LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

会社辞めてもう2年。。

2011年03月31日 | タイ日記
早期退職に手を上げて会社を辞めたのが丁度2年前の今日。


新宿三井ビルの郵便局から実家宛に荷物を送ったのがつい昨日のよう。新幹線から見える景色のように後ろにぶっ飛んで行った旅ばかりの2年間。あっというまだった。

とりあえず決めてた旅の為の2年は今日で終わり。

さ、仕事しよ。仕事。


異常気象?バンコク寒い・・

2011年03月31日 | タイ日記
30Mar2011 Bangkok THAILAND





26日にバンコク到着して以来ずっと白く曇っててとにかく涼しい。
夜は寒いほどである。エアコンつけずに夜眠れるなんてどうゆうこと?こんなの初めて。。

午前11時半、ペルーで出会ったタイ人のKと3か月ぶりの再会を喜ぶ。
Kによるとこの寒さは日本の地震の影響で海流の温度が変わったかららしい。ほんと?


バンコクの募金箱はお札でいっぱい!ありがとう

2011年03月29日 | タイ日記
28Mar2011 Bangkok THAILAND



デパート、大きなモールにいくと至る所に募金箱が置かれていて、入ってる量だけでなく札の金額にちょっとびっくりする。結構多いのが100B紙幣(約280円)。500B紙幣もちらほら。収入の水準からいうとかなりの金額。募金箱の置かれている場所を考えると入れているのはそれなりに持ってる人が多いと思うが、行ったこともない遠くの裕福な国に募金してくれてるその気持ちに感謝。俺はこんなタイ人が大好きである。

タイ人は日本の漫画をはじめとする文化、料理とかに親しみと尊敬の念を持ってくれているし、今ではたくさんの日本人がタイに住んでいる。考えてみればこんな相思相愛の関係他にある??思いつかない。。

アメリカに惨事が起こったら日本人は個人レベルで本気で寄付活動するだろうか?

午後就職斡旋会社に行き現状を聞き、夜は友人M、その友人たちと中華を食べに行く。

15日だった帰国日を6日に変更した。

そしていつものタイランドへ

2011年03月26日 | タイ日記
26Mar2010 Bangkok THAILAND

午前10時相棒と秋葉原で落ちあいカメラの修理を出し、お昼に天丼をいただき、上野公園でちょっと桜を見る。今回相棒はお留守番。
京成線で成田空港へ。

乗りなれたUAで18:30離陸。なんと席にはUAバンコク線初のプライベートモニターがついていた。この映画子供にはあまりにも暗すぎるだろ・・と思われるハリーポッターを見ながらバンコクへ。23:00バンコク到着。タクシーでアヌサワリーへ。

50か国+1の訪問の旅を終え帰国の途に

2011年03月14日 | 南米日記
14Mar2011 FLIGHT(Chicago-Narita)

朝5時過ぎシカゴ到着。



入国後、空港の外にちょっと出てみる。サブい。とっとと建物の中へ。 このシカゴ・オヘア空港、デカイだけでろくな店もなく、Wi-Fiひとつ繋がらないどうしようもなく退屈な空港だったので出発まで横になって寝た。 午後2時半成田に向けて出発。

席にモニターも、読む本もなく退屈で退屈で暇死にしそう。空港で寝ちゃったので寝つくこともできずこの中南米ツアーで一番きつい移動に。

あまりに暇なので2年前に会社を辞めた後、訪れた国を数えてみた。

タイ
インドネシア
ラオス
ミャンマー
オーストラリア
韓国
フィリピン
マレーシア
スリランカ
アラブ首長国連邦
ヨルダン
イスラエル
シリア
レバノン
オマーン
中国
ネパール
トルコ
ブルガリア
セルビア
モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ
クロアチア
ハンガリー
チェコ
ポーランド
ドイツ
オランダ
ベルギー
フランス
スペイン
ポルトガル
モロッコ
フィンランド
メキシコ
キューバ
ベリーズ
グアテマラ
ホンジュラス
エルサルバドル
ニカラグア
コスタリカ
パナマ
ペルー
ボリビア
チリ
アルゼンチン
(南極)
ウルグアイ
ブラジル
パラグアイ

51か国+1。まだまだ見たい国もたくさんあるけれどこれで放浪の旅はとりあえず終了。いろんなところ行き過ぎてもう何が何だか分からなくなってる。。まだ想い出になるには時間がかかると思うけれど楽しかった。数時間後には現実の国日本が待っている。

さらば南米~

2011年03月13日 | 南米日記
13Mar2011 FLIGHT(Sao Paulo-Chicago)

9時過ぎ荷物をナベさんの部屋に置いてチェックアウトしメトロでクリニカへ。駅でトミーも集合し皆でサッカー博物館へ。

この博物館、なかなかよくできていて前に行ったブエノスアイレスのボカスタジアムより全然見るものがある。1000年かかっても日本はブラジルに勝てんわ・・と展示物見てるだけでそう思ってしまった。

リベルタージに戻り喫茶店でちょっと時間つぶした後、思い出のいっぱい詰まったバックパックを背負いメトロでタツアペ駅へ。ここまで見送りに来てくれたナベさん、トミーに別れを告げサンパウロ・グアルーリョス空港へバスで移動。



いつか吸おうと思いつつ吸ってなかったキューバ・ハバナで手に入れたコイーバの葉巻を空港の外で吸う(アメリカ持込不可)。ああ、旅が終わってしまった。。。。。相棒もほんとよくここまでついてきてくれた。感謝。



シカゴへ向け出発。


南米最後の夜

2011年03月12日 | 南米日記
12Mar2011 Sao Paulo BRAZIL

朝食をとりナベさんと3人で近くのカフェで12時まで日本の地震ニュースを確認。原発で爆発とか恐ろしいことが書かれてて、尋常じゃない被害が出てることにただただ驚く。

午後は旅最後ということでお土産を探しにメトロでクリニカへ行きサンパウロの銀座みたいなところへ。いままでずっとお土産禁止だったから相棒はこの時とばかりに嬉々として店回り。







最後の晩餐は4人で居酒屋へ。デザートは他どこも空いてなくマクドで。 夜中、荷物をパッキングしながら、あ~旅が終わっちゃったな…と少しだけしんみり。19か月に渡った旅、特に悪い事件も起こらず無事で何より。


【戦利品。業者か?】

サンパウロ到着。この時日本ではとんでもないことが起こっていた・・

2011年03月11日 | 南米日記
11Mar2011 Sao Paulo BRAZIL

午前10時過ぎサンパウロ到着。ターミナルはチエテではなくバラフンダであった。メトロでスー駅へ。

乗り換え先を探していると日系の人が声をかけてくれてリベルダージへの方向を教えてくれた。 この時、今日日本ででかい地震あったよ、知ってる?と聞かれ知らなかった、と答えた。またいつものちょっと大きめの地震だろ、と思いつつ。。

リベルダージは東洋人街で提灯、日本風の橋、ラーメン屋、居酒屋などなど日本を感じさせるものがいたるところにあり心落ち着く場所。 ナベさんが下見して引越した台湾人が経営する宿にチェックイン。シャワーを浴びてナベさんと3人でお昼に「すき家」に牛丼とカレーを食べに行く。カレーは今ひとつだったが牛丼はうまかった。これで日本に帰る少ない楽しみのひとつが消えた…。





午後はカフェでコーヒー飲みながらネット。この時さっき聞いた地震がただごとじゃ無かったことを知る。午後は買い物、と思っていたがそんなことは忘れて最悪の大惨事のニュースを遠い日本の裏側からまるで映画をみてるような気持ちで読み漁った。 信じられないことが起こってる。。事がデカ過ぎて活字からの情報だけでは脳が現実の事として想像のイメージをうまく創れない。

日本で何が起こってんのかよくわかんないまま、夜はトミーも合流し4人で日本食を食べに行く。値段は決して安くはないが、おいしい野菜炒め,餃子、トンカツをいただく。 レストランの外には会社帰りのサラリーマンがたむろしてたりしてもはや日本そのものなのである。


ちょっとパラグアイ・シウダー・デル・エステへ

2011年03月10日 | 南米日記
10Mar2011 Night Bus(Foz do Iguacu-Sao Paulo) 10時過ぎチェックアウト。

荷物は全部宿に置いて、手ぶらでバスに乗りブラジルーパラグアイ国境へ。

イミグレ前でバスを降り出国スタンプをもらい歩いて友情の橋を渡ると、そこはもうパラグアイ、シウダーデルエステの街。


【あの島はブラジル?パラグアイ?】

物価の安い側の国境の街だけあって混沌とした感じが面白い。売ってる物はほとんど中国製の粗悪品ばかりで買いたい物はまったく見あたらず。





お昼はジャパレスでビュッフェ。豆腐が美味しい。お腹空いていないのにもかかわらず誘惑に勝てず入ってしまうが結局ほとんど食べれず残念。日本食食べたら日本に帰りたくなくなる。 3時半フォスドイグアスに戻ってくる。

宿でシャワーを浴びさせてもらい最後のバス旅の準備。 午後5時、長距離バスターミナル到着。午後6時発のバスでサンパウロを目指す。

おったまげイグアスの滝(アルゼンチン側)

2011年03月09日 | 南米日記
09Mar2011 Foz de Iguacu BRAZIL

9時半過ぎ、宿の用意した車で出発。15分ほどで国境に到着しブラジル出国そして橋を渡って4回目のアルゼンチン入国。出入国手続きはドライバーがすべてやってくれて楽ちん。

10時半過ぎ公園入口に到着。ガイドを待つとかで1時間近く無駄に待たされ11時過ぎの鉄道で悪魔の喉笛駅へ。ここから20分ぐらい歩くとゴーっという音が近づいてくる。展望台で悪魔の喉笛と正面で対峙。 その豪快さにおったまげた。





すげえ。昨日ブラジル側を見てイグアスの滝ってこんなもんか、と正直たかをくくってた。しかしアルゼンチン側は物が違った。これこそイグアスの滝である。



鉄道でひとつ戻りボートで滝の下に突っ込む人気のアトラクション、アヴェントゥラ・ナウティカのボート乗り場へ。 ずぶ濡れになるのは分かっていたのでTシャツを脱ぎライフジャケットを付け出撃。10分程の時間で3回滝に突っ込む。楽し~。





ブラジル側がバスでの簡単な移動に対しアルゼンチン側はエセ鉄道で乗り場とか発車時間とかなんか判り辛く、やたら待たされてちょっとイライラ。なんか根本的に考え直したほうがいいんじゃないの…。 午後5時半に出て6時半フォスドイグアスに到着。

ジャパレスで晩御飯を食べようと途中で降ろしてもらったもののあまりにも高く、またまずそうだったので隣のマクドでバーガー3個。