暖かかったので、駐車場の車に上着はおいたまま。
びわ湖ホールに大津シンフォニックバンド第53回定期演奏会を聞きに行ってまいりました。
プログラムはこちらです。
Ⅰ部
ロシアのクリスマス音楽 (アルフレッド・リード)
「神曲」(交響曲第1番) (ロバートW.スミス)
Ⅰ 地獄篇
Ⅱ 煉獄篇
Ⅲ 昇天
Ⅳ 天国篇
Ⅱ部
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30 序奏 (リヒャルト・シュトラウス)
組曲「惑星」作品32 (グスターヴ・ホルスト)
Ⅰ 火星-戦争をもたらす者
Ⅱ 金星-平和をもたらす者
Ⅵ 天王星-魔術師
Ⅳ 木星-快楽をもたらす者
アンコール
千の風になって
ホワイト・クリスマス
威風堂々
「神曲」は初めて聞きましたが、演奏者が歌ったり(ちゃんとハモる)、足音を立てたり(それも足を出したり引いたり鳴らしたり動きにキマリがありそう)、生で聞いて面白い曲でした。ソロも聴かせどころが多く、演奏効果が計算された曲やなーと思ったわけですが、作曲者の計算を現実に音に出来るところがOSBのスゴイところです。
例によってギリギリにやってきたので席は4階。音を聞くだけなら遠くても構わないのですが、「神曲」のように何か始めはると「何してはるんやろー」と気になって仕方がありません。次はある程度近いとこで聞けるように早よいこ。
今日の注目はⅠ・Ⅱ部ともひな段最上段の真ん中にセッティングされていたティンパニ。Ⅰ部は1人で6個、Ⅱ部は2人で8個のティンパニを演奏されていました。
ティンパニって大きい楽器です。あんなナベを6個も並べようものなら、奏者からすると相当遠くにある的をたたきにいくことになります。奏者と楽器の距離が遠い楽器なわけなんですね。
ところが、今日のティンパニは、奏者の身体の一部のような感じでして…。
「ティンパニのばち」が奏者の身体の一部みたい、なんじゃないですよ。
自分の手と手を合わせるように、自分の膝を自分の手で打つように、ティンパニを演奏してらっしゃるような感じがしたのです。
スゴイです…。
ティンパニに限らず、OSBのパーカッションを聞いていると、某県知事さんのキャッチフレーズである「もったいない」という言葉を思い出します。「勿体」とは物事の本質。「もったいない」とは、「物事の本質が損なわれると心惜しい」ということ。同じ楽器でも、例えばわたしなんかが鳴らそうものなら「本質が損なわれた」音がしちゃうわけで、もう、むちゃくちゃもったいない!ことになってしまうわけです。打楽器は単純な構造のものが多いだけに、そこから素晴らしい音を出す技術への驚きはいつも新鮮。「楽器の本質が損なわれずに音になって耳に届いてくるので心憎い」といったところでしょうか…。
びわ湖ホールに大津シンフォニックバンド第53回定期演奏会を聞きに行ってまいりました。
プログラムはこちらです。
Ⅰ部
ロシアのクリスマス音楽 (アルフレッド・リード)
「神曲」(交響曲第1番) (ロバートW.スミス)
Ⅰ 地獄篇
Ⅱ 煉獄篇
Ⅲ 昇天
Ⅳ 天国篇
Ⅱ部
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30 序奏 (リヒャルト・シュトラウス)
組曲「惑星」作品32 (グスターヴ・ホルスト)
Ⅰ 火星-戦争をもたらす者
Ⅱ 金星-平和をもたらす者
Ⅵ 天王星-魔術師
Ⅳ 木星-快楽をもたらす者
アンコール
千の風になって
ホワイト・クリスマス
威風堂々
「神曲」は初めて聞きましたが、演奏者が歌ったり(ちゃんとハモる)、足音を立てたり(それも足を出したり引いたり鳴らしたり動きにキマリがありそう)、生で聞いて面白い曲でした。ソロも聴かせどころが多く、演奏効果が計算された曲やなーと思ったわけですが、作曲者の計算を現実に音に出来るところがOSBのスゴイところです。
例によってギリギリにやってきたので席は4階。音を聞くだけなら遠くても構わないのですが、「神曲」のように何か始めはると「何してはるんやろー」と気になって仕方がありません。次はある程度近いとこで聞けるように早よいこ。
今日の注目はⅠ・Ⅱ部ともひな段最上段の真ん中にセッティングされていたティンパニ。Ⅰ部は1人で6個、Ⅱ部は2人で8個のティンパニを演奏されていました。
ティンパニって大きい楽器です。あんなナベを6個も並べようものなら、奏者からすると相当遠くにある的をたたきにいくことになります。奏者と楽器の距離が遠い楽器なわけなんですね。
ところが、今日のティンパニは、奏者の身体の一部のような感じでして…。
「ティンパニのばち」が奏者の身体の一部みたい、なんじゃないですよ。
自分の手と手を合わせるように、自分の膝を自分の手で打つように、ティンパニを演奏してらっしゃるような感じがしたのです。
スゴイです…。
ティンパニに限らず、OSBのパーカッションを聞いていると、某県知事さんのキャッチフレーズである「もったいない」という言葉を思い出します。「勿体」とは物事の本質。「もったいない」とは、「物事の本質が損なわれると心惜しい」ということ。同じ楽器でも、例えばわたしなんかが鳴らそうものなら「本質が損なわれた」音がしちゃうわけで、もう、むちゃくちゃもったいない!ことになってしまうわけです。打楽器は単純な構造のものが多いだけに、そこから素晴らしい音を出す技術への驚きはいつも新鮮。「楽器の本質が損なわれずに音になって耳に届いてくるので心憎い」といったところでしょうか…。