐ昼食。(フライドポテト、チャー)外は雪のつかない岩をのぞいて真っ白で気温は明らかにマイナスである。掘りごたつの温かさが本当に嬉しい。ようやくここまできた。初日の苦しさがあったからここまで来れたと思う。頭が痛い。高山病だ。明日までにどうにかおさまってくれればいいが。もう1週間も1片の肉も食べてない。完全なベジタリアンになっている。

今日の宿泊客は日本人3人、イギリス人2人、フランス人2人。

5:15pmほんの一瞬であったが山肌がオレンジ色に変わり神々しい雰囲気になり、私は夢中でカメラのシャッターをきった。(5日前、この上を山登りしていたロシア人2人が雪崩で死んだそうだ)

宿70rs たばこ40rs EGG VEG FRIED RICE 90rs

デオラリへ

1997年12月28日 | ネパール日記
12月28日 (日) バンブー-デオラリ (DREAM LODGE)

7時過ぎ起床。朝食にチベッタンブレッドをとり、9時前これから下りていくというセシリア(アルゼンチン女性)にさよならして歩きだす。ずっと谷を歩いていたので光が当たらず、止まると寒かった。

ヒマラヤホテルまで4時間の所を2時間半で来ることができそこでお茶を飲んだ。デオラリに近づくに連れ雪が降ってきた。泊まったロッジの兄ちゃんは結構いい奴だった。宿代も60rsから50rsにまけてくれたしベッドは2つあったがあとから客がきてもシェアさせないようにもしてくれた。

宿50rs 水90rs

バンブーへ

1997年12月27日 | ネパール日記
12月27日 (土) チョムロン-バンブー (TREKKING GUEST HOUSE)

ハシシが効いていたのか、7時過ぎまでよく眠れた。オージーファミリーに別れを告げ、(昨夜トランプをしている時にヘアーバンドをなくしたことに気付き探したが結局見つからず、これからの寒さのことを案じている私にオージーのお母さんが緑の帽子をくれた。

バンブーには2pm過ぎ着。とった宿にはわれわれ3人の他に東京に3ヶ月いたことがあるという可愛いアルゼンチン女性がいた。これからABCに行くと言うと彼女は黒い手袋をくれた。

12月23日以来のシャワー(水浴び)を浴びた。お湯を沸かして(有料50rs)バケツにもらい寒い中裸になり髪を洗った。久々にサラサラの髪に戻ったが裸になるのはこの寒さの中ではとても勇気のいることであった。

5時過ぎようやくネパール式こたつに火が入り暖を取る。夜はロスティというポテトを食べその後4人で夜遅くまでトランプ(ウノ)。また勝った。部屋に戻って寝る準備をしていた時となりの部屋に泊まっていたセシリアが間違って入ってきてびっくりした。今回の旅はじめてのシングル。

宿40rs ロスティ90rs ヒーターチャージ20rs たばこ30rs 水70rs

チョムロンへ

1997年12月26日 | ネパール日記
12月26日 (金) タダパニ-チョムロン(EXLELENT VIEW TOP LODGE)

朝っぱらから宿の親父とやりあった。奴の言い分は昨夜の夕食をここで取らなかったから、50rsから80rsに値上げするとのこと。確かに他のロッジは80rsだったが強引に値上げするその行為が許せなく30分ほどやりあったがどうしようもなく時間の無駄だと思い30rs払ってでた。言い合っている私たちをたくさんの人たちが遠巻きに見ていた。

むしゃくしゃ気分のまま9時出発。歩いていても気分が晴れなかった。途中小さな小屋で水、りんごを手に入れた頃から調子が出てきた。そこはとても景色のいい所に建っているぼろ小屋であった。寝ていたおじさんを起こして水を買い、たまたまそこを通ったりんごを運ぶ少年からりんごを買ったのだ。

2:30pmチョムロン着。鈴木君が以前香港で会ったというこうや君とばったり会った。泊まった隣の宿にオーストラリアンファミリー(親子5人、娘のうち末娘が日本語勉強中、お姉さんとても活発、次女おとなしい)がいて夜カナダ人青年もまじえてトランプ。泊まっていたホテルにいたイギリス人がハシシをやっていて勧められ少しやったらねむけがおそってきて9pmにはシュラフの中へ。

宿45rs 水60rs コーラ25rs

タダパニへ

1997年12月25日 | ネパール日記
12月25日 (木) ゴレパニ-タダパニ(ANNAPURNA VIEW TOP LODGE)

朝9時過ぎ出発。これからタダパニに向かう4人とさよならした。これからの行程が殆ど下りという彼らが少し羨ましかった。

ゴレパニを出て近くに山々が見え出してから来て良かったと考え直すほど素晴らしい景色が見え出した。プーンヒルで見た景色より美しかった。特にダウラギリ峰。今日のルートは雪が深く2回こけた。何人ものネパール人ポーターとすれ違ったり、追い抜かれたりしたが、奴等のすごさは尋常でない。信じられないほど重い荷物を何食わぬ顔で荷を上げていくのだ。それも擦り切れたサンダルを履いて。彼らは人間ではない。1度荷物を持たしてもらったが腰が上がらなかった。

前日会ったイタリアンファミリー(親子3人、息子マルコ)と昼食をとったりした。タダパニに着いて宿探し。最初はガイド、ポーターの泊まる10rsのドミトリーにベッドを確保したが荷物など無くなると困るので隣のロッジに移った。

外に出ている土産物屋をひやかした後最初泊まろうとしたロッジのレストランへ。夕食はフライドポテト(でもでてきたのはポテトを煮立てたようなものだった)クリスマスの夜はアメリカ人、イギリス人、ネパール人、日本人2人でウノをして盛り上がった。ようやく頭痛も足の筋肉痛もとれ体調が日に日に良くなってきた。

宿40rs たばこ10rs

ゴレパニへ

1997年12月24日 | ネパール日記
12月24日 (水)ルレリ-ゴレパニ(HILLTOP LODGE)

7時起床。紅茶のんで8時出発。

皆は昨日杖代わりに竹の棒を手に入れていたが私は持ってなかったので宿の親父に欲しいと言ったら切ってきてくれた。頭痛と左足の筋肉痛が取れ、また今日のルートは昨日ほどきつくなかったのでどうにか昼過ぎゴレパニに着いた。

3pm空身でプーンヒルへ。8000mを超えるダウラギリⅡ峰などが真正面に見え迫力満点であった。1時間かけて登ったプーンヒルでは雲が結構かかってきていい写真が撮れなかった。下りは30分。夜はストーブを囲んでお喋りしながらクリスマスイブをすごした。ささやかにチョコレートケーキなども食べた。私は22日にアニールモモであった東京の大学院生の伊藤さんと喋った。

外に出てみれば空は満天の星。まさにこの世のものとは思えないほど滅茶苦茶に綺麗だった。人間一人なんてこの広い宇宙の中では何とちっぽけな存在なのだろうか。

宿30rs チョコケーキ50rs

アンナプルナトレッキング

1997年12月23日 | ネパール日記
12月23日 (火)ポカラ-ナヤプル-ルレリ (NAMASTE LODGE)

余計な荷物をポカラの宿に残して朝6時スルジェハウス集合。そこで3人合流し6人でタクシーに乗りナヤプルへ。(1時間半)車窓からはこれから登るアンナプルナの山々が美しく見えた。ナヤプルでミルクティーを飲んで出発。

初日は最悪であった。はしゃいでいたのもゆっくり景色を見る余裕があったのも最初だけ。荷物もそんなに重くないのに、体がついていかない。両足はつりそうになるし頭痛はしてくるしで途中からいつも最後を歩くようになった。昼はダルバートを食べ、少し昼寝。ルレリ近くのルートはずっと続く階段で本当にきつかった。かつてこんなに辛い上りがあったであろうか。失神直前にまで行きそうになった。

登る前は自信満々だったのに結局最後を歩くことになり格好悪かった。梅田さんは私より年上だというのに。そういえば登山初日はいつもこういう感じだという事をすっかり忘れていた。しかし今日歩いたコースは2日分なのである。

一体誰がルレリまで行こうといったんだ!

タクシー225rs 宿15rs

トレッキングパーミット

1997年12月22日 | ネパール日記
12月22日 (月)ポカラ (HOTEL JHARNA)

ポカラからはじめてのアンナプルナ山群を見ることが出来た。本当に美しい。

朝ホテル近くのジャーマンベーカリーでバナナケーキの朝食。食べている時物売りのチベットおばちゃん3人に囲まれた。

11時過ぎイミグレーションまで歩いていきトレッキングパーミットの申請をした。この時写真が1枚足りず、また時間が押し迫っていたことから、走って宿まで取りに帰るはめに。申請書にはかなりの日本人が来ていて明日皆で行こうかという話しになった。

このあとまたジャーマンベーカリーに行きファンタオレンジ、そして洗濯。この時またおばちゃんに捕まりホテルの入り口で物々交換。バンコクで買った新品のT-シャツと使い古した靴下を紫のネックレスと交換した。フィルムやシステムノートなどにやたらと興味を示したので、別に交換しても良かったのだが、向こうがやたらと安物の安物を出してくるので止めた。なかなかうるさいしたたかなおばちゃん連中であった。

3pmトレッキングパーミット受け取り。登山用の防寒服を持ってきてなかったので、宿の近くのレンタル屋でジャケット2枚借りた。アニールモモでコロッケ定食。11:20pmホテルに戻る途中で彼女に電話を入れるが、何とやっぱりいなかった。かけなきゃ良かった。

トレッキングパーミット2WEEKS 630rs 入園料1000rs 電話180rs