民話における山姥ではなく、芸能における山姥について。
日本舞踊で山姥というと、「地味」なんですね。
日本舞踊を習っている人が、「今度舞台で山姥やりたいです!」っていうのはあまりないでしょうし、日本舞踊を見に来られた方が「山姥」をご覧になって「わあ、日本舞踊って素敵!」と思われることもあまりないでしょうし…。
しかし、「山姥」という曲にはある種の重さが感じられます。それは、「山姥」という曲が背負っている山姥ものの系譜というバックグラウンドの大きさを、なんとなく知っていることと関係しているのだと思います。
安珍清姫伝説という祖先があり、道成寺ものという一族の繁栄する中で日本舞踊家の代表選手が「娘道成寺」であるように、山姥もの一族の代表選手が常磐津の山姥(薪荷雪間市川)なのでしょうが。
しかし、安珍清姫~日高川~後日譚としての道成寺…というのは、それなりにつながるのですが、「山姥」の系譜の始まりの物語というのが何ともわかりにくい。お能というのは芸能の系図においては大体ご先祖さまの方にいらっしゃる訳ですが、お能の「山姥」にでてくる山姥には「存在」はあれども「物語」がない。理屈で納得しないと分かった気になれない人間にはなかなかとっかかりがない訳です。
日本舞踊で山姥というと、「地味」なんですね。
日本舞踊を習っている人が、「今度舞台で山姥やりたいです!」っていうのはあまりないでしょうし、日本舞踊を見に来られた方が「山姥」をご覧になって「わあ、日本舞踊って素敵!」と思われることもあまりないでしょうし…。
しかし、「山姥」という曲にはある種の重さが感じられます。それは、「山姥」という曲が背負っている山姥ものの系譜というバックグラウンドの大きさを、なんとなく知っていることと関係しているのだと思います。
安珍清姫伝説という祖先があり、道成寺ものという一族の繁栄する中で日本舞踊家の代表選手が「娘道成寺」であるように、山姥もの一族の代表選手が常磐津の山姥(薪荷雪間市川)なのでしょうが。
しかし、安珍清姫~日高川~後日譚としての道成寺…というのは、それなりにつながるのですが、「山姥」の系譜の始まりの物語というのが何ともわかりにくい。お能というのは芸能の系図においては大体ご先祖さまの方にいらっしゃる訳ですが、お能の「山姥」にでてくる山姥には「存在」はあれども「物語」がない。理屈で納得しないと分かった気になれない人間にはなかなかとっかかりがない訳です。
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