ヴェルディのオペラ「椿姫」の初演は失敗だったと言われています。
つまりは酷評されたのでしょう。
それでも今では押しも押されぬ人気曲ですよね。
批評家も一般の聴衆も、いいと思ったら賞賛し、よくないと思ったら酷評する。
その積み重ねが、聴く側・観る側にとってのオペラの歴史になり、いろんな芸術を内包して深まりゆくその地の文化になっていくのだと思います。
ヨーロッパでは、厳しい批評に晒されるという前提で、思い切った演出が板に乗っているのでしょうね。
滋賀の田舎レベルではなく、世界基準を念頭に、思い切った演出を舞台にかけた(それもおそらく多くを税金で)びわ湖ホールに対しては、わたしたち観客の方も、無口でおとなしい滋賀の田舎者のレベルではなく、世界基準で褒めちぎったり口を極めてののしったりするのが礼にかなっているように思います。
そして賛否両論の渦の中から、新しいもの、よりよいものが生まれていけばよいのだと思うのですが・・・。
さて、今回の「サロメ」に対する評価を、中のヒトはどう受け止め、どう返していかれるのでしょうか。
普段は芸術の世界の論理の中にいらっしゃるのでしょう。
そして時に、「金がないからびわ湖ホールをやめちまえ」という方々からの攻撃を受けるのでしょう。
敵か、味方か。両極端の相手との対話には慣れていらっしゃるかも知れませんが、サイレント・マジョリティはときに劇場に足を運び、ときに感動し、ときに「意味わからん。眠い。」と思い、ときに「なにこれ~!」と思いながらも黙っているわけです。っていうか、ほんまのマジョリティは劇場にまで足を運びもしませんけどね。
いつもなら黙っているけれど、いまいちやなあと思ったとしても「よかったです」とお茶を濁しているけれど、やっぱり今回はちょっとがっかりしたからアンケートにもちょろっと書いみた。そんな方が今回はおられるのではないでしょうか。わたしがそうだから言うだけなんで、説得力はあまりないんですけど・・・。
だから、びわ湖ホールには、そういうマイナスの評価も受けて立っていってほしいと切に願います。客席のもやもやをなかったことにして、「公演は成功を収めた」とは断言してほしくない。
いくつか「サロメ」の感想を書いてらっしゃるblogを回ってみましたが、演出がよくなかったというご意見はやはりありましたね。オペラ素人だけではなく、オペラファンの中にも「あれはどうか」とおっしゃってる方はいらっしゃるようです。
そりゃー、当たり外れもあって当たり前やん、舞台なんてナマモンやもん。なんでも大成功やっていう方がコワい。大政翼賛会的にコワい。
そのうち、いろんなところでこの演出での上演が成功して、制作したびわ湖の株がぐぐんと上がるようなことがあるかもしれません。その暁には、初演の際に「地方の劇場で上演されたため、オペラを見慣れていない一部の観客にはこの演出は受け容れ難かったらしく、必ずしも成功を収めたとはいえなかった」くらいのオマケがついても何の恥にもならないはずです。
われながら、「サロメ」に関してはblogの記述がずいぶんと荒れてしまいました。お見苦しく、申し訳ありません。
びわ湖ホールのファンであり、今後もオペラの制作・上演という活動が続けられるよう願っているあまり、「こんなことではびわ湖やめちまえ派に批判の好材料を与える」と無駄にハラハラしてるせいなのです。他意はありません。
まあ、筆不精にこれだけ長文をかかせるだけの気力をもたらしたのですからとりあえずあの「サロメ」のパワーも中々のものだとはいえるかも知れません。公共ホールの使命について、芸術文化のバランス感覚について、いろんなことを考えさせてくれた公演でした。
そして、大事なことを書き忘れましたが、とてもすばらしい演奏だったと思うのです、「サロメ」。あの音楽が生で聴けただけでも、わたしにとっては値打ちがありました。
つまりは酷評されたのでしょう。
それでも今では押しも押されぬ人気曲ですよね。
批評家も一般の聴衆も、いいと思ったら賞賛し、よくないと思ったら酷評する。
その積み重ねが、聴く側・観る側にとってのオペラの歴史になり、いろんな芸術を内包して深まりゆくその地の文化になっていくのだと思います。
ヨーロッパでは、厳しい批評に晒されるという前提で、思い切った演出が板に乗っているのでしょうね。
滋賀の田舎レベルではなく、世界基準を念頭に、思い切った演出を舞台にかけた(それもおそらく多くを税金で)びわ湖ホールに対しては、わたしたち観客の方も、無口でおとなしい滋賀の田舎者のレベルではなく、世界基準で褒めちぎったり口を極めてののしったりするのが礼にかなっているように思います。
そして賛否両論の渦の中から、新しいもの、よりよいものが生まれていけばよいのだと思うのですが・・・。
さて、今回の「サロメ」に対する評価を、中のヒトはどう受け止め、どう返していかれるのでしょうか。
普段は芸術の世界の論理の中にいらっしゃるのでしょう。
そして時に、「金がないからびわ湖ホールをやめちまえ」という方々からの攻撃を受けるのでしょう。
敵か、味方か。両極端の相手との対話には慣れていらっしゃるかも知れませんが、サイレント・マジョリティはときに劇場に足を運び、ときに感動し、ときに「意味わからん。眠い。」と思い、ときに「なにこれ~!」と思いながらも黙っているわけです。っていうか、ほんまのマジョリティは劇場にまで足を運びもしませんけどね。
いつもなら黙っているけれど、いまいちやなあと思ったとしても「よかったです」とお茶を濁しているけれど、やっぱり今回はちょっとがっかりしたからアンケートにもちょろっと書いみた。そんな方が今回はおられるのではないでしょうか。わたしがそうだから言うだけなんで、説得力はあまりないんですけど・・・。
だから、びわ湖ホールには、そういうマイナスの評価も受けて立っていってほしいと切に願います。客席のもやもやをなかったことにして、「公演は成功を収めた」とは断言してほしくない。
いくつか「サロメ」の感想を書いてらっしゃるblogを回ってみましたが、演出がよくなかったというご意見はやはりありましたね。オペラ素人だけではなく、オペラファンの中にも「あれはどうか」とおっしゃってる方はいらっしゃるようです。
そりゃー、当たり外れもあって当たり前やん、舞台なんてナマモンやもん。なんでも大成功やっていう方がコワい。大政翼賛会的にコワい。
そのうち、いろんなところでこの演出での上演が成功して、制作したびわ湖の株がぐぐんと上がるようなことがあるかもしれません。その暁には、初演の際に「地方の劇場で上演されたため、オペラを見慣れていない一部の観客にはこの演出は受け容れ難かったらしく、必ずしも成功を収めたとはいえなかった」くらいのオマケがついても何の恥にもならないはずです。
われながら、「サロメ」に関してはblogの記述がずいぶんと荒れてしまいました。お見苦しく、申し訳ありません。
びわ湖ホールのファンであり、今後もオペラの制作・上演という活動が続けられるよう願っているあまり、「こんなことではびわ湖やめちまえ派に批判の好材料を与える」と無駄にハラハラしてるせいなのです。他意はありません。
まあ、筆不精にこれだけ長文をかかせるだけの気力をもたらしたのですからとりあえずあの「サロメ」のパワーも中々のものだとはいえるかも知れません。公共ホールの使命について、芸術文化のバランス感覚について、いろんなことを考えさせてくれた公演でした。
そして、大事なことを書き忘れましたが、とてもすばらしい演奏だったと思うのです、「サロメ」。あの音楽が生で聴けただけでも、わたしにとっては値打ちがありました。