alla marcia

こはぜの覚え書き

県民による県民のための☆ザ・デビュー!男の料理教室 その3

2010-10-18 22:00:24 | 見にいきました
 滋賀県民=滋賀作=田舎もん。
 滋賀県の県民性については、「がめつい近江商人」という全国的に流布したイメージよりも、実情をよく知る近隣の府県の方から得ている「ただの地味な田舎もん」という評価のほうが、的を射ているように思います。
 その大人しい滋賀県民が、何の因果でミュージカル・・・と思わないでもなかったのですが、よくよく思えば、実は「田舎もん」は「演技」と近しい関係にあるのです。
 田舎の生活は「演技」に満ちています。
 滋賀県に多い兼業農家なんかは特にそうではないでしょうか。背広を着て会社行って仕事して、週末は大真面目に(大真面目な顔で?!)紋付を着て神社のお祭で練り歩いてたりするわけです。パソコンで仕事している人間が、オコナイ神事のために精進潔斎したりする。背広着てディスプレイに向かってるのがA氏の正体だとすれば、神妙にふんどしで裸参りしているA氏は、演じられた“敬虔な氏子”のA氏なのではないでしょうか。
 意識的にも、無意識のうちにも、日常の自分と異なる自分を演じている。なかには、あの日常と田舎の祭祀や習慣との落差を、一貫した人格として消化して飲み込んじゃえる人もいるかもしれませんが、ふつうは難しいのではないかと思います。
 つまり、田舎もんというのは、演じることに慣れているとともに、演じることによって世界は増えるということを知っている蓋然性が、都会人より多いのではないかと思うのです。田舎もんの底力を発揮するには、ミュージカルという選択はまことに適切であった、と。
 
 さて、公演のチラシには「県民による県民のためのミュージカル」とありました。
 これがまた、難しいのですよね。
 きっと、この公演は、平田オリザ先生あたりから続く、「文化で滋賀を元気に!」の流れの中にあるのでしょう。
 地縁血縁、仕事や学校といった固定の度合いの高いコミュニティでない、ルールの緩やかなコミュニティ。人間をつなぐ多様な網の目のひとつとしての芸術文化・・・という意味づけは、あまりに芸術文化の一面を強調しているようで私にはいかがわしく思えるものの、その意義は実感として分かるような気がします。

 けれど、数十人のキャスト、3回の公演、2、3千人の観客の得たものを、140万県民にどう返していくのかと問われると難しい。
 実は、「そんな問いがおかしい!返す返さんっちゅー問題やない!」とむしろ逆ギレ気味に反論するのが正解なのかもしれませんが、主催者自ら「県民による県民のための」と銘打っている以上、なんらかの説明責任を果たしていくのが税金が入っている催しの宿命でもありましょう。
 客席を見ても、公募で集まったという舞台上の方々を拝見しても、“板の上”“緞帳のこっち”にはすばらしいものがあるぞということをすでに知っている人間が多いように思いました。これからは、そういう層の方々以外に、どのようにコミュニケーションをとっていくのか、というところではないでしょうか。
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