LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

50か国+1の訪問の旅を終え帰国の途に

2011年03月14日 | 南米日記
14Mar2011 FLIGHT(Chicago-Narita)

朝5時過ぎシカゴ到着。



入国後、空港の外にちょっと出てみる。サブい。とっとと建物の中へ。 このシカゴ・オヘア空港、デカイだけでろくな店もなく、Wi-Fiひとつ繋がらないどうしようもなく退屈な空港だったので出発まで横になって寝た。 午後2時半成田に向けて出発。

席にモニターも、読む本もなく退屈で退屈で暇死にしそう。空港で寝ちゃったので寝つくこともできずこの中南米ツアーで一番きつい移動に。

あまりに暇なので2年前に会社を辞めた後、訪れた国を数えてみた。

タイ
インドネシア
ラオス
ミャンマー
オーストラリア
韓国
フィリピン
マレーシア
スリランカ
アラブ首長国連邦
ヨルダン
イスラエル
シリア
レバノン
オマーン
中国
ネパール
トルコ
ブルガリア
セルビア
モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ
クロアチア
ハンガリー
チェコ
ポーランド
ドイツ
オランダ
ベルギー
フランス
スペイン
ポルトガル
モロッコ
フィンランド
メキシコ
キューバ
ベリーズ
グアテマラ
ホンジュラス
エルサルバドル
ニカラグア
コスタリカ
パナマ
ペルー
ボリビア
チリ
アルゼンチン
(南極)
ウルグアイ
ブラジル
パラグアイ

51か国+1。まだまだ見たい国もたくさんあるけれどこれで放浪の旅はとりあえず終了。いろんなところ行き過ぎてもう何が何だか分からなくなってる。。まだ想い出になるには時間がかかると思うけれど楽しかった。数時間後には現実の国日本が待っている。

さらば南米~

2011年03月13日 | 南米日記
13Mar2011 FLIGHT(Sao Paulo-Chicago)

9時過ぎ荷物をナベさんの部屋に置いてチェックアウトしメトロでクリニカへ。駅でトミーも集合し皆でサッカー博物館へ。

この博物館、なかなかよくできていて前に行ったブエノスアイレスのボカスタジアムより全然見るものがある。1000年かかっても日本はブラジルに勝てんわ・・と展示物見てるだけでそう思ってしまった。

リベルタージに戻り喫茶店でちょっと時間つぶした後、思い出のいっぱい詰まったバックパックを背負いメトロでタツアペ駅へ。ここまで見送りに来てくれたナベさん、トミーに別れを告げサンパウロ・グアルーリョス空港へバスで移動。



いつか吸おうと思いつつ吸ってなかったキューバ・ハバナで手に入れたコイーバの葉巻を空港の外で吸う(アメリカ持込不可)。ああ、旅が終わってしまった。。。。。相棒もほんとよくここまでついてきてくれた。感謝。



シカゴへ向け出発。


南米最後の夜

2011年03月12日 | 南米日記
12Mar2011 Sao Paulo BRAZIL

朝食をとりナベさんと3人で近くのカフェで12時まで日本の地震ニュースを確認。原発で爆発とか恐ろしいことが書かれてて、尋常じゃない被害が出てることにただただ驚く。

午後は旅最後ということでお土産を探しにメトロでクリニカへ行きサンパウロの銀座みたいなところへ。いままでずっとお土産禁止だったから相棒はこの時とばかりに嬉々として店回り。







最後の晩餐は4人で居酒屋へ。デザートは他どこも空いてなくマクドで。 夜中、荷物をパッキングしながら、あ~旅が終わっちゃったな…と少しだけしんみり。19か月に渡った旅、特に悪い事件も起こらず無事で何より。


【戦利品。業者か?】

サンパウロ到着。この時日本ではとんでもないことが起こっていた・・

2011年03月11日 | 南米日記
11Mar2011 Sao Paulo BRAZIL

午前10時過ぎサンパウロ到着。ターミナルはチエテではなくバラフンダであった。メトロでスー駅へ。

乗り換え先を探していると日系の人が声をかけてくれてリベルダージへの方向を教えてくれた。 この時、今日日本ででかい地震あったよ、知ってる?と聞かれ知らなかった、と答えた。またいつものちょっと大きめの地震だろ、と思いつつ。。

リベルダージは東洋人街で提灯、日本風の橋、ラーメン屋、居酒屋などなど日本を感じさせるものがいたるところにあり心落ち着く場所。 ナベさんが下見して引越した台湾人が経営する宿にチェックイン。シャワーを浴びてナベさんと3人でお昼に「すき家」に牛丼とカレーを食べに行く。カレーは今ひとつだったが牛丼はうまかった。これで日本に帰る少ない楽しみのひとつが消えた…。





午後はカフェでコーヒー飲みながらネット。この時さっき聞いた地震がただごとじゃ無かったことを知る。午後は買い物、と思っていたがそんなことは忘れて最悪の大惨事のニュースを遠い日本の裏側からまるで映画をみてるような気持ちで読み漁った。 信じられないことが起こってる。。事がデカ過ぎて活字からの情報だけでは脳が現実の事として想像のイメージをうまく創れない。

日本で何が起こってんのかよくわかんないまま、夜はトミーも合流し4人で日本食を食べに行く。値段は決して安くはないが、おいしい野菜炒め,餃子、トンカツをいただく。 レストランの外には会社帰りのサラリーマンがたむろしてたりしてもはや日本そのものなのである。


ちょっとパラグアイ・シウダー・デル・エステへ

2011年03月10日 | 南米日記
10Mar2011 Night Bus(Foz do Iguacu-Sao Paulo) 10時過ぎチェックアウト。

荷物は全部宿に置いて、手ぶらでバスに乗りブラジルーパラグアイ国境へ。

イミグレ前でバスを降り出国スタンプをもらい歩いて友情の橋を渡ると、そこはもうパラグアイ、シウダーデルエステの街。


【あの島はブラジル?パラグアイ?】

物価の安い側の国境の街だけあって混沌とした感じが面白い。売ってる物はほとんど中国製の粗悪品ばかりで買いたい物はまったく見あたらず。





お昼はジャパレスでビュッフェ。豆腐が美味しい。お腹空いていないのにもかかわらず誘惑に勝てず入ってしまうが結局ほとんど食べれず残念。日本食食べたら日本に帰りたくなくなる。 3時半フォスドイグアスに戻ってくる。

宿でシャワーを浴びさせてもらい最後のバス旅の準備。 午後5時、長距離バスターミナル到着。午後6時発のバスでサンパウロを目指す。

おったまげイグアスの滝(アルゼンチン側)

2011年03月09日 | 南米日記
09Mar2011 Foz de Iguacu BRAZIL

9時半過ぎ、宿の用意した車で出発。15分ほどで国境に到着しブラジル出国そして橋を渡って4回目のアルゼンチン入国。出入国手続きはドライバーがすべてやってくれて楽ちん。

10時半過ぎ公園入口に到着。ガイドを待つとかで1時間近く無駄に待たされ11時過ぎの鉄道で悪魔の喉笛駅へ。ここから20分ぐらい歩くとゴーっという音が近づいてくる。展望台で悪魔の喉笛と正面で対峙。 その豪快さにおったまげた。





すげえ。昨日ブラジル側を見てイグアスの滝ってこんなもんか、と正直たかをくくってた。しかしアルゼンチン側は物が違った。これこそイグアスの滝である。



鉄道でひとつ戻りボートで滝の下に突っ込む人気のアトラクション、アヴェントゥラ・ナウティカのボート乗り場へ。 ずぶ濡れになるのは分かっていたのでTシャツを脱ぎライフジャケットを付け出撃。10分程の時間で3回滝に突っ込む。楽し~。





ブラジル側がバスでの簡単な移動に対しアルゼンチン側はエセ鉄道で乗り場とか発車時間とかなんか判り辛く、やたら待たされてちょっとイライラ。なんか根本的に考え直したほうがいいんじゃないの…。 午後5時半に出て6時半フォスドイグアスに到着。

ジャパレスで晩御飯を食べようと途中で降ろしてもらったもののあまりにも高く、またまずそうだったので隣のマクドでバーガー3個。

旅最後のビッグイベント。イグアスの滝(ブラジル側)

2011年03月08日 | 南米日記
08Mar2011 Foz de Iguacu BRAZIL

リオデジャネイロから23時間のバス旅。うち約21時間は眠ってたであろう。お陰で体力完全回復。ほとんど何の記憶もなく午前10時過ぎフォスドイグアス到着。相棒は冷蔵庫のように冷えた車内にほとんど眠れなかった様子。

長距離バスターミナルから近距離バスターミナルへローカルバスで移動し、そこから歩いて10分ほどのところの宿にチェックイン。2日ぶりのシャワーを浴び早速イグアスの滝へ出発。

120番のバスで国立公園のゲートに行き公園内の2階建てバスに乗り換え公園内にあるホテルHotel das Cataratasで降り遊歩道を数分歩いていくと・・・ついにイグアスの滝とご対面。



すごい!けど感動できない。。正直、感動するために越えなきゃいけないハードルは滅茶苦茶高くなっている。。でもナイアガラよりはすごいと言える。




遊歩道にはいくつかビューポイントがあり滝と滝の間ににせり出す形で造られているものは上からほとんど雨のように飛沫が飛んできてびしょ濡れ。豪快。1枚写真を撮るごとにレンズを拭き拭き。











5時半過ぎまで滞在してフォスドイグアスまで戻る。晩御飯はブラジルにきたら食べてみたいとずっと思っていたジモッチー用シュハスカリヤへ。肉の塊に岩塩を振りかけて焼き上げるバーベキューが食べられる専門店がシュハスカリヤ。サイドメニューはビュッフェスタイルで次から次へと肉を持ったお兄さんがテーブルまで運んできてくれる。こっちは南極の船で知合った由佐夫妻に「ピッカーニャはうまい」とだけ聞いていたので肉が来るたび「ピッカーニャ?」とだけ聞くが、違うと言われてもうまそうなのでついつい全部いただいてしまう。



肉にタレをつけることに慣れすぎてしまっている日本人には塩味だけの肉にちょっと物足りないもののそれでもおいしかった。特に豚肉。例のピッカーニャもおいしかった。限界まで腹に詰め込んだ。なんかお肉久しぶり。マクドのハンバーガーを除いて。

午後8時半、宿に戻り旅最後かもしれない洗濯。


2011リオの宴が終わった。。。

2011年03月07日 | 南米日記
07Mar2011 Nifght Bus (Rio de Janeiro-Foz de Iguacu) BRAZIL

6日夜の続き・・



夜中12時を回ってももちろんパレードは始まったばかり。でも1つのチームの持ち時間が長い、音楽も同じということもあって少々だるくなってきたのも事実。エスペシャルはサンバというよりウケル趣向に凝ったところがあって確かにお金かかってて衣装も山車もモノスゴイのだけれど肝心のサンバの足捌きがあまり見られず正直ちょっと物足りない。。泣くことを忘れた美しい鳥のよう。。







さて何度入口に見に行っても来ていなかったナベは夜中3時半にようやく合流。これで初めて南米をそれぞれ彷徨っていた5人が始めて集合した。素晴らしい。


【バギオご一行様】


【親戚ご一行様】

5時を過ぎると空もすこしずつ明るくなってきて最後の6チーム目のパレードが終わったのはすっかり夜が明けた6時過ぎであった。




【キリスト像もカーニバル観戦】

途中から降りだした雨も上がる。6時半会場を後にして皆で朝マックしようとセントラル駅へ向かうが開いてなかったのでこれからサンパウロに向かうという皆とお別れ。

我々は主任さん家に預けていた貴重品を取りに行く。そこで味噌汁をご馳走になる。昨日の夕方から何にも食べていなかったのであまりのうまさがハラワタに沁みた・・。主任さんにはほんとお世話になった。またリオにくることがあったら是非再度お世話になりたい(笑)

宿に戻り荷物を引き取りタクシーでバスターミナルへ。カーニバル会場で一緒だった何人かの日本人がフードコートの椅子の上で死んだように眠っていた。我々も限界を超えていて椅子に座ってちょっと気を抜くと瞬間的に落ちるのである。2人して眠ってしまえばもう起きることは不可能で1時間後のバス乗り過ごし間違いなしなのでじゃんけん張り手ゲームでがんばる。

11時半バス発車。まもなく夢の中へ。3回もパレード見ることが出来てよかった・・よかった・・おやすみなさい。。


そしてリオのカーニバルは大本番のエスペシャルに突入~

2011年03月06日 | 南米日記
06Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL

5日夜の続き・・















12チーム中9番目まで見て宿に戻ったのは朝7時前。ずっと雨だったこともあって随分疲れた。



8時から2時間ほど寝て12時過ぎチェックアウト。

ちょっとはリオ観光もしとかないと、と向かったのはコルコバードの丘。チケット売り場で渡されたのは2時間後の15:40発の登山電車だったので空き時間を利用してコパカバーナ海岸へ行くことにしバス停へ戻る。その時後ろから「コージさん!」と呼ぶ声が聞こえたので振り返るとトミーがそこに。ベリーズのキーカーカー、ウシュアイアに続きストーカー並の確立で再会する。

さて時間もないのに乗ってたバスが後ろから車に追突されバスの乗り換えをさせられたり、降りる場所が分からなかったりしながらもコパカバーナのビーチに到着。



曇っていたことと、カーニバル期間中にこんなところで日中起きてる奴らがいるわけないだろ、というわけでそんなに人出もなく写真を数枚撮っただけですぐコスメ・ベーリョに戻る。

15:40登山電車出発。20分ほどで最終駅に到着。126段の階段を上がると海抜709mの頂にはデデーンとテレビや雑誌でやたら目にしたあのキリスト像が目の前に!



丘からはリオの街と海が見渡せ絶景かな。秒単位で霧が出たり引いたりで観光客も写真を取るタイミングにてんやわんやの様子であった。



コルコバードの丘からセントラルまでバスで戻りカーニバル会場へ。セトール11の会場に入るとトミー、モヒはもちろんその隣には、急遽11にしたという相棒のイトコ夫婦の姿があり再会を喜ぶ。しかしどうやって同じ場所に集まったのか他に日本人バックパッカーが10人ほどが陣取っていて1大集団になっていた。(正直ちょっと引いてしまった。リオのカーニバルまできて前も後ろも日本人なんて・・)その後も数名加わる。その中には知ってる顔も。

一昨日、昨日は生憎の雨。今夜は人々の祈りが通じたのか、晴れてはないものの雨が降る様子はなく観戦日和。午後9時花火と共に1つ目のパレードが発進!昨夜のグルーポAとは違うエスペシャルの凄さを見せてもらおう!!












2011リオのカーニバル・グルーポA

2011年03月05日 | 南米日記
05Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL

午前10時電話で目が覚める。主任さんからの電話でお宅にお邪魔することに。主任さん宅は宿から歩いて10分ほどのところにあるマンションで何度もメールでやりとりをさせてもらってたもののお会いするのは今日が初めて。ブラジル人のご主人と温かく出迎えてもらう。そこにはさゆりさんという東京でサンバスクールの先生をしている女性もカーニバルを見に来ていて今夜一緒に見に行きましょうということになった。



夜は長い、体力温存ということで宿に戻り昼寝。

午後8時主任さんのマンションへ行き、9時過ぎさゆりさんと一緒に会場のセトール3へ。この場所はパレードの入口近くということもあってスタート直前の気合がビンビン伝わってくることが感じられるいい場所。リオのカーニバル7度目というプロ(出場したこともあり!)、さゆりさんの詳しい解説付で観戦できる幸運。





天候は生憎の雨にもかかわらず皆カッパ(ブラジルでもカッパと呼ばれてた)を羽織り皆この日を1年待ち続けたかのように楽しんでいた。明日からのエスペシャルはチケット代も高いだろうからもしかしたら地元の人は今日を楽しみにしてる人だって沢山いるんじゃないかと思う。





豪華絢爛キンキラ衣装の人々が大きな山車の後ろに連なる様はホント圧巻でドラムの激しい音に揺れる姿に何度も鳥肌が立った。ああこれが噂に聞くリオのカーニバル。。来て良かった、生きてて良かった。。。