LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

モスクワ経由成田

1993年04月06日 | ヨーロッパ日記1993
4月6日 (火) ロンドン 曇り

飛行機の中で眠ろうと電気をつけたまま4時半までうたた寝。シャワーを浴びてまだくらいビクトリアまでの道を歩く。チューブで約40分、ヒースロー・ターミナル2に到着した。

コーヒーとドーナツの最後の朝食を取り9時15分ロンドンを後にした。期待していた機内食はことのほかまずく退屈な時を過ごし4時間後なつかしの暗いモスクワについた。成田までのパスをもらったあとDUTYFREEを覗いたりボーっとしたりしてきわめて無駄で退屈な5時間を過ごし午後9時過ぎ日本に向けてモスクワを離れた。


HAMLEYSでテディベア

1993年04月05日 | ヨーロッパ日記1993
4月5日 (月) ロンドン 曇り時々雨 後晴れ (GREYSTONES HOTEL)

7時半起床。朝食をとってる時たまたま他の日本人に会い今日いっしょに行動することにした。スペインで生活している人らしい。(名前忘れた)

バッキンガム宮殿の衛兵交代は雨の仲間角は嫌だったのでやめ、ピカデリーに行きまず明日のフライトのリコンファームをした。FORTNUM&MASONといういかにもロンドンらしい一流デパートでお土産用のTEAを買った。Regent.Stを歩きHAMLEYSというでかいおもちゃのデパートに行き旅に出る前から考えていたテディベアを彼女と、小池さんの子供に買うことにした。テディベアはいろいろな会社から出ているがいちばん有名なドイツ・スタイフ社のものを彼女に、赤ちゃんには安いものを買った(といってもかなりした)。あふれんばかりにあるベアの中から1頭を選ぶのはかなり根気のいる仕事である。テディベア道はかなり奥が深く1900年代当初のレプリカものまであり何がなんだかわからないので店員にアドバイスしてもらった。

一度ホテルまで荷物を置きに戻りもう一度ピカデリーに出てきて一昨日来た中華レストランでチャーハン、フライドヌードルを食べ、今度はナイツブリッジにある有名デパート、ハロッズへ。ほとんど閉店まぢかだったのでよくまわれなかった。ロンドン名物のダブルデッカーバスをビクトリア-ピカデリー間とナイツブリッジ-ビクトリア間で使った。

ビクトリアからチューブを使ってケンジントンまで行き、夕暮れのケンジントンガーデン、ロイヤルアルバートホール、チャールズ皇太子とダイアナ妃が住んでいたケンジントンパレスを見て歩いた。閉じ込められた公園の柵を飛び越えて出た街を夜9時過ぎまで歩き10時ホテルに戻った。

これでこの旅も終わりかと思うと少し寂しかった。今日現像して受け取った写真を見ていると大分前の旅のように懐かしく感じた。土産で増えた荷物をパッキングし、午前1時最後のベッドに入った。

ロンドン街ブラ

1993年04月04日 | ヨーロッパ日記1993
4月4日 (日) ロンドン 快晴 (GREYSTONES HOTEL)

昨夜はベッドに入るのが遅かったというのに何故か6時頃目が覚めてからそれ以上眠れなかった。8時、地下のダイニングルームでハム、卵、パン、コーヒーの朝食。よく喋るおばあさんがロンドン案内をしてくれた。

やっぱり今日は快晴。8時半、ビクトリアからチューブに乗ってカムデンのフリーマーケットへ。ジーンズなど欲しくて手にとって見るのだが貧乏性が抜けないのか何も買わずに出る。

昼過ぎ行列に並んで蝋人形館のマダム・タッソー(6.75$)に。よくできた人形達が迎えてくれた。ホラー館よくできすぎていて少し怖かった。

次に前々から行きたかった大英博物館に入ったが博物館ボケはまだ続いていてそれほど感じるものはなかった。スフィンクスのひげの部分がどこにあるか係のおじさんに聞いてみたがそれがどこの部分だか全然わからなかった。ホテルに買えるとき新聞を買ってきた。トップはグランドナショナルとマンセルの記事だった。

ドーバー海峡渡ってロンドンへ

1993年04月03日 | ヨーロッパ日記1993
4月3日 (土) パリ 晴れ-ロンドン 雨 (GREYSTONES HOTEL)
6時起床。メトロを乗り継いでEUROLINEのバス停まで行き8時過ぎチェックインを済ませてバスは8時半出発。LILLEという街で一度停まりCALAISという港町へ。バスごと船に乗り込みドーバー海峡を渡った。

ドーバーの白い壁を見ながらイギリスに入る。パスポートコントロールでいろいろ質問され疑惑の目が向けられ執拗な質問攻めにあいバスまで一緒にトラベラーズチェックと航空券までとりに行きさえもした。こんなのは始めてである。「学生」と答えただけに話がこじれたらどうしようと少しあせった。昨日フライトの日を入れておいて正解だった、とつくづく感じた。

バスのみんなを散々待たせて最後から2番目で戻った。どうにか入国したイギリスの田舎はのどかでニュージーランドのように美しかった。ロンドンに近づくにつれ雨が降ってきた。ローマ、パリもそうだったから明日はきっと晴れてくれるだろう。

VICTORIA St近くのB&Bで3泊(18$x3)とまることにし、とにかく空腹だったのでチューブに乗ってピカデリーサーカスに行き有名な中華レストランのWANG-KEIに入りラーメンとチャーハン(5$)を食べ久々に満腹感を味わうことができた。

土曜の夜ということもありとにかく賑やかでチューブの駅では誰かしらサックス、フルート、ギターなどを弾いていた。ロンドンは3泊だが実質2泊。もっといろんなところを見てみたいのに残念だ。

今回の最後の宿は4ベッドのシングルユースで広くTV、朝食つきだ。ニュースがグランドナショナルで何かが起こったことを伝えていた。

シャンゼリゼ通

1993年04月02日 | ヨーロッパ日記1993
4月2日 (金) パリ 快晴 (HOTEL EXCELSIOR)

8時起床。
外はすっきり晴れていた。地下鉄でF・D・Rooseveltで下りてアエロフロートへ。イギリス出国を4月6日に決め予約を入れた。

ここからシャンゼリゼ通りを歩いて凱旋門へ。エレベーターで上まで上がり(20FF)昨日のエッフェル塔の時とは違うすっきり晴れたパリの街を見渡すことができた。

マクドで昼食(やたら物価が高いのでこればかり)、シャンゼリゼ通りを歩いてコンコルド広場へ。メトロに乗ってモンマルトルのサクレ・クールへ。長い階段を使って登る元気がなく下から眺めるだけにとどまった。メトロを乗り継いでオペラへ。デパート、ギャラリーラファイエットに入りよほど何か買おうかと思ったが我慢した。オペラ通りを歩いて東京銀行横の東京動書店で久々に日本雑誌を5分ほど立ち読み。

メトロで宿に戻り2時間ほどシエスタ。午後9時、夜のパリを歩いてモンパルナスタワー(30FF)へ。屋上からはエッフェル、凱旋門はもちろん、空気が清んでいたので遠くまで見渡せ美しかった。

6日に帰国することになり嬉しい半面、中途半端で終わるようで悔しい気がする。本来ならパリにあと2日いたいところだ。

パリ到着

1993年04月01日 | ヨーロッパ日記1993
4月1日 (木) パリ 曇り時々雨 時々晴れ (HOTEL EXCELSIOR)

幸いなことに私のコンパートメントには途中まで私一人、あとからおばさんと2人だったので静かにいびきを気にせずに眠ることができた。朝6時過ぎに起きて歯を磨き到着を待った。

7時4分、パリのリヨン駅に到着。メトロを乗り継ぎST.MICHELで下りソルボンヌ大学の近くに宿をとった。

歩いてノートルダム寺院、そしてルーブル美術館(20FF)へ行った。ルーブルは異様にでかくパンフレットを持っていてもどこを歩いているかわからず出口を探すのに苦労した。マクドでランチをとりポンピドーセンター前のAJFでロンドンまでのチケット(340FF)を取った。

ポンピドーの前からメトロのマークに沿って地下へ下りると5分以上かけてCHATELET駅まで歩かされた。ここから1番線に乗ってChdeGaulle-Etoileで6番線に乗り換えBirHakeimで下りエッフェル塔へ。塔の足元の公衆電話で彼女に電話した。エレベーターで上に上がる(52FF)。風が強かったが大都会パリを360度見渡すことができた。RERに乗りSt.Michel乗り換えLuxembourgで5時半にホテルに戻った。

パリは地下鉄がとても発達していて路線図を見てると駅名を探し出すのにとても苦労する。乗り換えも不便だ。

エギーユ・ディ・ミディ

1993年03月31日 | ヨーロッパ日記1993
3月31日 (水) シャモニ 快晴 (夜行列車)

久々のシングルであったのでゆっくり9時起床。シャモニからロープウェイ(160FF)でプラン・ド・レギューユを経由してエギーユ・ディ・ミディに。時速約40キロのスピードであっという間に3842Mの地点についた。

昨日は雲がかかって見えなかったモンブランの頂上4807Mも今日は真っ白い頂を見せてくれた。グランドジョラスをはじめマッターホルン、モンテローザなどの山々が見渡せた。なんといっても心に残ったのはドリュの豪快な姿であった。猛々しい男の山である。-9度のミディの山頂で3,40分ほど風景を楽しんで下山。ほとんどの人はそのままスキーを履いて広大な山の中へ下りていった。

シャモニに下りてからは芝生の上で昼寝したりスーパーに行ったり山岳博物館(15FF)などで時間をつぶした。また広場で穴があいて羽の出てきたダウンジャケットを繕ったりもした。

午後6時ホテルに荷物をとりに行き、19時34分発の登山電車に乗り20時15分St.GERVAIS到着。列車を乗り換え20時14分山々に別れを告げてパリに向かった。

フランス・シャモニーへ

1993年03月30日 | ヨーロッパ日記1993
3月30日 (火) ツエルマット 快晴-シャモニー 快晴 (LA CHAUMIERE)

7時前起床、学生さんの部屋から見えるマッターホルンは白く光り輝いていた。もう一日滞在したいという想いに後ろ髪を引かれつつ9時10分列車(27SF)に乗った。

VISP、MARTIGNYと列車を乗り換え一両だけの列車でスイス、フランス国境駅へ、気のいい親父と2人だけでフランス入りし、列車乗りかえてシャモニーに午後1時38分到着。インタ-ラーケンですごいと思い、ツェルマットでもっとすごいと感動し、シャモニはもうなんと言葉で表せばいいのか?ヨーロッパ最高峰モンブランこそ雲に頂を隠されているものの、針のようにとがった山々が天をつらぬいている姿にびっくりした。世の中にはこんなところがあるのか。

今日はどうしてもシングルに泊まりたかったのでインフォメーションで一番安いところ(157FF)を紹介してもらい20分かけて歩いていった。ここのホテルの親父は山岳ガイドらしい。2階の部屋からはアルプスが正面に見える。荷物を置いて駅に戻り明日のジュネーブ行きのチケットを買おうと思ったが、たまたま見た掲示板にパリ、リヨンまでの夜行列車のことを書いてありいきなり予定を変更してパリ(416FF)に行くことにした。

街ブらをして食料を買い込みホテルに6時過ぎ戻ってきた。おいしそうに見え買ってきたハムサラダがとても食べられる代物ではなくゴミ箱行きとなり悲しい。おいしそうな真っ赤なイチゴも日本のものほど甘くなく缶詰のフルーツもスイスで食べたものよりおいしくなかった。

少しだが山に雲がかかってきている。明日は晴れてくれと祈るだけだ。部屋の窓から山々を見ながら今回も持ってきた植村直己の本のモンブラン登山の部分を読むと痛いほどに彼の感じていることが痛いほどわかった。シャモニを飛ばそうかと思っていた昨夜、そうしなくて良かったとつくづく思う。

割と広いシングルルームで一人山を見ながらパンなんかをかじっていると、隣に彼女がいてくれればどんなに素晴らしかったか、などと考えてしまう。いつかまたシャモニを訪れてこの部屋にでも一緒に泊まる日がくれば今日のことを懐かしく語るのであろう。そんな日が早くくるといいのだが。

ツエルマット

1993年03月29日 | ヨーロッパ日記1993
3月29日 (月) ツエルマット 快晴 -4℃ (HOTEL BAHNHOF)

神経質の私は1,2時間しか眠れずに6時40分BRIGに戻ってきた。そこから登山電車に乗り替え久々に山々を見ながら8時47分ツエルマットに登場、三角帽子のマッターホルンがくっきりと姿を見せて歓迎してくれた。

駅前にドミトリー(22SF)を取り、マッターホルンを眺めながら街ブラ、硬いパンを昼食にして登山電車に乗りゴルナーグラート(26.5SF)へ。約40分間広大なスキー場と、はるかかなたまで連なる雪山は美しかった。その中でマッターホルンはずば抜けて美しかった。ゴルナーの上のカフェで震えながらコーヒーを取り、4000メートル級の山々を見ながら時間をつぶした。

3時に降りてきて3時30分彼女にTEL。お金もつきてきたと言うのにTELすることが楽しみになってしまって困る。ホテルはドミトリーなので気が落ち着かず、ゆっくりできない。前のシングルの部屋に日本人(日医大・27)が入ってきたので、机を貸してもらってハガキなどを書いた。ラーメンを2袋もっていたので地下のキッチンへ行くと、ドイツ人4人組が夕食の残りをくれた。ありがたく遠慮なくいただき久々にラーメンを食べた。11時、恐怖の12名タコ部屋に戻っていびきに怯えながら寝た。

インターラーケンでぼーっと

1993年03月12日 | ヨーロッパ日記1993
3月12日 (金) インターラーケン 快晴 (INTERLAKEN YH)

7時前起床。
日本人で固められた部屋の皆々はそれぞれどこかへ出かけ、私は朝の散歩に出た。YHの前にある湖は水が澄んでいてゴミひとつ落ちてなく遠くにかすんで見える雪山とのコントラストが美しい。また小さな池には山が水面に映し出され絵葉書のようであった。湖のほとりには犬を連れて散歩にきている人が多かった。空には戦闘機が爆音を上げて飛び交っていた。

気温は0度。OST駅からホテル、土産物屋をのぞきながらWEST駅まで歩き、帰りに金もないのにSWATCHを買ってしまった。2時過ぎ彼女に電話。仕事延長のためこっちにこられないとのこと。こっちで会えるのを本当に楽しみにしていたのに、希望をいとも簡単に粉々に砕かれショックだった。

5時までYHは閉まっているので湖のほとりでボーっとして時間をつぶした。6時半待ちに待った暖かい夕食。ハンバーグとチップス、スープ、サラダ、パン一枚。昨日一昨日とひどかっただけにとてもおいしくいただいた。太陽が夕焼けの中、山に沈んでいった。明日はツェルマットに行くつもりであったが今日まで3日間ずっと山々を見ていたこともあり新鮮味に欠けるともったいないので急遽ミラノに行くことにした。ようやくイタリアだ。