山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

北野天満宮界隈ブラ歩き 2

2019年11月30日 | 寺院・旧跡を訪ねて

■2019年2月25日(月曜日)
二月末,梅花の季節。2回目は北野天満宮の史跡御土居、梅苑、そして社殿背後の紹介です。

(追記)11月23日(土)用事で京都へ行ったので、ついでに北野天満宮に立ち寄った。「もみじ苑」で知られる御土居の紅葉を鑑賞してきました。

 史跡御土居  



社殿西側にもみじ苑/史跡御土居/梅苑への入り口がある。ここしか入り口はなく,入園券売り場のテント小屋が設営されている。ここで800円(大人,子供は400円)の券を手にすると,もみじ苑/史跡御土居/梅苑を自由に歩きまわれます。
テント小屋の先を少しばかり登ると,そこはもう「御土居」と呼ばれる史跡の上だ。まず目にするのが半分朽ちかけた巨樹。「東風(こち)」と名付けられた樹齢600年のケヤキの大樹です。ここから天高く大宰府まで東風を吹き続けているそうです。
御土居の上を左方向へ行けば梅苑です。



史跡に指定されている「御土居(おどい)」とは何でしょうか?。周辺に置かれている説明板を集めてみました。

豊臣秀吉による京都改造事業の一つ。敵から都を守る防塁と、鴨川の氾濫から守る水防を目的として、秀吉が京都の周囲に築いた大土堤です。御土居の高さは約10メートル。洛中洛外がこれで区別されるようになった。
一部が京都市内に現存し、史跡に指定されている。特にここ北野天満宮に残る御土居は当時の原型に近いそうです。



御土居上を北側へ少し進むと展望台があり,御土居東側の北野天満宮境内を見渡せる。本殿,拝殿を構成する社殿の複雑な屋根の構造が見て取れます。


御土居はさらに続いているが,展望台から先へは入れないようになっている。秋のもみじ祭りの時期には開放されるのでしょうか?。





御土居の西側は急斜面となっており,谷底に紙屋川が流れ,紅い太鼓橋が見えます。










 もみじ苑  




大ケヤキの場所に戻り,西側の急斜面を下りてみます。降りた先に,清流紙屋川が流れ、朱塗りの太鼓橋「鶯橋(うぐいすばし)」が架かっている。




鶯橋を起点に,紙屋川の両岸を歩けるように散策路が設けられている。豊臣秀吉の築いた土塁「御土居」の斜面や紙屋川の両岸にイロハモミジなど約350本の紅葉が植えられ,名所「もみじ苑」となっています。モミジを上からも下からも楽しめるのが、ここの良いところ。もみじ苑は11月中旬から12月上旬にかけて公開され、夜間ライトアップもされるそうです(もみじ苑入苑料600円・茶菓子付)。

川沿いの一部には梅林もあり,この時期でも紙屋川沿いを楽しみながら散策できます。

 もみじ苑の紅葉(11/23) 1  



11月23日(土)、京都へ来たので北野天満宮に立ち寄った。御土居の紅葉を見るためです。用事があるため9時半過ぎまでしか滞在できない。そのため朝早く出かけ、天満宮に着いたのは8時過ぎ。
2月の梅花祭の時と違って、静かな大鳥居前です。早朝なのでまだ参拝者もいない。露店も無く、すっきりとした神社らしい参道。梅花祭の際には見られなかった臥牛像も、参道脇にいくつも見られる。

楼門をくぐり、絵馬堂前の風景。参道正面が中門(三光門)、左に紅葉に包まれた紅梅殿が見える。もみじ苑の開園は9時なので、それまで静かな境内を散策。

絵馬堂前の太鼓橋を渡り紅梅殿へ。紅梅殿前の庭園で、梅花祭の際は幔幕で囲い野点大茶湯が催されていました。その時は大茶湯参加者以外は立ち入り禁止になっていた。この時期、紅い紅梅殿が紅く染まり綺麗です。
この庭園は、入苑券の裏に「船出の庭」とある。どういう意味なのだろうか?。

絵馬堂前に入苑券売り場があり、その横が入苑口となっている。入苑料は千円です。8時半過ぎ、売り場の前に立っていると、私の背後に列ができてきた。いの一番に入苑できる。9時までまだ5分少々あるが開けてくれました。

入苑するとすぐお茶屋があります。春の梅花祭の時と同じお茶屋で、すぐ目の前が梅苑だ。
入苑券を見せると、茶菓子のサービスを受けられるのだが、ゆっくりしている時間がないのでお菓子だけ頂く。

お茶屋の横の坂を上ると、そこはもう御土居の上です。茶室・梅交軒が建っている。春の梅花祭では閉まっていたが、今もまだ早朝のせいか開いていない。
茶室・梅交軒前の展望台。下の紙屋川沿いは、まだ「見ごろ」には早いのか青葉のほうが目立っている。

史跡御土居のシンボル「大ケヤキ」。ケヤキも紅葉するんだ、知らなかった。

大ケヤキの所から御土居の上を北へ歩く。人がいてないので写真を撮りやすい。

展望所から社殿を眺める。春とはまたちがった佇まいを見せています。

展望所からさらに奥へ進める。二月の梅花祭の時にはこの先立ち入り禁止になっていたが、今は開放されている。ですから史跡御土居の全体を見れるのは秋の紅葉時期だけのようだ。

 もみじ苑の紅葉(11/23) 2  



御土居を百メートルほど進めば、カーブとなった坂道を下って谷底へ降りるようになっている。

これから谷底の紙屋川沿いを歩く。谷底なので陽が少ないせいか、まだ青葉が目立つ。紅葉から青葉まで、グラデーションがかったまだら模様の風景もまた良いものです。

やがて朱塗りの太鼓橋「鶯橋(うぐいすばし)」が見えてきた。青葉のさえる初夏の頃には、紅い鶯橋がより映えることだろう。

人が増えてきました。鶯橋も史跡御土居のシンボルだけあって人が集まっている。写真撮るのに苦労します。左の階段を登れば大ケヤキの場所だ。

鶯橋の上から南側を撮る。まだ紅葉の「見ごろ」とはいえないようです。下を流れる紙屋川は、かっては紙漉き場だった、と入苑券の裏に書かれていた。

鶯橋から南へ歩く。紙屋川の両岸に散策路が設けられ癒される場所となっています。対岸は梅の見所の一つになっている。マイナスイオンが充満しているような・・・。

この辺り、梅の木が多く植えられ、梅のシーズンには見物人で混みあっている所だ。



鶯橋まで戻り、階段から大ケヤキの場所へ。時刻は9時半過ぎ、40分位の紅葉鑑賞でした。紙屋川沿いは青葉が目立っていたが、こんなものなのでしょうか?。「三分咲き」との表示もあったので、見頃は12月上旬なのだろうか?。
北野天満宮・御土居の「もみじ苑」も京都を代表する紅葉の名所です。梅と紅葉は北野天満宮へ、桜はすぐ北側の平野神社へどうぞ。














 梅苑  



御土居の上に戻ります。大ケヤキの少し先に茶室 梅交軒がある。名前に「梅」とあるのですが,この梅の時期には閉まっていた。紅葉シーズンにお茶をいただけるそうです。「紅葉軒」ですね。






梅交軒前に設けられた朱塗りの欄干付き舞台から御土居の下を見れば鶯橋が見える。紅葉時期にここからみる眺めはさぞ絶景のことでしょう。


御土居の上から紙屋川とは反対側に下っていくと,いよいよ梅苑だ。














入り口近くの茶屋で沢山の人が寛いでいる。入園券を見せると茶菓子が振舞われるということで,多くの人が順番待ちをしています。時間がもったいないので私はパスしました。

約2万坪の境内には50種,1500本の梅が植えられているという。社殿周りや紙屋川沿いにも多くの梅が見られ人だかりができているが,やはり北野天満宮の梅をたっぷり堪能できるのは梅苑です。

梅苑には梅木の間をぬって遊歩道が設けられ,白梅、紅梅、一重、八重などいろいろな梅を楽しめる。
公式サイトには「早咲きの梅は例年12月中旬頃からつぼみがふくらみ始め、正月明けから開花。徐々に咲き繋ぎ、3月末頃まで長く楽しめます。」とあります。
例年2月初旬から3月中旬まで一般公開され,また金・土・日曜には夕方からライトアップもされれそうです。

梅をこよなく愛した菅原道真に「飛梅伝説」が伝わる。道真が大宰府へ左遷される際、庭の梅に別れを告げて
   東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
と詠った。すると,その梅が主の菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという。こうして道真と梅との深い関係ができ,道真の命日にあたる2月25日に梅花祭が行われるのです。

御土居から「梅花祭野点大茶湯」の様子をのぞき撮り。私には不似合いの場所のようです。

 本殿の背後  



梅苑を後にし、これから本殿の背後に周ります。末社、摂社が並び、その周辺には開花した梅が華やかさを添えている。
北野天満宮境内には多くの「なで牛」が寝そべっているが、一番有名なのが社殿北西の牛舎に横たわるこの牛です。撫でると一つだけ願いが叶うといわれ、「一願成就のお牛さん」と呼ばれている。

菅原道真と牛の縁について、「牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれている」(Wikipedia)、「無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました」(公式ページ)と説明されています。

「一願成就のお牛さま」の傍に絵馬掛所があり、おびただしい数の絵馬が奉納されている。絵馬というより「絵牛」ですが。ほとんどが学業成就、合格祈願のものです。

北野天満宮創設以前からこの地にあった神社「地主社」。そのため境内で最も古い社で、天地すべての神々「天神地祇」を祀っている。

境内図を見ればわるのだが、一の鳥居から楼門を潜り、参道を直進するとこの地主神社に突き当たる。天満宮の社殿は脇にそれており、通常の神社の配置とは異なっている。元からあった地主神社の正面を避けて建てられたからです。「筋違いの本殿」といわれ、天神さんの七不思議の一つになっている。

文子天満宮。託宣を受け、北野に菅原道真を最初に祀った多治比文子を祀っている社。かつては西ノ京にあったがが明治6年(1873年)にここに移された。



社殿の東側に「東門」がある。切妻造り、銅葺きの四足門。東門を出ると、そこは西陣の花街・上七軒の色町です。










北側の出入り口、「北門」です。



北門を出ると、「西陣名技碑」と刻まれた大きな石碑が見える。これは西陣織りの発展に貢献した五世伊達弥助を讃えたもの。説明板は「伊達弥助顕彰碑」となっている。西陣はここ北野天満宮から近い。



北門の外にも露店が並び、人垣ができている。遠くに見える紅い鳥居は、桜の名所「平野神社」。






詳しくはホームページ

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