長浜に用があったのですが、昼間2時間ほどの空き時間。「今やっ」とばかり車に飛び乗り、彦根城博物館へ。国宝の備前刀を一目見に走ってまいりました。
彦根城博物館は初めてです。正直、博物館自体にはさして期待せずに行ったのですが、どうしてどうして。スリッパに履き替えてすぐの彦根屏風(レプリカ)にいきなり立ち止まってしまいました。しかし、ゆっくり見ている場合ではありません。有料駐車場が400円に入館料が800円、もったいないとは思いますが、なんせこっちは2時までに戻らなあかん!とりあえず、初めの展示室の刀の前に直行です。
今回林原美術館からやってきたのは太刀四振り。拵えも一つ展示されていました。うち国宝は二振りで、「銘吉房」と「銘備前国長船住左近将監長光造」。あとの二つは重文の「銘正恒」と重要美術品の「銘延房」。恭しくガラスケースに収まっておりました。
刀の前のガラスに丸い曇りができているのがご愛敬。
気持ち分かりますよ。顔近づけてじーっと見てしまったんでしょうね。
正真正銘、鉄のかたまりなのですが、鉄というのはこんなにきれいになるのだということにまずおどろきました。そして、どれもよく似ているのです。平安・鎌倉時代の刀を展示しているこのガラスケースに、平成の刀匠が打たれた刀が並んでいても、私の目には「よく似ている」と写るのでしょう。
もちろん細かいところは違うのです。地肌まではよく見えませんが、刃文の入りかたがゆったりしてたりイレギュラーだったりなんていうのは素人目にもそれなりに違うな、と思えるのです。
しかし、基本的な刀の形はおんなじ。きらきらでもぴかぴかでもない森閑とした光のいろも、手に取らずに見ているだけでも感じられる重さも、人間を斬ったはずなのに血のにおいの感じられないニュートラルな存在感も、よく似ています。
およそ千年もの間、刀とはどうあるべきかという理想像すら、違いながらも内奥では同じものだったのではないでしょうか。
そしてその理想を体現するための技術が、刀が刀として実用に供されることがなくなった今でも伝えられていることがまたすごいですね。
ゆっくり見る時間がなくて残念でした。
蒔絵の金色の波の一筋一筋までに神経が行き届いていること。
具足の糸の色の取り合わせの繊細なこと。
ちらちら見ながらほほうと感心し、帰りは彦根長浜間を高速にのって600円払い、なんとか2時に間に合いました。細かい散財をした一日でした。オトナやもん。まあ、許されるささやかな贅沢かな。
彦根城博物館は初めてです。正直、博物館自体にはさして期待せずに行ったのですが、どうしてどうして。スリッパに履き替えてすぐの彦根屏風(レプリカ)にいきなり立ち止まってしまいました。しかし、ゆっくり見ている場合ではありません。有料駐車場が400円に入館料が800円、もったいないとは思いますが、なんせこっちは2時までに戻らなあかん!とりあえず、初めの展示室の刀の前に直行です。
今回林原美術館からやってきたのは太刀四振り。拵えも一つ展示されていました。うち国宝は二振りで、「銘吉房」と「銘備前国長船住左近将監長光造」。あとの二つは重文の「銘正恒」と重要美術品の「銘延房」。恭しくガラスケースに収まっておりました。
刀の前のガラスに丸い曇りができているのがご愛敬。
気持ち分かりますよ。顔近づけてじーっと見てしまったんでしょうね。
正真正銘、鉄のかたまりなのですが、鉄というのはこんなにきれいになるのだということにまずおどろきました。そして、どれもよく似ているのです。平安・鎌倉時代の刀を展示しているこのガラスケースに、平成の刀匠が打たれた刀が並んでいても、私の目には「よく似ている」と写るのでしょう。
もちろん細かいところは違うのです。地肌まではよく見えませんが、刃文の入りかたがゆったりしてたりイレギュラーだったりなんていうのは素人目にもそれなりに違うな、と思えるのです。
しかし、基本的な刀の形はおんなじ。きらきらでもぴかぴかでもない森閑とした光のいろも、手に取らずに見ているだけでも感じられる重さも、人間を斬ったはずなのに血のにおいの感じられないニュートラルな存在感も、よく似ています。
およそ千年もの間、刀とはどうあるべきかという理想像すら、違いながらも内奥では同じものだったのではないでしょうか。
そしてその理想を体現するための技術が、刀が刀として実用に供されることがなくなった今でも伝えられていることがまたすごいですね。
ゆっくり見る時間がなくて残念でした。
蒔絵の金色の波の一筋一筋までに神経が行き届いていること。
具足の糸の色の取り合わせの繊細なこと。
ちらちら見ながらほほうと感心し、帰りは彦根長浜間を高速にのって600円払い、なんとか2時に間に合いました。細かい散財をした一日でした。オトナやもん。まあ、許されるささやかな贅沢かな。