歳を重ね、ある程度の状態になると次第に食事を受け付けなくなってきます。
当然、低栄養になり、全身が衰弱をし始めます。
人々はこの状態を「老衰」と呼び、あたかも自然現象のように捉え、受け容れてきました。
ところが、近頃この「老衰」という言葉をあまり目にしなくなりました。
新聞やテレビの死亡記事を見ても、90歳を過ぎても必ず病名が付いています。
ということは「病死」になるわけで、病気だったら「まだ良くなったハズ」という発想に繋がっていきます。
老人ホームに四年半勤めてみて、「人の死は自然の営みである」と強く実感するようになりました。
でも、ホーム側は、よほどでない限り「最後は病院で迎えて欲しい」と思っています。
なぜなら「トラブル」が怖いから…。
もちろん、病院側はあまり受け入れたくありません。
そこで、瀕死の高齢者の押し付け合い…というようなことが容易に起りえます。
私は多くを語ることはできませんが、社会全体が、あんまりビクビクしないで「自然死」を受け容れることが出来るようになれば良い…と願っています。
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でも、ホーム側は、よほどでない限り「最後は病院で迎えて欲しい」と思っています。
なぜなら「トラブル」が怖いから…。
もちろん、病院側はあまり受け入れたくありません。
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