LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

バンコクに戻る

1998年02月25日 | タイ日記
2月25日 (水) コタオ-バンコク (NATⅡ)

8時起床。荷物をまとめいつものレストランからTAXIにのり(30B)桟橋へ。少し時間があったのでパイナップルシェイクを飲む。

10時半初のスピードボートに乗り快適な1時間30分でチュンポンへ。ミニバスに乗り換え12時50分出発。エアコン効き過ぎの車内で震えながらバンコクを目指した。休憩で停まるレストランもすでに何回か訪れたことがあるところばかりであった。午後8時半バンコク、カオサン到着。カオサンは日本人学生でいっぱいであった。

タオ島でまたボーっと

1998年02月24日 | タイ日記
2月24日 (火) (O‘CHAI BANGALOW)

9時起床。歩いて桟橋まで生き明日のバンコクまでのチケット(800B)を買う。ガーリックペッパーポークの昼食を港近くのレストランで取り、2杯もパイナップルシェイクを飲んだ。バンガローに戻ってきて気に入ったナンユアンへ出かける。

今日は一番暑い一日。日差しが強烈で今まで焼いていなかった短パンの腰のあたりが痛い。今日の日差しは本当に暴力的に降り注ぎ体がじりじりいっていた。水の中は昨日より透明度が少し低い感じで魚もなんとなく少なかったような。昨日飲んで返すのを忘れていたコーラのビンがそのまま放置されていたのを見てさすがの私も罪悪感を感じずに入られなかった。3時半、バンガローに戻り洗濯。

ナンユアンでシュノーケリング

1998年02月23日 | タイ日記
2月23日 (月) コタオ (O‘CHAI BANGALOW)

昨夜は結構涼しく久々に眠れた。
8時起床。朝食はチーズオムレツ(50B)。11時、ボートタクシーに乗りNANYUANへ。タオで借りてきたシュノーケルとフィンをつけて水の中をみるとそれはそれは素晴らしい世界だった。以前ナンユアンの近くを潜ったことがあるが全然こっちのほうが美しい。魚もかなり大きいのがいたし種類も色も豊富。唯一珊瑚は色が出てなかったが。

3時の帰りのボートが出るまでのほとんどの時間海に入っていた。木村さんはトップレスになっていたが全然いやらしくないのがいい。水温はタオより低く感じ、また今日は湿気が全然ないのでとても快適。水の中では緑の魚が虫にやられた傷口めがけて噛み付いてきてた。タオに戻ってシュノーケルを借りたレストラン(パスポートを預ける代わりに時計を人質に差し出していた)で昼夕食。パッタイを食べシャワー。肌もようやく太陽になれ、痛みを感じずに焼けるようになってきた。タルカムパウダーつけまくり。

夜はいつものところでいつものポークジンジャー。肉が生焼けのようだったがすべて平らげる。唐辛子などの残りをいつもここにいついている犬どもにやるので犬がすっかり覚えたのか絶えず周りによって来てねだる。今日は4匹きていた。罰ゲームつきトランプ大会。夜遅くに北のまだ行っていないところを突き当りまで散歩。

タオ島でボーっと

1998年02月22日 | タイ日記
2月22日 (日) コタオ (O‘CHAI BANGALOW)

昼頃まで寝たり起きたり。午前中は曇り。朝食は昨日夕食を食べたところでFriedNoodle with Pork。体を焼くのは痛いし何もすることがないので雑貨屋にジュースを買いに行ったりたまった日記を書いたりしている。

昨日と一緒で午後になって一気に天気がよくなってきた。周りの木々からはせみの鳴き声がうるさい。おやつにマフィンを食べに行ったりして今日はそれほど海に入らずボーっとして過ごした。

6時過ぎ電気が来ても部屋の蛍光灯に火がつかずろうそくをともす。今夜もどこからともなくうるさい音楽が聞こえる。こんな美しい島に来てまで聞きたくない騒音である。夜は少し風があり昨夜ほど暑くなかった。蚊帳を下ろすと暑く感じるので、蚊にやられるのを覚悟で蚊帳をせずに寝た。

タオ島でダイビング

1998年02月21日 | タイ日記
2月21日 (土) コタオ (O‘CHAI BANGALOW)

体が火照ってなかなか寝付けず4時就寝の7時半起床。
宿をすぐチェックアウト、木村さんのところへ引越しして(同じところでバンガロー代わっただけ)プラネットスクーバへ。

タイ人ガイド、日本1、イギリス1、オーストリア1、国籍不明のめちゃくちゃ太ったおっさんとその彼女の6人でまずChumpornPinnacleに潜った。書いて説明するのは難しいが今まで潜った中では1番良かった。透明度も魚群もばっちり。そのあとCAVEくぐりのあるNanyuanPinnacle。まあまあ。今日の2本は機材が古く不安だったのを除けば十分満足であった。

午後1時過ぎ戻ってきて宿に戻ろうと下書き大気の車が出てしまった後だったので歩いて戻った。後は夕方まで顔だけ水面に出して本を読んだ。今日移った宿はいい。ビーチの目の前でまだ新しく清潔で居心地がいい。夕方むこうから駆け足で日本人女性がやってきた。なんだ、なんだとみがまえると「読み終わって交換できる本ありますか?」とのこと。なんなんだこいつは!

夕食を取ってると先ほどの女とその友達の学生の男が現れ食事に同席してきた。午後10時半、電気が落ちた。ろうそくの灯りと満天の星のロマンチックな夜である。外は結構涼しいのだが蚊帳の中に入ると暑く感じた。

久々のタオ島

1998年02月20日 | タイ日記
2月20日 (金) コタオ (O‘CHAI BANGALOW)

ポールは本当にいい奴だ。年齢も同じで気が合う。もしかしたらワールドカップのチケットも取ってもらえるかもしれない。ただいま00:45。皆踊り狂っている。ミシェルのいうとおりここには太った人がいない。かなり疲れているのでそろそろ戻って眠りたいが他の4人は全然そういう雰囲気ではない。夜に輝く月はちょうど半分、夜は飲んで昼はビーチで寝るというのが島での過ごし方というところか?彼らは人生の楽しみ方を本当に知っている。

午前3時前にジェットコースタータクシーに乗って宿に戻ってきてミシェルに虫刺されの薬をもらう。

10時起床。レストランに行くともうマーカスは起きていた。11時過ぎ車に乗って港へ。12時半船に乗り3時、久々のタオ島。友達がここにきているマーカスと別れ(ロッキーとか言うロッジに行った)プラネットスクーバに前回のダイブでお世話になったフランを訪ねると一週間前にフィリピンに行ってしまったとのこと。残念。

車に乗って去年の8月停まっていたあたりに宿を探しに行くがどこもいっぱい。4,5件回ってようやく空きを見つける。宿代もオンシーズンとのことでやたら高くなっていた(250B)。プラネットスクーバで明日のファンダイブを申し込み(1400B)、以前よく行ったレストランで大好きな豚肉の生姜焼きを食べた。ここの親父も私を覚えていてくれた。

ビーチで焼こうと出てみたが、このときすでに船での2時間半で背中が痛くなっていたのでずっと海の中に浸かっていた。このときたまたま木村さんという真っ黒にこげた日本人と会い夕食を食べに行く。何を食べたかは言わずもがな。10時過ぎにバンガローに戻るとすでに電気は落ちていて、ろうそくの火で洗濯をした。

パンガン島到着

1998年02月19日 | タイ日記
-THAILAND
2月19日 (木) -スーラターニー-コパンガン (SUNSEA RESORT)

午前7時過ぎタイ国境の町ハジャイ着。
マーカス(オーストリア人。シンガポールで勉強していたらしい)と一緒にセブンイレブンで買い物した後旅行代理店近くの食堂でチャイを飲み8時半ミニバスに揺られスーラターニ-へ。

できれば今日中にタオ島まで行きたいと思っていたのだが無理だと分かったのでパンガンに切り替える。以前サムイ島に行ったときの港とは違うところから船が出た。サムイ経由パンガン。船には陽気なイタリア人女性が一緒だった。

思ったよりも早く2時間ほどで午後6時頃到着。客引きのおばさんに連れられ他7人の欧米人と一緒にバンガローへ。荷物を置いてすぐ食事。今日一日ほとんど何も食べていなかったので豚肉の生姜焼き、アイスティー3杯を一気に放り込んだ。明日マーカスとタオ島に向かう。

のみにやられたような後が2,30箇所もあり、めちゃくちゃにかゆい。布かジーンズかもしれない。夜はイギリス人3人、マーカスとビリアード。台が悪くあまり楽しめなかった。ベトベトの体をようやく洗い、アイスティーでほっとする。マーカスはもう寝に帰っていった。真っ黒に焼けたフランス人女性や「Fuck‘n Jap」などと俺がいるのも知らないで言ってびっくりしていた奴などいろいろいた。

イギリス人4人(ポール、ニッキー、ミシェル、あと一人は忘れた)に誘われハードリンまでタクシーに乗って(30B)きてビーチのバーで飲んでいる。ポールはイギリスの村田電気勤務(1年休暇中)、ニッキ-はポールの奥さん、そして妹のミシェル、メルボルンからきた友達の4人。せっかくシャワーを浴びたのにもうベトベトであるがそんなに暑くは感じない。(やっぱりちょっと暑い)聞いたところ皆ダイアナはあまり好きではなかったそうだ。こういうところで誕生日を迎えられればよかった。何でインドネシアの田舎なんかで迎えちゃったのか。

シンガポールからバスで出発

1998年02月18日 | その他アジア日記
2月18日 (水) SINGAPORE-MAREYSIA
シンガポール-ジョホールバル- (夜行バス)

昨夜4時頃横になり8時起床。
シャワーを浴びてパン3枚、卵2個の朝食を取る。10時前出発しバス停まで歩く。すぐに170番のバス(S$1.2)に乗れた。街が美しく感じるのは緑が多いせいである。多い木々が都会の喧騒をかき消している。

1時間ほどでシンガポール側のイミグレーション。係りの人はすっかり慣れているのかかなりの人数をあっという間にさばいていた。バスに乗り今度はマレーシア側。ともに荷物検査等一切ナシ。

お昼12時ラーキンというバスターミナル到着。バンコクまでのチケットは売ってなく国境の街ハジャイ迄購入(55RM)。チケット代はそれぞれの店で料金が違っていたが、とにかくシンガポールで買わなくてよかった。

12時45分学生柳沢君マラッカへ出発。私は5時までの時間をつぶすため一度ジョホールバルまで戻り(90C)KFC(7.76RM)でランチ。ジョホールバルは国境の町らしく薄汚れてはいたものの活気があった。ようやくあの馬鹿らしいほど高いタバコの国を抜けたのですぐにタバコ(マイルドセブン3.7RM)を買って吸いまくり。

バイブレーションバスはクアラルンプールまで。KLでいいバスに乗り換えハジャイへ。マレーシア出国は自分でしたがタイ入国はバスの係員が取り仕切り2RMとられた。KLでは高くそびえるK.C.Towerが美しくライトアップされ大都会のようであった。バスの中で隣には男1、女2のタイ人グループが座っている。女性の一人は恐ろしく美人だった。ちなみにバスは1列3席のVIPバスである。かなりエアコン効きすぎて寒い。

おお、マーライオン、ちいさいぜ。

1998年02月17日 | その他アジア日記
2月17日 (火) シンガポール (LEE BOARDING HOUSE)

8時半頃目を覚ますが疲れきっているのか起きられず。11時起床。ここは朝食付なのだが10時半まででありつけず。下のスーパーでパン(50c)、コーヒー(80c)を買ってくる。シャワーのついでにタオルを洗ったが、さすがインド製。いまだに色が出る。

12時頃宿を出て歩いてラッフルズホテルへ。レストランはほとんど日本人でいっぱいであった。ホテル自体はとても立派で短パン姿ではとても入る勇気が出なかった。(香港ペニンシュラで過去断られた経験あり)

その後マーライオン。昨日バスからチラッと見えたが、さすが世界3大がっくりに数えられるだけのことはある小ささで、思いっきりがっくりした。

次はパソコン関係の店がたくさん入っているFunanCenterで欲しかったゲームの「ULTIMA ON LINE(S$59.90)」を手に入れる。カードを使ってしまった。この頃外はスコール。バンコクまでのバスチケットを探しにかなり北のゴールデンなんとかタワーまで行くがハジャイまで(S$40)しかなく結局買わず。

帰りはアラブストリートでちんけな土産屋を見たあと地下鉄に乗りBugisからオーチャードまで(90c)。地下鉄はとても快適であった。乗り換えもスムーズ。高島屋の丸善でこれからの暇つぶしにとロンリープラネット、ヨーロッパ購入(S$41.72)あまり早く宿に戻ってもすることがないのでおなかいっぱいであったにもかかわらず韓国焼肉プルコギ(S$6)をおいしくいただく。今日5回目の食事。物価高の街で食べまくりの1日。

夜は宿に日本人が他に2人いたので4カ国目の大富豪大会。2時半頃までやった。ただいま真夜中3時25分。数箇所、蚊以外の虫にやられている。インドネシアの船の中か、この部屋か?

ようやくシンガポール到着

1998年02月16日 | その他アジア日記
2月16日 (月) INDONESIA-SINGAPORE
-バタン島-シンガポール (LEE BOARDING HOUSE)

5時間ほど待っても結局直らず、怒りを通り越して途方にくれ、島にコーラでも買いに行こうと上陸。コーラはなかったが水を買って船に戻った。すると代わりの船が到着していた。船に乗り込むと安堵感からすぐに眠ってしまった。

夜11時半頃出た船は夜中2時半に目を覚ますと停まっていてようやくバタンかと思うと違うといわれまた逆上。いつまで停船しているのかもわからず、船内はエアコンも切れて蒸し風呂状態なので桟橋で雑魚寝。騒がしさに目を覚まし4時過ぎまた乗り込み出発。

朝6時半、12時間以上も遅れてバタン到着。これだけ遅れてもインドネシア人は文句ひとつなし。それはそうだ。時間のとらえ方が違う。14日の朝からここまで丸2日かかった。距離にすると全然ないのだが、ここはインドネシア。

シンガポールへのチケット(S$18)を買いコーヒーをすすりイミグレを抜け7時半スピードボート出発。だんだん近づいてくる高層ビル群に嬉しさを隠せず8時10分あっという間に到着。ようやく予定していたすべての国を訪れることができた。

シンガポールは美しい町である。整備されすぎているような気もするが久々の都会は気持ちいい。船の着いたワールドトレードセンター横のマクドナルドで朝食(エッグソーセージマフィンセットS$5)。バスに乗ってSelegie STで降りBencoolen STで宿を探していると宿屋の親父に道端でつかまりそのままチェックイン。愛知一宮の学生君とシェア(一部屋S$35)。2日ぶりの、それもエアコン付の部屋はかなり嬉しい。すぐシャワーを浴びどろどろな体を洗った。

学生君がカンタスへ航空券の払い戻しをするついでにメインストリートであるオーチャード通りをうろつく。高島屋デパートの中のレストランで日本食の誘惑に負け9ドルもするカツカレーを食ってしまった。最初は久々でうまい!と思ったがだんだん大学の学食のカレーの味にそっくりなことに気づいてしまいがっくりしてしまった。ここはお買い物好きな人には確かにいいところだがそうでないものにとっては何もすることがない街である。

3時頃強い雨が降った。シンガポールの女性はほとんどが中国系であるが、とてもあか抜けている。インド人もインドのインド人よりはまし。物価はかなり高く他の東南アジアの国々を寄せ付けない。特にタバコが高く国産品は無し。輸入品が一箱5ドル以上もする。

オーチャードの店をのぞきながら6時頃宿に戻ってくる。夕食はZhujiaoCenter(大衆食堂)で辛くてまずいシーフードナシゴレン(S$3)学生君のシーフードミーゴレンも同じ味でまずかった。さて日本人観光客であるが、数はそれほど見かけなかったもののいまだにシンガポールはブランド物が安いなどと勘違いしているようなやからがいる。とにかく苦労してついたシンガポールは何もかもが高く貧乏人には冷たい街でその点では香港とまったく一緒。しかし香港よりは清潔感があり整備されている。ここはほっとシャワーが嬉しい。寝る前もまた浴びた。今夜は3枚はがきを書いた。