alla marcia

こはぜの覚え書き

少女はオトナになりました♪歌劇「サロメ」(つづき)

2008-10-18 21:35:10 | 見にいきました
 ヴェルディのオペラ「椿姫」の初演は失敗だったと言われています。
 つまりは酷評されたのでしょう。
 それでも今では押しも押されぬ人気曲ですよね。

 批評家も一般の聴衆も、いいと思ったら賞賛し、よくないと思ったら酷評する。
 その積み重ねが、聴く側・観る側にとってのオペラの歴史になり、いろんな芸術を内包して深まりゆくその地の文化になっていくのだと思います。
 ヨーロッパでは、厳しい批評に晒されるという前提で、思い切った演出が板に乗っているのでしょうね。
 滋賀の田舎レベルではなく、世界基準を念頭に、思い切った演出を舞台にかけた(それもおそらく多くを税金で)びわ湖ホールに対しては、わたしたち観客の方も、無口でおとなしい滋賀の田舎者のレベルではなく、世界基準で褒めちぎったり口を極めてののしったりするのが礼にかなっているように思います。
 そして賛否両論の渦の中から、新しいもの、よりよいものが生まれていけばよいのだと思うのですが・・・。

 さて、今回の「サロメ」に対する評価を、中のヒトはどう受け止め、どう返していかれるのでしょうか。

 普段は芸術の世界の論理の中にいらっしゃるのでしょう。
 そして時に、「金がないからびわ湖ホールをやめちまえ」という方々からの攻撃を受けるのでしょう。
 敵か、味方か。両極端の相手との対話には慣れていらっしゃるかも知れませんが、サイレント・マジョリティはときに劇場に足を運び、ときに感動し、ときに「意味わからん。眠い。」と思い、ときに「なにこれ~!」と思いながらも黙っているわけです。っていうか、ほんまのマジョリティは劇場にまで足を運びもしませんけどね。
 いつもなら黙っているけれど、いまいちやなあと思ったとしても「よかったです」とお茶を濁しているけれど、やっぱり今回はちょっとがっかりしたからアンケートにもちょろっと書いみた。そんな方が今回はおられるのではないでしょうか。わたしがそうだから言うだけなんで、説得力はあまりないんですけど・・・。
 だから、びわ湖ホールには、そういうマイナスの評価も受けて立っていってほしいと切に願います。客席のもやもやをなかったことにして、「公演は成功を収めた」とは断言してほしくない。
 いくつか「サロメ」の感想を書いてらっしゃるblogを回ってみましたが、演出がよくなかったというご意見はやはりありましたね。オペラ素人だけではなく、オペラファンの中にも「あれはどうか」とおっしゃってる方はいらっしゃるようです。
 そりゃー、当たり外れもあって当たり前やん、舞台なんてナマモンやもん。なんでも大成功やっていう方がコワい。大政翼賛会的にコワい。
 そのうち、いろんなところでこの演出での上演が成功して、制作したびわ湖の株がぐぐんと上がるようなことがあるかもしれません。その暁には、初演の際に「地方の劇場で上演されたため、オペラを見慣れていない一部の観客にはこの演出は受け容れ難かったらしく、必ずしも成功を収めたとはいえなかった」くらいのオマケがついても何の恥にもならないはずです。

 われながら、「サロメ」に関してはblogの記述がずいぶんと荒れてしまいました。お見苦しく、申し訳ありません。
 びわ湖ホールのファンであり、今後もオペラの制作・上演という活動が続けられるよう願っているあまり、「こんなことではびわ湖やめちまえ派に批判の好材料を与える」と無駄にハラハラしてるせいなのです。他意はありません。
 まあ、筆不精にこれだけ長文をかかせるだけの気力をもたらしたのですからとりあえずあの「サロメ」のパワーも中々のものだとはいえるかも知れません。公共ホールの使命について、芸術文化のバランス感覚について、いろんなことを考えさせてくれた公演でした。
 そして、大事なことを書き忘れましたが、とてもすばらしい演奏だったと思うのです、「サロメ」。あの音楽が生で聴けただけでも、わたしにとっては値打ちがありました。
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少女はオトナになりました♪歌劇「サロメ」(つづく)

2008-10-18 08:57:15 | 見にいきました
 今頃遅いのですが京都新聞に、沼尻芸術監督と演出家カロリーネ・グルーバーさんが、作品の見所を語ってらっしゃる記事を見つけました。10月6日の「湖国のオペラ・サロメ誕生へ びわ湖ホールで12日上演」という記事です。

 沼尻さんは、今回の上演にサロメを選んだ理由について、「『音楽が素晴らしい。20世紀のオペラの最高傑作」と説明する。』とともに、「親子の関係性など、時代を超えて今に通じるテーマや感情の表現に『みんな自分に似たものを見てドキッとする』」とおっしゃっています。
 その上で、「今作の特徴の一つは『演出の重視』だ。」とも。
 そして、演出のカロリーネさんは「『サロメは怪物ではない。愛されず、虐げられて育った子どもがどうなったのか。内面の変化を描きたかった」』とおっしゃってます。(「」内は京都新聞)
 記事中には、「立ちげいこ中のリハーサル室に入ると、たくさんのおもちゃや遊具などの小道具が目に入った。」とか「少女を象徴する小道具やセット、衣装も注目だ。」とか、今思えば演出についての大きなヒントになるような記者氏の言及がありました。

 ふーん。

 わたしはオペラ1年生です。
 今回の公演を通じて得た教訓は、オペラってのは音楽(曲・歌詞)は一定であるけれども、見た目(演出)は公演ごとに激しく異なるものらしい、ということです。
 序曲や間奏曲やでお馴染みの(元ブラバン少女ですから…)あのフレーズを生で歌付きで聞けるんや!という期待を胸に劇場に行くのは間違いではないけど、オペラの入門本の解説やら写真やらを見て、「こういうもんがみられるんや」と期待していくのは、どうやら間違ってるらしい、と。

 うん。ひとつオトナになった。これでわたしもオペラ2年生や!

 しかし、だからこそ思います。
 そういう、「今回はこういう演出ですよ」っていうご案内が、事前にもっとあってもいいじゃないですか。チラシやポスターからは、まさかあんなことになるなんて想像もできませんでしたよ。
 「カロリーネ・グルーバーなんやから、一筋縄でいかへんのに決まってる。それを楽しみにびわ湖まで行くのに、ネタバレなんて無粋のきわみやん。」っていうご意見もあるかもしれない。でもそれって、オペラ愛好家の感覚ですよね。
 バランスの問題に正解を示すのは困難ではありますが、常に“県民感覚 as a taxpayer”とのバランスを問われ、傍目にはまさに危急存亡の秋を迎えているように見える贅沢ホールとしては、なんとも脇の甘いバランス感覚に思えるのです。

 記事のつづきで、沼尻氏は「劇場文化には『何千年も継承されてきた強さがある』」と語ってらっしゃいます。「『オペラも音楽も単なる娯楽ではなく、思いを巡らすもの』」だそうです。さらに「カロリーネさんは『先入観を持たずに見てほしい。決して退屈させない』と自信を見せている。」とのこと。(「」内は京都新聞)

 いやまあ、沼尻先生のおっしゃるとおりだと思いますが。あるいはそうあってほしいと思いますが。
 公演前に居酒屋で気炎をあげてる場面じゃないんですからね。オペラファンむけの雑誌の取材じゃなくって、「びわ湖ホールにかける金があったら福祉にまわせ」という論調になりがちな一般人が読む新聞の取材ですから。
 アルコールの入ってない人間がここまで自信満々というのは正直引いてしまいます。(←いやいやこれはさすがに言い過ぎましたが
 ま、芸術家さんはこうでなきゃやってけないでしょうけど、新聞記事として読むとちょっとこれは勢いありすぎでは…と。
 だいたい、この記者さんもなんだかあからさまに「びわ湖シンパ」なんとちゃうやろかと感じられてしまいます。日経の文化面ならこんな感じかなと思うのですが、京都新聞の読者のことを考えるとどうなんでしょう。御用記事みたいな調子でなく、「わしの払た税金で何しよんねん」という懐疑的な視点も持っていた方が、バランスがいいように思うのですが…。


 わたしの引用の仕方で誤解を招くとアレなんで、一応記事のリンクを貼っておきます。(そのうち切れるかもしれません)

 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008100600025&genre=M1&area=S10
 
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沼尻竜典オペラセレクション 歌劇「サロメ」全1幕

2008-10-14 21:26:07 | 見にいきました
 一見、何じゃこりゃ?というか、いやいや、オペラに造詣の深い方がご覧になったらこれも素晴らしいと言わはるんやろか?というか。
 今回の「サロメ」はそんな舞台でした。



 ちょっと変わった演出だったんです。
 オレンジリボンキャンペーン協賛企画ではないのでしょうが、劣悪な家庭環境に育った王女サロメが、幸せな家族の夢想に遊びつつ、シリア人隊長を殺し、小姓を殺し、ヨカナーンの首を求める…という趣向。サロメの魂を象徴する少女がすべり台やら砂場やらで遊ぶ同じ舞台で進行する、ヘロデ王と王妃ヘロディアスによる「子どもを傷つける親の行動」の見本市。なんというか、エログロ両面に容赦なし!なんですね…。
 ま、オペラって時にホンマに変わった演出をしはることがあるようなので、こんなもんなんかもしれませんけど。

 歌舞伎やお能の海外公演で、「素晴らしい!」なんて評を見ると絶対リップサービスやと思っていましたが、オペラを見るようになって、アチラの方々の演出に対する懐の深さのようなものをつくづく感じ、意外とホンマに感動してくれてはるのんかもしれへんな~と思うようになりました。あれだけいろんな演出のものを受け入れて消化する胃袋の強さがあれば、「勧進帳」でも「安達ヶ原」でもおいしく頂けちゃうのかもしれませんね。

 しかしそれは海の向こうの観巧者たちの話です。ここは極東、琵琶湖のほとり。
 
 人並みの消化器官しかそなわっていない“滋賀作”のわたしは思います。ああ、曲だけなら知ってる「7つのヴェールの踊り」、オペラの舞台ではどんなんやろ?と楽しみにしてたのにな…と。
 むっちゃ消化不良です。
 東京や大阪に住んでる訳でもなく、オペラのために飛行機や新幹線に乗ってもいられない一庶民。生涯にもう一度生で「サロメ」の舞台を見られるかどうかわからない人間が見る「サロメ」の「7つのヴェールの踊り」が、なんでヘロデとサロメのバドミントンやないとアカンのか。

 これは、きっと選ばれしオペラ愛好家のための作品です。
 140万県民のための作品ではありません。
 「サロメ」はホールの主催事業とのこと。つまりは税金が入っているのでしょうか。チケットは1万円台と、オペラとしては随分お買い得。けれど、こんな風な作品だったら、まるまる観客に負担を転嫁して、是非ともこういうものが見たい愛好家の方に、大枚はたいて見ていただいたらええんとちゃうん!?と、つい思ってしまいます。

 びわ湖ホールは常に「こんなもん、税金の無駄遣いや!」という厳しい県民の目に晒されています。
 中の人は、どっちを向いているのでしょうか。芸術家にいい顔をしようとしすぎてはることはないでしょうか。オペラの世界の中の「びわ湖の評価」ばかりを気に掛けていることはないでしょうか。
 世界で評価されるホールがあることが県民の誇りとなる…という考え方もあるのかもしれませんが、それならば、それ相応の覚悟と熱意をもって、その意図を説明しなければならないのではないでしょうか。
 今は芸術にとって厳しい時代であり、公共ホールにとって厳しい時代でもあります。音楽ファンではない一般の県民に、説明ができなければならないのは当然のことですよね… 。


***追記***

 「サロメ」の感想を書いてらっしゃるblogの中に「リンクもご自由に」と書いてくださっているblogがありました。拝読して初めて、「ああーそやったんか~」ってことも多かったです。
 こちらの駄文のお口直しに是非ご一読ください。

 庭は夏の日ざかり
コメント (4)
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