LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

エベレストあらわる!!オールドティングリーへ(写真追加版)

2010年01月21日 | 中国日記
1/21 オールドティングリー

9時半ロビー集合し・・・・へ観光(55元、もう慣れたよ・・)。
20数mの巨大な仏像で有名らしくその建物は参拝者でごったがえしていた。押しくらまんじゅうされながらどうにか参拝。


【よくわかんないけどここに来た】

【参拝者でごった返していた。外人観光客は皆無】


【ガイドのケルサンはここを観光している間にエベレスト地域の旅行証を取ってきていた】

11時エベレストベースキャンプに向け出発。








【とうとう海抜5248m!!】



うたたねからふと目覚めると・・おおおおおおおおおおおおおおおおおおエベレスト!!!全体がはっきりと見えてるわけではないが明らかにエベレスト。12年ぶりくらいの再会。


【エベレスト!エベレスト!エベレスト!エベレスト!エベレスト!】


【Life is GOOOOD!!】



途中、牛とか民家を取るために車を停め写真を撮ってると村人たち大集合!!我も我もとカメラの前に飛び出してくる。ダニーがお菓子を配り始めたものだから子供たち大パニック!!UNか、はたまたサンタクロースか。。



今夜はエベレストベースキャンプで泊まる予定であったが、皆の健康状態がよくないのと天候も良くないということで今夜は明日泊まる予定であったオールドティングリーに泊まり明日早朝ベースキャンプに向け出発しようとケルサンが提案し皆了承。いや、皆ではなかった。私としては頭捥げそうになってもベースキャンプで泊まりたかった。。

オールドティングリー到着。宿は家族経営。宿泊場所は離れで粗末な4畳一間。


【ここがそのデラックスホテル】

【寂しすぎるオールドティングリー】

見た最初の感想は「やばい、ここじゃ凍え死ぬ・・」食堂みたいなところがありそこではヤク糞によるストーブで暖かいので眠たくなるまではそこにいることにした。晩御飯は辛ラーメン。


【チベットにはやたら子犬がいる。大きくなったらまさか・・・】

さてチョモランマ。
町からその裾はどうにか見えるものの上部は厚く雲に覆われていた。雲が抜けないかと何度か外に出てみたものの結局見えずじまいであった。




【雲のすぐ後ろにエベレストが・・いるはず】

高度5000mを超えシガツェ到着。

2010年01月20日 | 中国日記
1/20 シガツェ
朝9時集合。用意されたランドクルーザーに乗り込む。5席に6人なので窮屈。これでネパール国境まで行くことになる。途中スーパーに寄ってもらい食糧を仕入れる。辛ラーメンはこれで4個になった。朝食は包子。

ラサを抜けるとあとはチベット高原の雄大すぎる景色の中をただひたすら走るだけ。蒼すぎる雲ひとつ無い空、茶色い大地、雪をかぶった6,7000m級の山々、緑の湖にただ感嘆のため息をつくのみ。オランダコンビも教えてあげた日本語で「すご~い」と感動している。





途中高度は5000mを超えた。今までの最高地点はヒマラヤ・アンナプルナの4200mだっだから新領域。皆、頭痛に苦しむ。ちょっと素早く行動したりするとあっという間に心臓の鼓動が早くなる。頭痛はサイクル的に襲ってくる。一番きついのが階段。一歩一歩ゆっくりあがっていかないと途中動けなくなる。寺とか宿の階段はほんときつくちょっと上がるだけでハァハァ膝を抱えることになる。(おおげさな様だがホントの話!)




【ヤクお出迎え】

【氷河もお出迎え】

【5000m超えると息も絶え絶えになる】


15:20白居寺(Pelkor Chode Monastery海抜4050m入場料40元)観光。雰囲気のあるお寺だったが、頭痛でちょっと朦朧気味の体に集中力なし。



18時過ぎシガツェ到着。宿はガイドに連れてこられた宿でガイドブックによると3ツ星。宿泊費は100元。なかなかいいホテル。中国に来て以来幸運にもずっといい宿に巡り合っている。

7時半、皆でガイドに教えてもらったホテル横のレストランへ。料理を待っている間に突然停電。ろうそくの灯に照らされながら過去最悪にまずいごはんをいただく。そういえばラサで2日目の昼に教えてもらったラサキッチンもおいしくなかったな。。宿に戻っても当然停電。カードキーも作動せず服務員に開けてもらう。

21:10 停電回復。

今日は常時4000mを超え体にきつかった。ダニーは完全に高山病で3階の部屋に上がるのもつらそうなほど。明日はエベレストベースキャンプ。これ以上体調ひどくならなきゃいいけど。。


【この宿の高度も結構体にきつい・・】

チベット・ラサ最後の夜

2010年01月19日 | 中国日記
1/19 ラサ
夜中明らかに風邪の症状で鼻づまりに苦しみ何度も目が覚める。

シャワーを浴び10:30散歩。宿の周りはいろんな店が出ていて歩いてホント楽しい。ジョカンの周りをぐるっと遠回りに歩き、その後ポタラ宮を超えるところまで歩き宿に戻ってきた。



14:30 ガイドのカルサンさん登場。バスに乗ってラサからは遠くに見えた山のふもとに建つセラ・ゴンパ(色拉寺)までいく。寺までの道のりはストリートショップがでていて歩いて楽しい。





またまた50元の高い入場料を払い内部へ。昨日のジョカンが小さくなった感じのお寺。小さな子供たちは鼻に黒いマークをつけその姿がコアラに見えて可愛い。チベタンはなんかまだ人間の「悪」の部分に毒されて無い感じでとても好感がもてる。

5時過ぎラサに戻ってくる。オランダコンビは明日からの高度に備えて酸素缶を薬局で仕入れていた。宿に着くやダニー頭痛のため離脱。私はだいぶよくなってきたので一人街ブラ。ラサのお土産としてストラップ4個を10元で買って帰ってきた。

19:30 ライトアップされたポタラ宮を見に行く。もう街は店じまいされ人もほとんど歩いていない。まだ午後8時だというのにポタラ宮広場にもほとんど人がなく寂しい感じ。夜のポタラ宮独占!



もう二度と来ることは無いだろうな、と思うと何度も何度も振り返ってポタラ宮にさよならした。



宿に戻るまでの道のり、店という店が閉まっていて、ファーストフードのお店しか開いていなかったのでそこでカレー食べて帰ってきた。チベットの夜は早い。。

明日からネパールに向け出発だ!!体調はかなり良くなってきた。

ラサ・ポタラ宮とジョカンで風邪をひく

2010年01月18日 | 中国日記
1/18 Lhasa

朝、部屋に漂いだしたお香の匂いに気分悪くなる。最初は外でゴミでも焼いてるのかと思ったが実は宿の仕業であった。

10時ロビー集合。オランダコンビは昨日1歩も外に出ることなく休息してたのこと。彼らは成都からずっと海抜より下に住む人間は高度に弱いとしきりにぼやいている。。で、実際に弱いようである。

宿から15分ほど歩いてポタラ宮へ。写真とかテレビで何回もみたあの白い壁がドド~~ンと塊で上から迫ってくる。いきなり目の前に出てこられても、なんか現実感ない感じ。





中に入り、順番に建物の中(撮影不可のため写真なし)を見て回る。ガイドがそれぞれ説明してくれるが、そんな説明はあまり耳に入ってこないほど寒くなってきた。完全底冷え。富士山頂上と同じ高さにいるわけで、当然酸素も薄いだろうし、ちょっと階段なんか上がると心臓がバクバクしているのがわかる。ダニーもファビーも既にかなり弱ってきていた。


【ポタラ宮からラサ市内を見下ろす】



ポタラ宮広場に下りてきたのは3時間後の午後1時半。体調悪いオランダコンビのリクエストでとりあえず一度宿に戻りゆっくりすることにする。特にダニーは頭痛が限界にきてるよう。4人で遅いお昼ごはんをとったあと宿で休憩し午後4時再集合。あげた頭痛薬イブでちょっと復活したダニーも姿を見せた。

昨日も行ったジョカンへ。



入場料(ちなみに85元。ポタラは100元。ちょっと高いんでないの!)払って内部(これまた撮影不可)へ。遅く行ったのが悪かったのかチベタン巡礼者でごった返していた。ガイド曰く彼らはラサから遠く離れたところから自分の村からお金を集めてここまで辿りついた人々で、ここに来て祈りを捧げることを夢にしてきた人達。ただ観光で来て写真撮ってる自分を申し訳なく思った。





建物の外ではマットの上で1日中(数時間の人もいるらしい)マットの上で一心不乱に五体倒置。そんなに祈ることって・・。

パキスタン、ラホールでの10万を超える人たちが一心に祈る姿、イスラエル、エルサレムでの嘆きの壁での姿と宗教は変わっても根本はなにか共通するものがあるな、と思った。宗教とは随分離れたところで生活している日本人にはなかなか理解できるものではないけれど、その姿はやはり何か心を打つものがある。






【ジョカンから遠くにポタラ宮を望む】

さてジョカン内部の人ごみに巻き込まれた頃くらいから一気に体調が悪くなってきていた。朝のどがいがらっぽいなと思いつつ飴玉なめてしのいできたが、ポタラの寒さにとどめを刺されどうやら風邪ひいたみたいだ。高山病に苦しむオランダコンビを横目に俺には関係ね~、とたかをくくっていたが甘かった。ジョカンを出た頃には朦朧としていた。とにかく食べて寝ようとディコスでカレー、ハンバーガーを腹に詰め込み宿に戻り風邪薬を飲み午後7時過ぎには寝袋に入って眠りに落ちた。。相棒も調子悪くなってきているようだ。

3日目。憧れのチベット・ラサに到着

2010年01月17日 | 中国日記
1/17 ラサ
夜中何度か目が覚める。外がどうなっているのか知りたくて脳が勝手に起きてしまうのだ。もちろん外はまだ真っ暗で何にも見えない。
いつからか各ベッド脇に備え付けられている酸素排出口からは酸素が流れ込んでくる音がした。(さわりまくってると私のは止まってしまった)

朝7時起床。外はまだ真っ暗。


【車両連結部分の窓は凍っていた】

8時過ぎてからだんだん明るくなってきてお天気は快晴!





8時半には高度4800mを超え360度見渡す限りの茶色い大草原!!ヤク?うさぎ?羊?等々いたるところで出現。人もちらほら。







お昼はカップヌードル。えび味。昨日のビーフ味と違ってとてもおいしかった。

あ~車窓からの美しい大自然の景色に囲まれてとても幸せな時間は続く。これならあと2,3日は耐えられるな。俺、旅が趣味で本当に良かった。会社辞めてよかった、とは言えないけれどここに来るために会社を辞めざるを得なかったのならそれは正しい決断だったんだろうな、と思う。



そんなことをオランダ人と喋っていたら
ダニー(29歳)「すごく大好きな仕事だったけど、5年間ずっ~と旅に出ることを夢に見ていたから会社を辞めたその日すごく嬉しかった。興奮したことを今でもとてもよく覚えてる。」

そんな彼は2年前結婚した彼女(ファビエンヌ26歳)と中米を6ヶ月旅しこれからアジアを6ヶ月回る計画らしい。いいパートナーが見つかってラッキーである。ま、こっちはなんと10年この旅を夢見てきたんだけどね。俺は日本じゃ少数派かもしれないけど、世界ではちょっと味方多いよ!



ちょっと座席車両を見学に行く。やはり満席であった。トランプに興じる人、食べてる人、寝てる人、騒いでる人・・予想通りのどたばた劇場であった。通路は食べ物のかすにまみれ、車両の連結部分では地べたで寝ている人もいた。3分の1の入りの我が寝台車両は静かな夢の空間である。。

12:58 那曲 到着 ラサはもうすぐ・・

ラサに近づくにつれ建物と人が徐々に増えていく。





16:30、成都から43時間30分かけて遂にラサ到着。真新しい白く巨大な駅がお出迎え。ちょっとイメージしているチベット・ラサとは違うけど。ま、中国の仕業だな。

駅を出るとガイドさんのカルサンさんが待っていてくれた。歓迎の白い布をそれぞれの首にかけてくれた。



車に乗ってホテルに直行。1泊80元(約1100円)の宿だが、これがまた新しい感じの広くてナイスな宿!ここで今日から3泊。

オランダコンビは高山病にやられたらしくホテルでお休み。私たちは荷物を置いて早速ラサを散歩。それでも富士山の頂上と同じ高さのこの街をキビキビ歩くわけにはいかずゆっくりゆっくり街を見て回る。宿近くのジョカン(大昭寺)にはたくさんの巡礼者が熱心に地べたに這って(五体倒置)祈りを捧げていた。





チベタンは日本人にちょっと似ていて親近感がある。肌はちょっと色黒くほっぺは真赤で可愛い。

途中焼き芋を買う。やばうま。

晩御飯は食堂へ。4品(うち1品は誤解から仕方なく・・)頼んだが、米の麺版タンタンメンみたいなのと、チンジャオロースー炒飯、水餃子はうまかった(1つはずれ)。

だんだん頭が重くなってきたので8時過ぎ宿に戻りゆっくりする。

憧れのラサに来ることができて感無量である。マジで嬉しい。嬉しすぎる。・・でも頭痛い。

夢の青蔵鉄道でラサへ。2日目

2010年01月16日 | 中国日記
1/16 成都-ラサ(T22車内)
朝7時を過ぎると少しづつ明るくなってきて山の稜線が薄く見えてきた。前回の北京-成都のときと違って客がいないぶん車内はとにかく静かで快適。


【事前に用意した高山病対策の薬。効くかどうかは分からないがとりあえず飲んどく】

すっかり明るくなると厚く霧がかった中に茶色い土地、素朴な家が後ろに飛んでいく。







この景色に出会うために今までずっと待ってたんだと思うとなんかすごい幸福感。ほんと幸せだな・・としんみりした。

お昼は車内販売の20元お弁当。まあまあ。



13:20蘭州着



食べ終わったら眠たくなってお昼寝。
15:50 西寧着



車窓からの景色を見る以外は以下の4つ以外することは無い。
●お喋り
●ゲーム
●持ってきた食糧を食べあさる
●寝る
18:30頃 日没



19:52 高度3400mを超える


【高度が上がってくるとお菓子もパンパン】

昨夜と同じで22時消灯。明日はとうとうラサに到着することにちょっと興奮しているのかなかなか寝付けず。

成都パンダセンター、そしてラサへ出発

2010年01月15日 | 中国日記
昨夜急遽予約したパンダセンターツアーに行くため8時過ぎ起床。約束の9時に下に降りていくが、ピックアップの車が40分も遅刻!遅刻分を取り戻そうと運ちゃん飛ばしに飛ばし20分ほどでパンダセンター到着。愛くるしいパンダがお出迎え。というより笹の葉食べるのに一生懸命。。







昼過ぎ、宿に戻ると遅刻したお詫びにと20元リファンド。こういう細かいサービスがこの宿が客に好かれる大きな理由なんだろうな。

午後はこれから乗る45時間の列車用食糧の買出し。ずっと乗ってみたかった青蔵鉄道にこれから乗れると思うとホント嬉しい。。。。。

午後7時宿のスタッフ、最後にお菓子までくれたシムさんに別れ。。



ほんとこの宿(Sim’s cozy garden hostel)は最高であった。

嬉しかったこと。

◎バナナとオレンジのウェルカムフルーツがあった。普段こういうのに慣れていない私は感激してしまう。
◎スタッフの笑顔が素敵で親切。言葉悪いが中国ではすごく笑顔に飢えてしまうので必要以上に嬉しくなる。
◎部屋は安くて清潔、居心地抜群。ホステル全体の雰囲気も庭があったりでくつろげる。
◎快適WIFI。夜はいつも部屋でネット。
◎レストランも安くておいしい。
◎オーナー夫妻は親切すぎ。ピックアップが遅れたツアーではリファンド。ラサ行くときは高山病に気をつけて、と水に溶かす薬くれたり、月餅のようなお菓子を最後に持たせてくれたり。。

用は無くてもあと2,3泊ゆっくりしたかった。いままでいろんな国のいろんな宿にお世話になったが、いまんとこ世界一!!(でもなぜか2台ともパソコンがおかしくなった。。)

19時過ぎ、宿の用意した車に乗り込む。20分ほどで成都北駅の近くに到着。駅の建物前にすごい行列。おお、さすが中国、どこでも混雑!と思って見てたら私たちの乗る列車の客たちであった。。なかなか前に進まないな~といらいらしてたら原因は係がIDチェックに時間をかけていたからで私たち4人のパスポート、入境証を1つづつデジカメで撮影しているのであった。閉口。

8時半、ホームにたどり着く。





あんなにいた人たちはほとんど「寝台」ではなく「座席」になだれ、込んだようで寝台車はがらがらであった。3分の1の入りで下段ベッドはうまっているものの中段、上段ベッドは空き。14号車の7,8列の中段に荷物を置いた。ダニー&ファビエンヌはその下でしっかり基地を作り買ったばっかりのニコンの一眼レフ取説を嬉しそうに読んでいた。



午後9時発車。外は真っ暗で光もほとんど無く景色楽しめず。10時過ぎには車内消灯され強制的に眠りにつく。

連日、錦里を散歩。さらばデイパック

2010年01月14日 | 中国日記
約束の朝10時。こっちの宿に越してきたダニー&ファビエンヌのオランダカップルとロビーで再会。ツアーデスクで残りの残金を払う。

昼から昨日も訪れた錦里を散歩。昨日のレストランで食べたラーメンは激ウマ!これで100円とは信じられない。。




【ファーストフード店もこの地区ではこうなる】

いつ買ったかも分からないほど昔から使っているデイパック(すごいお気に入りだが内側のビニールもはがれもうひどく疲れている・・)に代わるバッグを探してアウトドアショップを順番に回る。で、とうとう新物ゲット。

次は17年使っているバックパックを新しいものにしたい!もはや今のものとは背負い心地が全く違うのである。20キロの荷物が30キロに感じてしまうバランスの悪さ。。
(でも思い出が詰まっているものを手放すのは悲しい気分になるのである・・)

晩御飯は初めて泊まっている宿のレストランで。値段も手ごろでおいしくもっと早く利用しておけばよかった。


【2人分500円でこのボリューム】

同行者あらわる。チベット行き決定!!

2010年01月13日 | 中国日記
朝9時半、宿のお姉さんのノックで叩き起こされる。昨日もここの宿に来て私の書いたチベット同行者求む!の貼り紙にメッセージを残してくれたオランダ人カップルが会いに(彼らは他の宿に泊まっている)来てくれたのだ。

会ってみると気のいいカップル。サッカーワールドカップで敵同士だね~(向こうはもちろん日本を敵だと思っていない・・)、の話から始まって打ち解け本題に入る。出発日、旅程等すべてお互いのリクエストに問題なく宿のツアーデスクでそのまま申し込むことに。

当分同行者が見つからないことを覚悟し、近々楽山にビザ延長しに行かないと行けないな、と思っていたので15日出発できることになったのは本当にラッキーであった。なんかすごくほっとした。彼らは明日このホテルで宿泊するということで明日朝10時に再会することを約束。

昨夜からパソコンが起動しなくなる。知識のある中国人スタッフが約1時間もかけて修復に頑張ってくれ完治はしなかったがとりあえずの方法を教えてくれた。黙々と直そうとしてくれる姿に嬉しいやら、申し訳ないやら。。大感謝。

2時過ぎ、清朝時代の街並みを再現した錦里ブラ。



諸葛亮と劉備の祠堂などがある隣の武侯祠博物館はこれまた60元もするのでパス。

錦里近くのレストランで食べた中国デザート湯圓(タンユェン:白玉団子の中にゴマや落花生で味付けされた砂糖が入っているような感じの食べ物)はかなりおいしかった。




【担々麺は辛かった】

世界遺産「青城山と都江堰水利施設」

2010年01月12日 | 中国日記
朝9時半過ぎ、日野さんと2人、旅遊バスセンターに行き青城山行きバスに乗る。1時間後、目的地につく直前おばさんがバスに乗り込んできて「私たちと行けば入場料90元のところ45元で入れるよ(通訳:日野さん)」とでかい声で車内勧誘。ほとんど全員がバスを降り用意された車に乗り換えどことも知れないところに連れて行かれた。

ここの観光地はリフトで往復して終わり、だと思っていたのに、昨日ほとんど寝ていない体にはきつすぎる上り階段の心臓破れそうなスーパーハード登山がいきなり始まる。汗だらだら。途中まで自分たちがどこにいるかも分からないまま山中を彷徨う。こんなはずではなかった・・ただその思いだけが頭をよぎる。。



どうやら后山で降ろされ1時間くらい歩き、途中で前山に入ったことを知りほっとする。後から知ったがリフトは休業中、頂上付近の寺は修復中で一体ここに何しに来たのかよく分からないまま疲労した足を引きずりここをあとにするはめに。。



青城山からバスで都江堰へ。90元(中国はやたら入場料が高い!ツアーのほうが安いような)の入場料をケチり私一人外で日野さんの帰りを待つことに。幸い都江堰の周りは散歩するのに楽しい町並みであっという間に時間が過ぎた。



午後6時中国版電動トゥクトゥクでバスセンターに行き成都行きバスに乗り換えタクシーで宿に戻る。

日野さん今夜が最後の晩餐ということで陳麻婆豆腐で夕食。その後マッサージに行き本日の登山の疲れをとる。1時間25元の全身マッサージはサイコーに気持ちよかった。爆睡。

日野さん、おかげで楽させてもらいました。中国語ができると100倍中国楽しそう。羨ましい限り。いろいろお世話になりました。日本に帰ったら死ぬほど働いてください(笑)